紅蓮の悪魔 −3−

 自身の送り出した尖兵を一蹴されたにもかかわらず、バレフォルは今なお落ち着き払った様子で悠然と構えている。

 これまでの事件を裏で糸を引いていた存在と言うこと以外に情報がなく、その佇まいだけで今までのディロワールとは格が違う存在だと言うことだけは嫌でも伝わってくる。

 邪魔なソルンブラだけを斬り伏せたディーノは、背後には目もくれずに眼前のバレフォルへ速度を落とさずに斬りかかった。

 紫色の閃光をまとった一撃は吸い込まれるように入ったと思った瞬間、紅蓮のマントだけを残してバレフォルの姿は陽炎のように消える。

 それとほぼ同時に首筋への熱を感じ、ディーノは反射的に前方へと跳躍し、地面を転がりながら方向転換する。

 自分がいたはずの場所を見やれば、地面から煙が三つほど細く立ち上っていた。

『お手並み拝見させてもらおうじゃないか』

 浮かび上がった紅蓮のマントを再びまとったバレフォルが両の手から炎を発すると、朱の輝きを放つ二振りの剣に姿を変えた。

『さぁ、仮面舞踏会を始めよう』

 バレフォルの体がゆらりと動いた。

 ぶれるような虚像を残しながら迫る影から、高熱を帯びた剣戟がディーノへと襲いかかる。

 ディーノは真正面からそれを受け止め攻勢に出ようとした瞬間のことだ。

「ぐっ……ああぁっ!!」

 頭上から振り下ろされたはずの剣戟は、ディーノの左わき腹を下から貫いて肉を焼き、二重の苦痛をディーノへと浴びせかける。

(こ、この戦い方は……)

 二刀流の剣術、幻影と合わせた波状攻撃、火と高熱を巧みに操るこの戦い方をディーノは身近に知っている。

『君は誰を思い浮かべたのかな?』

 人を食ったような、あるいは芝居がかった言動、この眼前の敵に対し今この場にいない男を連想してしまっていた。

(だとすりゃあ……)

 ぼやける視界の先、バレフォルの体ごしに入り込んだシエルの姿を捉える。

 頭の中に浮かび上がった仮説が真実となってしまえば……。

「知るかよっ!!」

 渾身の力を込めて、ディーノはバレフォルの腹を蹴り飛ばして、突き刺さった炎の剣を引き抜いた。

「行くぞヴォルゴーレッ!!」

 ディーノは叫ぶとともに全身に紫色のマナが集まり始める。

 アウローラを助けに行かなくてはならないが、出し惜しみをしていられる状況ではなかった。

「ディーノ君、僕たちも!!」

「引っ込んでろ!! 邪魔だッ!!」

 フリオが援護に入ろうとしたのだろう、両手に種を持って駆け寄ろうとするのを止める。

 シエルにも、フリオにも、割って入らせるわけにはいかなかった。

 集まったマナが稲妻を発しながら、ディーノの体を変化させて行く。

 手足は稲妻と同じ紫色、体を真冬の氷雪のごとく白に染まり、竜を模した鎧のような、見せるのは三度目となる異形の姿。

 ヴォルゴーレのマナを一時的に纏う、切り札と呼べる魔降術だ。

「てめぇの命は……あと一分だ」

『物騒だねぇ♪』

 余裕綽々のバレフォルだけでなく、取り囲むように今まで倒したのは小手調べと言わんばかりのソルンブラが襲いかかってきた。

「あーもう! うっとうしぃーっ!!」

 シエルが発する声が見えない砲弾となって五~六匹のソルンブラを一気に吹き飛ばす。

 攻撃後の隙を狙って飛びかかってくるソルンブラがカギ爪を持った腕を振りかぶって攻撃してくれば、前へ踏み込んで跳び膝蹴りを叩き込んで顎を跳ね上げ、小柄な体が軽やかに宙を舞い鮮やかな回し蹴りを見舞った。

 いつもカルロを蹴り飛ばしているからか、武術のように決まった型などなかったが、アクロバティックな動作に体が振り回されることなくついて行っている。

 ソルンブラの異形の手は鞭のようにしなりながら襲いかかってくるが、長いリーチはシエルのような小さい相手には、むしろ邪魔でしかないようだ。

「捕らえて」

 さらにその死角から狙ってくるソルンブラには、フリオが種を用いて急成長させたツルが拘束して動きを封じる。

 攻撃型の魔術には乏しいが、フリオも今の自分にできる戦い方でソルンブラを翻弄していた。

 雑兵に構っている余裕は時間的にも体力的にもない。

 シエルとフリオに任せられるなら、ディーノがすることはたった一つに絞られる。

 ディーノは一直線にバレフォルへと突進し、振りかぶったバスタードソードの一撃を振り下ろす。

 小細工など入る余地もない一閃をバレフォルは体を回転させて難なく捌き、それを利用した返しの二撃が迫る。

 高熱が凝縮された斬撃はディーノの白い体をなぞるが、一瞬の怯みもなく振り切った刃を逆方向へ横一文字に薙ぎ払う。

 ごう、と風を切る音とともに、まともに命中すれば胴体から真っ二つに分断できるであろう威力を読み取れた。

 しかし、それはあくまでも当たればということだ。

 渾身の力を込めて繰り出される一撃は、目を見張るようではあったが、とても優位に立っているものではなかった。

 暴風のような連撃の隙間を縫うように、バレフォルの放つ高熱の矢がディーノの体を射抜く。

 それを物ともせずにディーノは前進を続けて反撃に出る。

 しかし、どれだけ力任せの攻撃を繰り返そうとも、ふわふわと宙を舞う布のようなバレフォルの体を捕らえることは叶わない。

 決定打を与える見込みもないまま時間だけがすぎていく……。

 それこそが、ディーノとバレフォルの間にある決定的な差だった。

 一分の時間制限が存在するディーノは、一度この力を使えば短期決戦で相手を仕留めることを常に強いられている。

 だが、バレフォルにはそれがなく、防御と回避に徹して逃げ切ってしまえば、あとはいたぶり放題だ。

 そして、ディーノはシエルとフリオの加勢を頑なに拒んでいる。

 純粋な実力の問題ではなく、相性と心理的な要因で、ディーノに勝ち目がないことを本人はまだ気づいていなかった。

『苦しそうだねぇ、助けを求めてもいいんじゃないかい?』

 全てを察しているバレフォルは、その様を嘲るかのように語りかける。

 余裕綽々、あるいは大胆不敵にディーノの真正面に近寄っては、振り回されるバスタードソードをあっさりとかわしてみせる。

「できるかよ……大した変わり身じゃねぇか!!」

 空振りを繰り返したディーノの動きには徐々に鈍りが見え始める。

 短期決戦に狙いを絞りきった結果、体力を配分する計算さえも狂っていく。

『変わり身か、果たして何のことやら』

「その口を……今すぐ閉じろぉっ!!」

 腹の底にたまりきった怒気を吐き出すとともに、何度目かわからない大振りの一撃を放とうとしたディーノの足がもつれてバランスを崩した。

 接近していたバレフォルに体を預けるような形となって密着して、肩で息をしたまま動かない。

 体力の限界が近づいたディーノが仕留められるのは時間の問題、この場にいた誰もがそう思った。

 バレフォルが炎の刃を背中に突き立てようと右腕を振り上げる。

「ようやく……捕まえたぜ」

 当の本人にしか聞こえないほどの小声が、バレフォルの耳に届いた瞬間、鈍い音が響いた。

 剣を振り回すことなど到底かなわないような、超接近戦の間合い。

 ディーノは片手に剣を持ち替え、踏み込んだ右足から腰の回転へと力を伝え、胴へ向けて右拳を叩き込んでいた。

『ごはぁっ!!』

 拳闘の専門家でもできる者は少ないだろう、至近距離のボディブローだった。

『最初から……狙って』

 距離を取ろうとしたバレフォルの右腕を、バスタードソードを完全に手放して空いた左腕でつかむと、強引に引き戻して追撃の二発目をみぞおちに叩き込んだ。

 紫の閃光と共に右拳のショートアッパーがバレフォルを貫いた。

 周りが見えないふりをしつつ、力任せの大振りを繰り返して油断を誘い、嘲るために近寄ってきたところへ、相手が想像し得ない攻撃を叩き込む。

 時間制限とスタミナの配分を天秤にかけた分の悪い賭けだったが、成功報酬は大きい。

「てめぇは叩き斬るよりも、殴り倒したかったんだよ……カルロ」

 シエルとフリオにだけは聞こえないように、絞り出すように発した小声で、その鎧の下の姿と確信した名前をディーノは吐き出した。

 なぜ、ディーノの戦い方を看破していたのか?

 なぜ、いの一番に近づいてちょっかいをかけ続けてきていたのか?

 なぜ、ディーノと知り合う前から、シエルの活動に付き合い続けたのか?

 導き出した答えはただ一つ。

 カルロが見えざる敵に関わっている人間だということだった。

 そうであれば、全ての疑問に対してのつじつまが合う。

「砕けろぉぉっ!!」

 大きく弧を描いたディーノの拳がバレフォルの顔面をぶち抜いた。

 天から降りた稲妻がその体を脳天から足まで貫き、ミシミシと音を立てて骸骨にヒビが入っていく。

「てめぇの事情は知らねぇが、砕かせてもらうぞっ!!」

 赤黒く胸に輝く宝石に向かって拳を振り下ろそうとした瞬間、ディーノは背中に熱を伴う痛みが走った。

 勝利を確信した一瞬に生じる僅かな隙、バレフォルはそれを見逃さずに無防備となった背中へ炎の矢を打ち込み、ディーノが先ほどしたように腹に蹴りを入れて拘束状態から脱出する。

『名残惜しいけど、ここで退場させてもらうよ』

「待ちやがれ!!」

『待てと言われて待つ愚か者がいると思うかい?』

 ディーノは手放したバスタードソードを拾い上げて反撃に出ようとするが、それだけを言い残したバレフォルは煙のように消えていく。

 奴の作り出したこの空間が途切れることはなく、ソルンブラがディーノたちの目の前に立ちはだかっていた。

 自分が劣勢とみればあっさりと引き下がったことで、ようやくディーノは合点がいった。

 奴の目的は最初から時間稼ぎだったのだ。

 イザベラの望みを歪んだ形で叶えさせるために、アウローラと自分たちを分断したのならば説明がつく。

 ならば雑兵に構っている時間はない。

 一撃でケリをつけようと稲妻を呼ぼうとした瞬間、ディーノの体からマナの粒子が弾け飛ぶように霧散して元の姿に戻っていく。

「くそっ! 時間切れか」

 襲いかかってくるソルンブラたちを迎撃しようとしたディーノの背後から、爆音とともに火の玉がすり抜けてソルンブラをぶち抜いた。

「一人で頑張りすぎだってば! ちょっとはあたしたちを頼ってよ!」

 叫ぶシエルが構えていた竜火銃ドレイガの銃身が煙を吐き出している様は、彼女の感情をそのまま代弁しているようにも見えた。

「だったらもっと強くなるんだな。今のお前らじゃアレの相手が関の山だ」

 ディーノは憎まれ口とともに再び剣を構えたが、ふと違和感が芽生える。

 出てきたソルンブラは十匹前後、シエルが撃った弾丸が四発、なのに敵が減っている様子がない。

 先ほどもそうだ。

 シエルたちが加勢に入ろうとしたタイミングを見計らうかのように数が増え始めたのだ。

 ディーノは一番近くにいたソルンブラに接近して叩き斬る。

 するとその一匹は霧散して消えたと思った直後に、また元の状態に戻ってしまっていた。

「ひょっとして……”屍人ゾンビ”?」

 フリオが魔獣の種類を指摘する。

 それは、人間の死体に小さな魔獣が寄生することで生まれる不死の怪物だ。

『厄介だな……。それならば”光”のマナで浄化せねば増え続けるぞ』

「だったら、動きを止める!!」

 フリオが無数の種をばら撒いて、自身のマナで発芽させ、急激に育っていく植物の蔦がソルンブラたちを絡め取っていく。

 倒せないのならば動きを止める、発想としては悪くないが、根本的な解決策がなければジリ貧だった。

 そして、自分たちはこの空間から脱出するすべを知らない。

 今までは作り出したディロワールを倒せば戻ると思っていたが、バレフォルはすでに逃げられている。

 思考が八方ふさがりとなりかけたその時だった。

『右端のやつを狙え』

 ディーノたちに何者かもわからない声が響いた。

「何者だ!」

『いいから早く!』

 ディーノは言われるがままにフリオが動きを止めていた右端のソルンブラを切り倒す。

 すると、他のソルンブラと違い、そいつからは宝石が姿を表していた。

『そいつを砕け』

「言われるまでもねぇよ」

 剣を突き立てて宝石が砕け散るとともに、残りのソルンブラたちが一瞬で消え失せた。

 どうやら、一匹の本体を叩かなくては無限に沸き出る特性を持っていたようだ。

 ようやく戦いが決着したことに安堵するディーノたちの前に一匹の猫が姿を現していた。

『やぁ、ようやく会えたね。ディーノ』

 声を発しているそいつは、イザベラが拾ったブチ猫だ。

『オイラは幻獣”シュレント”。ヴィオレの使いでここに来た』

 猫の発した一言に、ディーノの思考は石のように固まっていた。

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