猫よ、猫よ!

『なんだよその顔は?』

 ただの野良猫から意外な名前が忘れた頃に出て来たこともあって、冷静に言葉を返すことはより困難となる。

「本当に師匠が寄越したのか?」

『だからそう言ってんだろ、もうラチがあかないなぁ』

 ブチ猫、もといシュレントは跳び上がりながらマナの光を発する。

 ほどなくしてそれは人間が入れるほどの大きな輪として形を成して行った。

『まずは学園に戻るよ。ついて来て』

 このままこの空間にいても仕方がないことは、三人とも頭では理解できた。

 シュレントについて光の輪をくぐり抜けていけば、そこは黄昏を迎える見慣れた学園の校庭だった。

「転移の門みたいだ……」

 フリオが今起きたことに対するイメージの連想を口にする。

 どれほどの規模で可能かはわからないが、シュレントは空間に干渉する能力を備えているようだ。

「おいブチ猫。アウローラのいる場所へ俺たちを飛ばせるか?」

 ディーノはそれに対して、率直な疑問を投げかける。

『いきなり手のひら返すね。オイラを寄越した理由の半分はそのためだけどさ』

 シュレントは再び光の輪を虚空に描く。

『ただし、行くのはオイラとディーノだけだよ』

「どういう意味だ?」

 唐突に出された条件に対して、疑問符がわく。

 光の輪の先は戦場であるはずなのに、他の誰も連れて行くことを許可しないなどおかしな話だ。

 少しでも多くの戦力を投入して叩かなければ、アウローラの命が危ない。

『あいつにはお前が行かなきゃダメなんだよ。一応飯の恩くらいは返さないと』

 その言葉から、あの敵の正体が誰であるかをディーノは察した。

 細かい理由まではわからないが、自分が原因であるならば、自分で始末をつけろということだと。

『さぁ、行くよ!』

 ディーノはシュレントと共に光の輪へと飛び込んでいった。


   *   *   *


 雨の降りしきる暗闇の森に突如走った閃光は、闇に紛れる黒猫の両目を貫き視界を潰す。

『風よ! 我に駿馬の如し速さを! 疾速ヴェロント!!』

 アウローラは目を開く。

 光を直視していない分目がなれるのはこちらの方が早い。

 怯んで動きを止めたディロワールへ、速度を強化した一閃を繰り出した。

 だが、風を切る音を察したのか、一撃は肩の辺りを掠めるに終わり、後続の追撃も急所や致命傷を巧みにかわされている。

 速度を強化してもなお、純粋なスピードは向こうの方が上手であり、やがて目が慣れて来たディロワールにはかすりもしない。

 “光弓アルコルーチェ”を構成する”射撃”のカードは暴発によって失われているために、同じことはできない。

 魔術の効果も時間制限がある。

 スピードが鈍ったその時こそ、ディロワールが持つ爪牙の餌食となってしまう。

 残された手は一か八か”飛行”で高所から闘技祭のように氷の槍を投げつけるか、速度強化を暴発させて一瞬の加速に全てをかけて仕留めるか。

 どちらにしても勝算の薄い賭けであった。

 前者はこの空間の空がどこまで続いているかわからない、この雨がマナで凍らせられればいいが、そうでなかった場合手放したアルマさえも失ってしまう。

 加速にしても、障害物が多すぎるこの場所で攻撃に失敗して何かに激突すれば、その衝撃で骨や内臓に取り返しのつかないほどのダメージを受けてしまう危険性が高い。

 行くも地獄、留まるも地獄、残酷な二者択一を前にして、アウローラはジリ貧に追い込まれかけていた。

『ドウシテ! ドウシテワタクシハ! 何モ手ニ入ラナイノ!!』

 飛び込んでくるディロワールは叫び声をあげながら、アウローラに向けて爪を無茶苦茶に振り回す。

 槍で受け止めても関係ないと言わんばかりに攻めは止まらない。

『アナタガ! アナタサエイナクナレバ!!」

 追撃を同様に受け止めようとした瞬間、体ががくんと脱力感に襲われる。

 速度強化の時間制限が来てしまったアウローラの体は、ディロワールの両手に首をつかまれて絞め上げられる。

「ぐっ……」

『一番ニ……今度コソ』

 薄れて行く意識の中で、アウローラの耳に入った言葉が、目の前にいるディロワールの正体を雄弁に語らせた。

「イ……ザべ……ラ……さん……?」

 初等部の頃からずっと、いつも自分に張り合って来た腐れ縁のクラスメイト。

 真っ先に自分を狙って来たことも、そして今殺さんとしていることも、納得できてしまう。

 それほどの怒り、恨み、憎しみの権化を自分自身が作り出してしまっていたことに、心の中に黒い渦が巻き始める。

(わたし……ディーくんみたいに、なれないなぁ)

 思い出の中の光のような人間とは、自分が程遠いことを突きつけられたようで、次第に力も意識も抜けて行く最中のことだった。

「その手を……離せっ!!」

 心の中にいたはずの声とともに、八年の時を経て険しい顔と傷跡が面影すらもすっかり薄れた、あの無愛想な剣士が、ディロワールを蹴り飛ばしていた。

 態勢を崩したことでアウローラは解放されて無防備に地面に落ちる。

「待たせてすまねぇ。怪我は……大ありだな」

 向き直ることもなく、ただぶっきらぼうな言葉をアウローラに投げかけたディーノはディロワールに対して剣を構えることなく対峙していた。

「ディーノさん、あのディロワールは」

「わかってる。イザベラだろう?」

 一体、何をする気でいるのか、アウローラには見当がつかないでいた。

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