ディーノ達の休日 −1−
学園の授業もない日曜の朝、天気は爽やかな快晴に恵まれていた。
今いる場所は、ブフェの山から流れてくる水を蓄えた湖、王都より南西へ下った場所に位置している。
湖畔の向こう側には緑の生い茂る森が広がり、その先には王都を象徴する白亜の城がこちらを見下ろしている。
毎週ではないが、いつもの修練ではないディーノ個人としての楽しみのためにここへきているのだが、当の本人はいつもの倍以上に眉間のシワが寄っている。
「うっわぁ~♪ 綺麗なとこ」
暢気な声を上げるシエルは、その表情を見て見ぬ振りをしていた。
「静かにしろ。魚が逃げる」
シエルに注意するディーノは黒の旅装束に身を包んでおり、その手には自分の身の丈よりも長く細い、糸のついた棒を持っている。
それは釣り竿と言う名の魚を相手にするための武器だった。
魔獣と戦うためのバスタードソードは携帯しているが、今日の目的はそこではなかった。
「まさか、ディーノにこんな趣味があったとはねぇ」
茶化すカルロもまた学生服姿ではなく、動きやすい野営向けのベストやジーンズに身を包んで、ディーノと同じように釣竿を持っている。
「今日は、よろしくお願いしますね」
アウローラは外に出てもいつもの丁寧な態度を崩さず、ディーノに一礼した。
木陰に覆われた湖畔に四人は集まって、魚を釣るための準備に勤しんでいた。
どうしてこうなった……。
授業のない日曜まで、いつもの四人が揃って学園外に遠出していると言う事実に内心で頭を抱えていた。
きっかけは、シエルのふとした一言だった。
* * *
「ディーノってさ休みの日って何してるの?」
七不思議研究会のお茶会に出た唐突な話題。
寮生であるゆえに、休みの日でも学園にいるわけだが、授業がない日に誰が何をしているかまではわからない。
それだけでなく、ディーノは常に謎めいた部分が多く、疑問に思うのはある意味必然だったのだろう。
口には出さなかったが、アウローラもカルロも興味ありげな目線をディーノに向けていた。
「ひょっとして、一日中修行してるとかだったりして♪」
カルロが口走った一言は冗談のつもりであったのだろうが、ないと言い切れない説得力があったのか、妙な連帯感が生まれていた。
別にこのまま黙秘していてもいいのだが、この三人が一度行動を起こせば、一日中でも付きまとって来そうな気がした……。
編入初日からのしつこさから考えれば、それこそやりかねないとディーノに思わせるには十分だった。
「……朝は起きれるか?」
ディーノは三人にそう問いただす。
学園外に出るだけでなく、目的地は距離があり日の出と共に行動に出なければ遅い。
「何時頃ですか?」
「最低で五時だな」
三人ともがその一言で顔色を変えるのが目に入り、これで諦めてくれれば儲け物とも思ったのだが……。
「何をしに行くんですか?」
そうは問屋が卸さなかったようだ。
「釣りだ」
ディーノは諦めたように短く答えると、三者三様の反応で相槌を打っていた。
「釣りって魚釣り?」
「それ以外に何がある?」
聞き返してきたシエルの反応を見る限り、やはり意外だったのだろう。
今までが戦っている姿ばかりを見せてきたのだから、たとえ別の趣味を持っていたとしても驚かれることには変わりないだろうと言うところまでは、ディーノ自身も考えは及んでいなかった。
「じゃあ、今度の日曜日にみんなで行きませんか?」
アウローラの提案に、今度はディーノが目を丸くする番だった。
早朝に起きての遠出、成果が保証されるわけでもなく、そもそも女子が楽しいと思えるような要素などあるとは思えない。
「本気か?」
「本気です」
きっぱりと言い放ったアウローラの表情から見て、テコでも動かないと言うことは嫌でもわかった。
一瞥すれば、カルロとシエルもついてくる気でいるようだ。
「……竿は自分のしかない。やりたければ自分たちで用意しろ。
観念したのか、ディーノはぶっきらぼうに予定を伝えた。
前日の土曜日には三人とも各々の釣り竿を調達しに行っていたようだった。
* * *
そして、現在に至る。
アウローラは興味津々と言った様子で、シエルは寝ぼけ眼をこすりながら、カルロはそんな二人を一歩引いて見て楽しんでいるようだ。
「本当に来るとは思わなかったぞ……」
驚き半分、呆れ半分といった具合にディーノは三人に対してため息混じりの感想を漏らした。
そして、小魚や虫を象った疑似餌を三人に渡し、釣り糸への結び方を教えて準備を整えると、岸辺からそれぞれ間隔を開けて場所をとった。
「最初から釣れるなんて思うなよ? 釣れるまで投げて戻しての繰り返しだ」
ディーノの言葉通り、投げた疑似餌が湖の湖面を揺らし、リールで糸を巻いて戻し、そして再び投げてを繰り返す。
「ディーノさんはどうして釣りを? お魚が好きなんですか?」
隣にいたアウローラが不思議そうな顔でディーノに問いかけた。
「食料調達の訓練みたいなもんだ。狩りや野草集めと違ってあまり動かなくていいからな」
それを聞いて、いつも張り詰めた顔ばかりしているディーノが、ゆっくりと時が流れることを楽しんでいるような様子もアウローラには感じられた。
リールを巻いている糸の先よりも、アウローラは湖の先を見据えるディーノの横顔に目が行ってしまう。
最初こそ強引についてきてしまって、迷惑かと思っていた。
しかし、本当に嫌ならばわざと違う日時や場所を教えて煙に巻いてしまうこともできたはずだし、それをしなかったと言う意味では、少しは信用されるようになってきたのかと、アウローラは思っていた。
そんな物思いにふけっていたせいか、まだ気づかないでいる。
アウローラが巻いている糸の先を引っ張られていることを……。
「ディーノさん?」
何かに気づいたようにアウローラの方を向いたディーノに疑問の声をかけると、血相を変えた声をあげた。
「アウローラ、引いてるぞ」
「えっ! えええっ!?」
「まず竿を上げろ」
どうすればいいかわからず、うろたえるアウローラにディーノが指示を出す。
「上げたらもう一度下ろして、糸を巻くのを繰り返せ」
アウローラは言われた通りに竿とリールを操作して行くと、引っ張られている糸が次第に近づいてくる。
それを見越してディーノは自分の荷物から手網を取り出し、魚を掬い取るタイミングを伺っていたその時だった。
「きゃっ!」
釣り上げようと意識するあまり足元がおろそかになってしまったのか、小さな窪みに足が引っかかってしまい、アウローラの体制が崩れる。
ディーノはとっさに彼女の脇腹に手を回し、自分の側に抱き寄せて、湖に落ちてしまうのをかろうじて食い止めた。
「足元気をつけろ」
アウローラはディーノの声に黙ってうなづき、ぎこちないながらも巻き取られた糸が近寄ってきた。
改めて手網で魚を取ろうとして、ディーノはようやく自分が何をしていたのかに気がついた……。
危機回避のためだったとはいえ、アウローラの体を抱き寄せていたのだ。
彼女の細い腰に腕を回して背中が密着している状態で、アウローラの顔が真っ赤になっているのが背中越しに見えてしまう。
初めてで戸惑っていたかと思っていた動作がぎこちない本当の理由を察してしまった。
「わっ、悪い……」
慌ててディーノが腰から手を離して、魚をすくい取った。
「い、いえ……ありがとうございます」
釣りあがったのは三十センチを超えるなかなかの大物だったが、当の二人にとってはそんなことを気にする余裕などまるでなかった……。
そしてそんな様子をニヤニヤと見守っているのが約二名。
「いやぁ、いいもの見せてもらったねぇシエルちゃん♪」
「あたし、今日釣れなくてもいいかなぁ。魚よりおいしい光景が釣れちゃったし」
無責任に囃し立てるカルロとシエルに、ディーノは拳をプルプルと震わせながら無表情で怒りを向ける。
「ディ、ディーノさん落ち着いてください」
アウローラはなだめに入るのを見て、流石にカルロも頭を下げた。
「わかったわかった悪かったって。でもさ、ディーノも変わったね」
そう語るカルロは、まるで雛鳥の巣立ちを見守る親鳥のようでもあった。
少し前までの自分なら、確かに連れてこようなんて思わなかったことは違いなかったが、何もかも見透かしたような誇らしげな顔をされても少し腹立たしかった。
「勝手に夢見てろ」
ディーノはぶっきらぼうに返すと、自分の釣り竿を再び手に取って釣りを再開した。
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