魔猫と戦女神 −2−

 アウローラが迫り来る爪の一撃を三叉槍の柄で受け止める。

 その直後に感じる重い空気、学園にいたはずの自分が放り込まれたのは暗闇が支配する森の中だった。

 冷たい雨が体を濡らし、言い表せぬ不快感と同時に心身を蝕んでくる。

 自分自身、そしてアルマのマナが減衰する異常な空間が、目の前にいるディロワールが引き起こしたことを確信させる。

『フシャーッ!!』

 ディロワールは、再び低い姿勢から威嚇とともに襲いかかってきた。

 そいつの武器は人間を超えたスピードだけではない。

 アウローラが距離を取ろうと槍を薙ぎ払っても、それ以上に低い体勢でかいくぐり一気に距離を詰めてくる。

 手甲から長く伸びた爪が脇腹を引き裂かんと迫り来るのを、バックステップでかろうじて避けようと試みるが、完全にかわし切るには至らず、純白の魔衣ストゥーガの切れ端が舞い散り、裂け目を赤く染める。

 攻撃はそれだけで終わらない。

 高く飛び上がったディロワールは、周囲の木々の枝から枝へと跳び移る。

『光よ、射抜け! 光弓アルコルーチェ

 白く輝く複数の矢がアウローラの周囲で形成され、ディロワールへ向けて放たれる。

 だが、速いだけでなく変則的なディロワールの動きは、直線的な”点”の攻撃である光の矢で捕らえ切ることはできない。

 猫が持ち得る柔軟性は人間に不可能な動きを可能にし、元来住処としていた森の中での優位性は圧倒的だ。

 ならば、自分の得意とする飛行魔術で空から翻弄しようにも、生い茂る木々の中からディロワールを目だけで捕らえて攻撃を加えるのは不可能に近いだろう。

 闇に溶け込んだ漆黒が保護色となり、そして雨音によって視覚と聴覚が封じられればディロワールは、アウローラの背後をほぼ真上から枝を蹴って矢のような加速とともに爪を振り下ろした。

「あああぁっ!!」

 深々と爪を立てられた背中から、いつもは光の魔術で神々しく現れる翼のように真紅の血しぶきが舞い散る。

『一番ヲ……消ス! 殺ス!』

 男か女かもわからない鈍色のくぐもった声が暗闇に響く。

 再びディロワールが跳躍して木々の合間に姿を隠す。

 ここは”狩場”だ。

 人間相手の戦いのルールなどまるで通用しない、ここにいるのは狩る者と狩られる者、たった一つの命をかけて奪い合うだけの、シンプルな世界。

『これで〇勝十敗目だね』

 いつかの女好きなクラスメイトの言葉が頭の中で反芻する。

 奇しくもこの状況は、カルロに稽古をつけてもらっていた状況によく似ていた。

 こんな状況になることを見越していたのかまではわからないが、自分の得意とする状況で戦えないことくらいは想定するべきだと考えていたのだろう。

 ならばどうする?

 高速の飛行も、槍のリーチも、射撃の魔術も封じられ、さらにマナの少ないこの状況を打開する手立てはあるか?

(わたしの魔術で残っているのは、水のマナの武器強化と速度強化、そして治癒。でもスピードでは完全に負けてるし、この状態で氷の槍はわたしまで凍ってしまう。あとは……)

 一つだけ思い当たるのは、シエルと共に戦った時に発現した強大な光のマナ。

 ディーノがテンポリーフォやマクシミリアンを打ち倒した時に出たものとよく似ている”あの力”なら、魔降術士でなくとも出せるかもしれない。

 しかし、アウローラは全力で否定する。

 あれ以来全く出せた試しがないものを、こんな状況で都合よく期待するのは筋違いと言うものだ。

(それに槍が当たらなかったら、どんなに強い光でも……光!)

 アウローラの中で一つの答えが繋がった。

 目を閉じると力を抜いて自然に立ち、体にめぐるマナを一点に集めていくイメージを浮かべて精神を集中していく。

 槍の穂先に暗闇の海を行く船を導く灯台のような光明を、あるいは雲間から町並みを照らす雨上がりの太陽を……。

 ディロワールが上からの攻撃を仕掛けてくる一瞬にアウローラは全てをかけた。

『光よ、射抜け! 光弓アルコルーチェ

 槍を掲げあげて呪文を詠唱するが、光の矢は発現しない。

 ただのハッタリと確信したのか、ディロワールは速度を緩めることなく突撃してきた瞬間だった。

『ギャアアアアァァァッ!!』

 槍の穂先から強烈な閃光が周囲を照らす。

 森を覆い尽くす漆黒が白すぎるほどの純白に染め上げられるほどの光。

 魔符術は基本、一定のマナさえあれば発動するが、それ以上のマナを込めればどうなるか?

 多ければ多いほどいいと言うものではなく、アルマが制御できるマナには限界がある。

 器に水を入れすぎれば、溢れ出すのは当然の帰結である。

 アウローラのアルマから二枚のカードが飛び出して消滅し、それと引き換えに過剰に込められた光のマナが”暴発”する。

 それは、この暗闇に慣れた目を潰すには十分すぎるほど実体のない凶器となって、ディロワールに襲いかかったのだ。

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