紅蓮の悪魔 −1−

 猫のディロワールとアウローラの姿が消えるのを、残されたディーノ達四人はただ見送ることしかできなかった。

「くそっ!」

 ディーノは毒づきながら、アウローラのいた虚空に向けてバスタードソードを振り回す。

 だが、怒りに任せた一撃は文字通り虚空を切って、無駄に終わるのは誰の目にも明らかだった。

 ぎりぎりと歯を食いしばり、眉間のシワが倍以上に増えた激情の矛先は、襲いかかってきた敵でもなければ、そばにいながらも反応の遅れた三人でもなく、みすみす敵を逃してしまった無様で不甲斐ない己自身であった。

「シエル! 猫が出てくる怪談はあるか!?」

 間髪を入れずにディーノはシエルに詰め寄って両肩をつかみ、叫ぶように問いただす。

「ちょ、ディーノ! 痛いっ!」

 どこか冷めたような表情と、ぶっきらぼうな言動ばかりのディーノが、ここまで余裕をなくす姿など、この場の誰もが思いも寄らないものだったことは想像に難くない。

 ただ一人を除いては……。

「落ち着けっての」

 誰が見てもわかるディーノの激情にひるむことなく、カルロはその頭を軽く小突いた。

「僕たちは敵を知らない。敵は僕たちを知っている。熱くなったら見えるものも見えなくなるよ?」

 まっすぐに目を見るカルロが言わんとしていることは理解できる。

 今は敵の方が自分たちよりも上手だからこそ、その敵を捉えるためには冷静さを欠いてはならない。

「バカルロにしちゃ、まともなこと言うじゃない」

「あらあら手厳しい♪」

 いつになく、女絡みのことを口にしないカルロに感心したのか、シエルが皮肉交じりの賛辞を送る。

「ねぇ、ディーノ君。あの猫探してみない?」

 フリオの言葉にディーノは今までのことを思い返す。

 ここ最近で起きた出来事の中で思い当たる猫と言えば、イザベラが拾ったと言っていた捨て猫。

 そして、真っ先にアウローラを狙ってきた事実関係から、断定はできないがあのブチ猫とイザベラが関与している可能性は十分にありえる。

「考えられるのは三つだな」

 ディーノが考えた可能性の一つ目は、あのブチ猫がイザベラに黒い宝石を与えてディロワール化させた。

 二つ目は、ブチ猫とイザベラが自身とヴォルゴーレのように魔降術の契約に近い方法であの姿になった。

 三つ目は、イザベラと無関係にあの姿がブチ猫の正体である。

「最悪なのは三つ目だ。こっちから手の出しようがない」

「そればっかりは祈るしかないっしょ。とにかく徹底的に探し回ろう。猫だったら校舎の外だね」

 下校の時刻が迫ってくれば、見回りの教師もいるだろうし強制的に帰らされてしまうため、残された時間はそう多くはない。

 あくまでも推論に過ぎないが、行動の指針が決定してシエルの一声を合図に動こうとしたその時だった。

『残念だけど、それは困るなぁ』

 どこからともなく響く声、一同が反応したその瞬間、周囲は見知らぬ漆黒の世界に変わっていた。

 青白く燃ゆる燭台に囲まれた円形のフィールドは空が見えず、屋内かどうかもわからない。

 森のように立ち並ぶ柱も自分たちが立っている地面も、自然物か人工物か判別もつかないが、どことなく神殿の広間のように思えた。

 完全な暗闇でもなく、お互いの姿を確認することはできる。

「カルロ君は?」

 状況の変化に気を取られたいたディーノとシエルが、フリオの言葉で初めて認識した事実。

 ここに放り込まれたのは三人だけだ。

 となると、カルロはどこへ? さらなる伏兵がいるということか?

 しかし、各個撃破を狙うにしては人数が偏り過ぎていたが、それ以上のことを考えるのは状況が許してはくれなかった。

 味わうのは三度目となるじっくりと煮詰めた汚濁の中に放り込まれたような不快感が、これから現れる存在の正体を雄弁に物語っていた。

『やぁ、お初にお目にかかるねぇ』

 細身でありながら鎧のような硬質さを感じさせる漆黒の肉体、それを覆うのは裾がボロボロになった深紅のマント、骸骨のような頭には片方が途中で折れた二本の角を生やした異形が、親しい友人に話しかけるような態度で言葉を放つ。

 だが、その落ち着いた物腰が、今まで遭遇したディロワールとは明らかに違うことを感じるには十分すぎる。

 マクシミリアンや三人組に見られた、与えられた力によって生じた病的な精神の歪みがこいつにはない。

 ディーノの中で考えられる結論はたった一つだけだ。

「あいつらを化け物にしてたのは、てめぇだな?」

『その通り、私は”バレフォル”。ディロワール七星の一人だ。”焔星ほむらぼしの魔女”の直弟子君♪』

 余裕綽々と言わんばかりに自己紹介をするディロワールは、手のひらから無数の火球を出してお手玉を始め、曲芸の舞台に立つ手慣れた道化師のようにも見える。

『敬意を込めて”紅蓮”と呼んでくれて構わないよ?』

「ざっけんなぁ!!」

 割って入るように、シエルは”竜火銃ドレイガ”をバレフォルへと向けて引き金を絞り乱射する。

 爆音ともに放たれた弾丸は、手の上に放られて輪を描いていた火球を撃ち抜いて凍りつく。

 弾丸に使われているのは、水のマナを秘めた宝石の屑石だろう。

『ほう、竜火銃……。珍しいねぇ”彼”を思い出すよ』

 バレフォルの言葉に、シエルの顔色は空間を照らす燭台の炎よりも蒼白に染まっていった。

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