緑の恐怖 −2−

 人の目が届かなくなるほど森の奥に、四つの人影があった。

 靄がかかって日の光が薄れているそこは、人の知ることができない何かが蠢いている気配すらも感じるかもしれない。

「げふっ」

 フリオはモンテに腹を蹴り飛ばされて地面にうずくまっていた。

「ざまぁみやがれ! これからたっぷり可愛がってやるよぉ~」

 モンテが下卑た笑みを隠しもせず、しゃがみこんでフリオの胸ぐらを掴み、臭い息とつばきが顔にかかるほど近づけて言い放つ。

 そう、森の奥へと真っ先に足を運べば誰にも見られることなく好き放題に、今までやられた鬱憤を晴らすことができる。

「あたしに何かして見なさいよ♪ ディーノ様が飛んできてくれるのよ~♪」

「ご安心くださいフリオ姫♪ オレたちがめっちゃくっちゃにしてあげますよ~♪」

 楽しい学園生活が戻ってくるのだと、モンテたちは確信を持った笑い声をゲラゲラとあげていた。

「ほらほらどうしたぁ。なんか言ってみろよぉ~♪」

 モンテはフリオが立ち上がるのを待たずに、腹に向かって間髪入れずに蹴りを叩き込む。

 暴力によって虚栄を満たせる瞬間、最高の快楽がモンテの心を満たしていることが表情だけで見て取れる。

「……」

 今までの自分なら、こいつらが満足するまでされるがままであった。

 自分さえ我慢していれば、嵐が過ぎるのを耐え忍んで待つことしかできなかった。

「誰も助けになんか来ないんだよ♪ 許して欲しけりゃ、オレたちの靴を舐めて『あたし、タマタマの付いてない女の子なの♪ どうか許してぇ♪』って言ってみろよ♪」

 今までならば……。

「そうだね。誰も助けになんか来ないんだよ。モンテ君たちをね……」

 フリオは立ち上がり、右手を肩まであげて、手の甲を見せ付けながら呟く。

 そこには深緑に輝く宝石が埋め込まれていた。

 宝石から放たれるただならぬ気配を察知したのか、薄笑いを浮かべていたモンテ達の表情が次第に固まっていく。

 懐から取り出したカードからアルマと魔衣ストゥーガを顕現して臨戦態勢をを整える。

 モンテは二本の両刃剣を、レノバはトゲ付きの鉄球が鎖で繋がれたフレイルを、アルベは首をかりとれそうな大鎌をそれぞれ構えていた。

「へっ、やれるもんならやってみやがれ! フクロにしてやるよォ!!」

 威勢のいい声を上げるモンテに対して、フリオは眉の一つも動かさず、左手の宝石がどんどん光を強めていく。

「行こう、ドリアルデさん……」

 宝石から放たれていた緑色の光がフリオの背後で集束し、一つの影を作り出していく。

 一見すれば人間の女性を思わせるが、その肌と体は木の幹を人間の体型にしたようで、長く伸びたように見える髪は葉で飾りのように赤い花が咲いている。

「モンテ君、レノバ君、これ大丈夫なの!?」

「コケおどしにビビってんなよ。なぁモンテ?」

 異様な状況を察知したのか、ためらいの出るアルベに対して油断し切っているレノバ。

「じっくり味わえやぁ、血まみれのフルコースだぁッ!!」

 モンテの怒号を合図に、それぞれのアルマがフリオに向かって力任せに振り下ろされようとした瞬間のことだった。

 フリオが号令を出すように手を振りかざすと、ボコボコと言う音と共に地面から無数のツタが姿を表した。

 それだけならばアルマを持っている時点で大した脅威だとは思わなかっただろう。

 だがそれは人間の腕並みに太く、動いていても目で確認できるほど大きなトゲの生えた巨大な”イバラ”のツタだった……。

「ひ……ぎァァァァァァッ!!」

 イバラは瞬く間に三人の体を絡め取ると、魔衣ストゥーガなどただの服と言わんばかりにトゲを皮膚に食い込ませながら手足に巻きついて縛り上げていく。

 四肢を真っ赤に染めながら、バツの字を描くように腕を伸ばされた三人は、さながら磔にされた囚人のようだ。

「それじゃあ、やっちゃおうか? ドリアルデさん」

『もっちろん! ぜったいに許さないんだから!』

 この場にいる誰のものでもない、女性のような声は場違いであるかのように明るく、それが逆に状況のありえなさを物語っているようだった。

「こ、こんなもん! ぶっちぎって……ウギャァァァァッ!!」

 モンテがマナを集中して強引に引き剥がそうとしたツタはさらに力を強めてその両腕をねじり、トゲがそれに合わせて皮膚を切り裂き、だらだらと鮮血が腕を伝って地面に落ちていく。

 残った二人はその有様を見て言葉を失っていたが、これから起こる惨劇の序曲にすぎなかった。

「あぎゃぁぁぁぁッッ!!」

「や……やめてくれーーーッ!!」

 三人ともが同じ姿勢で地面に貼り付けられ、さらにイバラの力はゆるむことなく、両手両足をちぎれんばかりの勢いで引っ張られる。

 現実離れした光景に驚く暇もなく、地面の下から巨大な根っこが土煙を上げながら姿を現した。

 それは体長十メートル近くある四足歩行の動物にも見えたが、牙を備えた頭が在るべき場所に、毒々しい緋色の巨大な花、背中から伸びたいくつものツタがモンテ達に繋がっている、百年近い樹齢を経て育ったと思える幹が体を形成した巨獣がそこにいた……。

「じゃあ、最初は踏みつけてみようか」

 そう言い放ったフリオの口調は三人が知っているものとは明らかに違う、冷たく渇き自分たちを同じ人間だとも思っていないと感じるには十分だった。

 荘厳な神殿を支える柱ほどもあろう太さの脚が、地面に貼り付けられた三人の真上に振り上げられ、その狙った先はアルベを向いている。

「ま、待ってくれ! お、俺はモンテ君がやれって言ったから仕方なく」

「ざけんじゃねぇよ、てめぇ裏切る気か!」

 自分に危険が迫ればあっさりと責任を押し付ける、三人の中で一番立場が弱いだろうアルベを最初に狙えばこうなるということはフリオも予測はついていた。

 一番最初にメインディッシュを持ってくるコース料理など存在しないように、物にはふさわしい順序がある。

「……潰れろ」

 フリオの短い号令と共に巨獣の脚は振り下ろされ、まるで落石のような衝撃と轟音、土煙が上がった。

「い、いだい! いだいいいいいっ!!」

 土煙の晴れた視界にモンテとレノバが収めたのは、左足が潰されて顔の形が変わるほどに泣き叫ぶアルベの無残な姿だった。

 だが、それだけでは終わらない。

 再び巨獣の脚が上がり、もう片方の足が轟音とともに潰される。

 足全体の骨がたやすく粉砕され、歩くこともままならないような姿にされてもなお、巨獣の攻撃が止むことはない。

 アルベの叫び声とともに、今度は力を若干弱めて何度も胴体を踏みつけていく。

 ただ見ているしかできないモンテとレノバでも、完全に殺してしまわないように、力を加減されているのが嫌でも理解できた。

「だずげて! だずげてだずげてだずげてだずげてぐれぇぇぇぇっ!」

 何度目かもわからない状態で命乞いに満足したのか、巨獣の攻撃が止まる。

 アルベは解放されたことへの安堵から、泣き腫らした顔に心の底から安心を得た笑みがこぼれ落ちる。

「助けて? 僕にも花にも、モンテ君たちはやめようなんて思ったことあるの?」

 巨獣は向きを変えて攻撃を再開した。

「い、嫌だ! こんなのは嫌だ!」

「てめぇ調子に乗りやがっぎゃぁぁぁぁっ!」 

 次はレノバを、そして最後にモンテを同じように踏みつけ、全身の骨をへし折りあるいは内臓を潰す。

 モンテ達がフリオに行った仕打ちをなぞらえた仕返しだった。

「こ、この間のことは謝る! だから、お、お互い水に流しぃぃぃあぁぁぁっ!!」

 アルベがこの場の難を逃れようと口を開いた瞬間、その言葉を悲鳴で塗りつぶされる。

 あえて折らずに残しておいた腕の片方を、投げ槍のように尖らせた枝が貫いて血しぶきを舞い上げたからだ。

 さらにその枝からは毒々しい赤い花が咲き誇り、紫色の花粉がアルベの顔面に向けて吹き出される。

 たとえそれが危険なものだと本能的に勘づいたしても、まともな呼吸さえも困難な体は酸素を求めてその花粉ごと空気を取り込んでしまう。

「う……げ、げほっ、げほぁっ!」

 花粉を吸い込んだアルベは激しく咳き込みながら血反吐を吐き散らし、目からは血の混じった涙をだらだらとこぼす。

「ミレディゴラの花粉には毒があって、適量なら薬になるんだけど、摂りすぎれば呼吸器と神経に異常をきたすんだ。ドリアルデさんのマナで毒性を増幅してるから、一生寝たきりかもね」

 淡々と説明するフリオを前に、三人ともがこれが悪夢であってほしいと心の底から願う。

 目の前にいるこいつが、自分たちの好き放題にしてきた人間と同一人物であるはずがないと必死に心の中で否定する。

「れ……レノバ、後ろ!!」

 モンテの声にレノバが反応した時にはもう遅かった。

 人間が一人入れそうな猛獣の牙を備えた貝殻のような葉を持った植物が巨獣の背中から伸びて迫ってきていた。

 本来ならその植物は、得られる養分の少ない場所で生息し、虫を食べることでそれを補って生きている。

 本来は葉っぱに止まった虫を閉じる事で捕縛し、決して自ら動くことはない。

「ひっ……ひぃぃっ!!」

 だが、目の前の巨大な食虫植物は間違いなくレノバという人間に向けて巨大な口を開いて迫ってきていた。

 瞬く間にレノバはツタごと飲み込まれる。

「い、嫌だ! 嫌だァァァァ! し、死にたくないぃぃぃぃぃッ!!」

 檻に閉じ込められた囚人のように聞こえる叫び声など、まるで関係ないと言わんばかりに沈黙した。

 たった一人残されたモンテの悪辣な顔は、別人のように怯えきった小動物のそれになり下がっていた。

「どうしたの? 僕を笑わないの?」

 フリオは柔和で温厚な雰囲気を感じさせる笑顔で問いかけてくるが、モンテは答えることができない。

 取り巻きの二人が次々と殺されかけている現実を目の当たりにして、眉ひとつ動かさずに正気を保っていられる方がおかしいと言うものだった……。

「わ、悪かった! オレが悪かった! こ、これからはぎゃぁぁぁぁっ!!」

 追い詰められたモンテが紡ぎ出す口だけの謝罪が、巨獣の踏みつけで強引に断ち切られる。

「モンテ君たちは、僕を苦しめて楽しかったんだよね? 中等部の頃からずっと」

 その言葉を否定することはできない。

 退屈だった。

 退屈しのぎの道具が欲しかった。

 一時の高揚感と、それが過ぎ去った後にやってくる虚無感と、朝と夜が来るように繰り返しが続くと信じきっていた。

 目の前にいるのは誰だ?

 少なくともモンテの知っているフリオではなかった。

 アルベに毒の花粉を吸わせ、レノバを捕らえている巨獣など瑣末なものにしか見えない。

 花を育てている時のような笑顔で、同じ人間のはずの自分たちを平然と苦しめるフリオが、人間の皮を被った”怪物”のように映る。

 だが、三人とも理解しようとしないだろう。

 この怪物を生み出したのは自分自身だということを……。

「”誰か”に教えてもらったんだ。わからせなきゃいけないんだって」

 まともに耳を傾けるものがいない状況となってもなお、フリオは独白を続ける。

 その手には一粒の種子が握られていた。

 何気ない動作でモンテの胴に投げられ、種から小さな芽がぴょこんと顔を出す。

 意図の見えない行動にモンテが拍子抜けしたのもつかの間のことだった。

 その種はモンテの体に向けって根を伸ばし、あっという間に広がり始めたのだ。

 小さな芽はたちどころに成長していくと同時に、モンテの体は手足の先から急激に干からびていく……。

 宿り木。

 狭義の意味では、別の木に寄生する事で幹を伸ばし、葉を生い茂らせる種類の総称だ。

 それが人間の体に取り付けばどのような現象が起こるのか、今のモンテはそれを端的に現しているようなものだった……。

「きっと良く育つと思うよ。モンテ君から養分もマナも吸い尽くして、この森の一部になる」

 ぞくりとするような声色だった。

 アルベやレノバの時よりもさらに大きな怒りと憎悪が滲み出た、地獄の底でうごめく獣のような威圧感さえも今のフリオからモンテは感じさせられている。

「お、オレは嫌だ! 木に吸い取られるなんて嫌だ! 頼む! この通りだ! 殺さないでくれぇぇっ!!」」

 もはや、恥も外聞もプライドもなかった。

 命が助かるのならば、泥や糞尿を啜れと言われてもためらう事なく実行に移すことができるだろう。

「花も木も、踏みつけられたって何も聞こえないし、何も言い返せない。だから、どんなに叫んでも聞き入れたりはしないんだよ?」

 生存本能と食物連鎖こそが絶対的なルールであるこの森の中では、自分たち三人こそが、無慈悲に踏みにじられ、そして食い尽くされる獲物だったのだ。

 フリオがディーノの下で力を身につけ、虎視眈々と復讐の機会を伺っていたことは想像に難くなかった。

「モンテ君たちはいつも笑ってたよね? だから……もっと苦しむ顔を見せて、もっと僕を笑顔にしてよ?」

 死刑執行を告げる判事のようにフリオが紡ぎ出す言葉の一つ一つが、恐怖に呑まれたモンテの耳に突き刺さる。

 どす黒い狂気に満ちた戯曲がクライマックスを迎えようとしたその時だった。

 閃光のごとく一振りの剣が巨獣の体を切り裂き、一拍遅れて紫色の稲妻が迸った。

「ったく! 予感ってやつは悪い方向にばかり当たるもんだな……」

 この場の誰もが来ると思っていなかった人物の登場に、フリオは絶句していた。

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