緑の恐怖 −1−
生徒の下校時刻を迎えた旧校舎の屋上、新しい花壇に植えた種に水をやるのがフリオの新しい日課となっていた。
「種は決まったのか?」
付き添いで来たディーノがフリオに聞いてみる。
「うん、ジャロソーレの花は今からギリギリで夏場には咲くし、クレミジーノの花は僕たちが進級する頃ぐらいかな。秋口に植えるスペースも欲しいと思って、今はそれくらい」
選んだ種が芽を出すのは、まだしばらく先の話になるが、無事だった花の中には蕾が開きそうなものもいくつか見られた。
「こいつは一体なんなんだろうな」
「僕もわからないんだよね」
『確かあの山にあると言っていたな。あの辺りは特に濃いマナが集まっていたはずだ』
二人して首をかしげる中で、ディーノの頭にヴォルゴーレが語りかけた。
この花の種を拾ったブフェの山には、ディーノが戦ったテンポリーフォのような強力な魔獣が生息している。
それは即ち、あの辺りには多種多様な属性のマナが集まっている場所であり、普通とは異なる生態系が形成されているケースが多い。
「じゃあ、あそこって
ヴォルゴーレの説明をフリオにも要約すると、正確な名称が帰ってくる。
人間で言えば、全身に血液を循環させる心臓のような働きをしている場所だと研究者は解釈している。
あの山を起点にして大地や風を通じて、マナが流れていると言うことになる。
そのような場所は国土の広さから考えるに、まだ何ヶ所か存在しているだろうと、ヴォルゴーレは付け加えたが、正確にわからないことを話されても当の二人にはいまいちピンとくる話ではなかった。
「君はどんな花を咲かせるのかな」
そんな場所にある植物なのだから、学園のような場所でも育てることができるのか? 育てたらどんな結果が待っているのか?
フリオの興味は尽きることがないし、毎晩観察日記もつけている。
やがてまとまったら、論文にまとめてしかるべき場所へ持ち込んで見てもいいかもしれない。
だからこそ、あいつらのやった事を許すことなどできるはずもなかった。
関心がないのはまだいい。
植物は口を聞くことも、逆らうこともなく、ただそこに生きているだけなのに、退屈しのぎのために踏みにじる権利などあるはずもない。
「ごめんよ。僕が至らないばっかりに、でももう二度とあんなことさせないよ」
そう呟くフリオの声は、いつもの穏やかさを保ちながらも、心の奥底にしまいこんだ感情の炎が、この黄昏時の陽のように赤々と燃え始めていた。
出会った頃とは違う強い輝きに満ちたフリオの瞳をディーノが見ている中、それとは別のものを感じ取った者もいる。
『あれは……』
フリオに応えるように、花の蕾からかすかな光が漏れたことに気がついたのは、ディーノの視界を通じて見ていたヴォルゴーレだけであった。
* * *
「さぁ、今日は久しぶりの実地訓練、一組との合同でやることになったからよろしくね」
それから二日後、いつぞやのブフェの山の麓で二つのクラスの担任であるアンジェラとユリウスが訓練の内容を説明している。
魔術の実践的な使用の機会を授業の一環として取り入れている以上、学外での実技は必須であり、以前起きた有事を踏まえて二つのクラスでの合同授業を試すということになったらしい。
「今回は山の上ではなく、森の方で採取を行ってもらうよ。四人一組のグループを作ってリィラックの花を持ってくること」
説明を終えるとクラスの面々が動き始める中で、ディーノは考え込んでいた。
『どうした?』
頭の中でいつものように相棒が声をかけてくる。
(なにか胸騒ぎがする……)
同じグループに誘おうと、ディーノはフリオを探してあたりを見回し始めたのだが……。
「よぉ~。今オレら三人なんだよ、ちょうどいいから組もうぜなぁ」
耳に入れるだけでも不快さを催す下卑た声が聞こえたときにはもう遅かった。
今回一緒のクラスは、例の三人組がいるクラスだ。
そして、このところでやられたことを思い返せば、担任の目の届かない場所で報復には絶好のチャンスだ。
(くそっ、遅かったか)
だが、完全に決めてしまう前にどうにかしようと近づいたそのときだった。
フリオがチラリと自分に目線を送ってくる。
(だいじょうぶ)
声には出さずに、口の動きだけでフリオは自分にそう伝えてきたのだ。
その目は今までの怯えた目でもなければ、草花と接している時の目でもない。
もっと大きな決意をしたような力を秘めている目だった。
「いいよ、組もうよ。モンテ君」
その反応を見たモンテ達三人とも、その目に気づいた様子もなく、うまくいったと言わんばかりにニヤついていた。
やがて、課題の開始の合図が出されて、それぞれのグループが森の中へと入っていく。
「さぁ、あたし達も行こっか?」
結局ディーノはいつもの四人でグループを組むことになっていた。
腰に差したバスタードソードに手をかけて周囲を警戒しながら進んでいくが、その頭の中にはフリオのことが離れないでいる……。
「ディーノさん、心配なんですか?」
それを察したのか、隣を歩いていたアウローラが声をかけてきた。
カルロ曰く自分は顔に出やすいということだが、そこまでかと思うと少しばかりやるせなくなってくる。
果たして、それを話してしまっていいものかと自問した。
心配していないと言えば嘘になるが、それはアウローラ達の想像していることとは全く逆の意味でだ。
それを包み隠さず言って、自分たちで止めに行って奴らが止まるだろうか?
アウローラの正しさで一時的に止めたとしても、奴らに対する根本的な問題の解決にならない。
カルロのような工作で貶めるにしても、事前準備が足りなさすぎる。
「あいつらとっちめるんじゃないの?」
シエルの身もふたもない問いかけに対して、ディーノは黙って首を横に振った。
「そんな単純な話ならなんの苦労もしねーよ」
「僕たちにも話せないことだって言いたいのかい?」
「あぁ……俺が止める。だから済まん」
ディーノは三人の返答も待たずに走り出していた。
この胸騒ぎが取り越し苦労であってくれたらいいと思いながらも……。
『よぉ、ディーノ~、今日も遊ぼうぜぇ』
『くらえ、正義のパンチ!』
『悪魔が泣いた♪ 悪魔が泣いた♪』
「……くそ、引っ込んでろ!!」
ディーノの脳裏に、嫌な記憶が思い浮かんだのを、所構わない叫びをあげて無理やりかき消す。
あの時フリオを助けたのは、ただの気まぐれではなかった理由の根源が、頭の中で蘇り始めていた。
『なんでそんな色してるの?』
『正直に言わなきゃダメだよ♪ お前の母ちゃん悪魔なんだろ?』
どす黒い怒りが心の奥底からじわじわと染み出してくる。
久しく忘れていたことが、せき止めていた怨念が、踏みにじられていたフリオをきっかけにしてディーノに行動を起こさせていた。
理不尽に受けた差別と侮蔑と暴力の連鎖。
ほんの些細なものであると信じていたそれは、奴らにとってはそうでなく、自分たちの虚栄を満たすために利用すべきものだった。
正しさを誇示するために踏みにじることを正当化する行為に対して、幼い自分に芽生えたのは、その全てを壊したいと考える憎しみ。
今までのことで、ディーノが見てきたフリオが想像通りの行動を起こすとしたら、取る選択は一つしかないのだと確信させていた。
のどかな初夏の森の中、そんな雰囲気を味わう余裕もなく、ディーノはフリオの姿を探す足を速めていった。
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