魔猫と戦女神 −1−
夕刻が差し迫って、生徒が完全下校する時刻を迎え、ディーノたち五人が部室を施錠して旧校舎から出れば、東に夜の帳が垂れ下がり始めた空はオレンジとネイビーブルーの二色に別れていた。
シエルの戦う理由を知った中、それぞれ思うところがあるのか、誰一人として口を開くことなく、極めて珍しい沈黙が支配していた。
『いつにも増して無口になったものだな』
(話しかけんな)
頭に響くヴォルゴーレの声にも、ディーノは返すことが億劫になっていた。
この面子の中では一番能天気で悩みなど何もなさそうなシエルが、今まで誰にも語ることなく見えない敵と戦おうとしていたなどと考えも及ばなかった。
しかし、アウローラがマクシミリアンに囚われた時、たとえ自分が動かなかったとしても、シエルは助けに行っただろうと今は思える。
沈みかけている夕日は朱の輝きを帯び、照らされた学園の校舎は見方を変えれば燃えているように錯覚させられる。
『……あなたは生きて』
その光景から連想してディーノの頭によぎったのは、振り切ってしまいたい過去の幻影……。
だが、大事なものを失っているのは何も自分だけではなかった。
むしろ真実が見えてこないことも考えれば、明るく振る舞っていても本当はいまにも押しつぶされそうな心を必死に奮い立たせている結果なのかもしれない。
誰かを恨むこともなく、それを周りに感じさせることのないシエルもまた、自分が持ち得ない強さを持っていると改めて思い知らされる。
「ディーノさん?」
声をかけられた方に顔を向けると、アウローラが心配げに何かを察したような表情をこちらに向けてきていた。
「なんだよ?」
口に出した言葉は自分でもトゲのある返しになってしまったかもしれないと感じるほどに抑揚がない。
「何か嫌なことを思い出したんですか?」
それでも、アウローラは不快な顔をすることなく問いかけを止めることはなかった。
「どうしてそう思う?」
「だって、わたしが前にご家族のことを聞いたときと同じ顔してましたから」
あの時は、よく知りもしない相手に触れられるのも嫌だったし、自分以外の人間を信用していなかったこともあった。
少なくとも今は、この四人ならばそんなことはないと思えるが、だからと言って簡単に明かす気にはなれないのが本音だった。
「わたしじゃ、ディーノさんの力にはなれないんですか?」
その言葉はきっと、言い出したくても言い出せなかったことでもあるのだろう。
互いに思い出の相手だと知って、それでも今度は別の意味で飛び越えることが困難な壁に突き当たってがんじがらめになる。
「誰がいつそんなこと言った? そっちこそそんな顔するんじゃねぇよ」
ディーノはそっぽを向いて足早に歩き出す。
「アウローラちゃんは十分心のオアシスになってるし、笑顔でいてくれた方が可愛いのに〜だってさ♪」
「て、てめぇ何言ってやがる!?」
横から口を出してきたカルロのあんまりと言えばあんまりな意訳に、ディーノは思わず声を荒げる。
図星を突かれたディーノの顔が夕ぐれの光に隠れて赤く染まっているのを、カルロだけがそれに気づいて笑顔を崩さないでいる。
「もーちょっと素直になったって、誰も文句言わないんじゃないかな〜ディーく『調子に乗るなっ!!』げふぁっ!!」
背後から近づいていたシエルが、無防備なカルロの股間を躊躇なく蹴り上げる。
「カルロ君は学習しないよね」
「どうせシエルが蹴り飛ばすんだ。いちいち気にするぐらいなら、花の面倒見てろ」
「あはは……肝に銘じるよ(ディーノ君も結構ムキになってるのに)」
呆れしかない顔でぼやくディーノにフリオが苦笑いを浮かべながら返す。
このやりとりが出てくるということは、シエルの中では本調子に戻ってきているということかと傍目に見ていた他の三人は結論づけた。
場の空気が緩みかけたその時だった。
常人ならば気にも留めないほどに小さな空気の震え、ぞくりと背筋を張って伝わる悪寒をディーノは感じ取り、制服のポケットに入ったカードを取り出す。
その様子の変化に四人ともが何が起きているのかを察していた。
敵だ。
敵が自分たちを狙ってやってくる。
予告もなく、目的を教えることもなく、光と影が入り混じるこの瞬間に、誰も気づくことのない闇が姿を現わす。
わずか一瞬の出来事だった。
漆黒の影は疾風の如く自分たちを横切ってすり抜ける。
「何あれ?」
「ネコ?」
周囲には自分たちを除いて誰の人影もない。
猫と人間を掛け合わせたようなシルエットを持ったそいつは、両手足を地面について姿勢を低く保って狩りを行う体勢をとる。
「ディロワールか……」
この人数を相手に敵は一人、これまでの法則から考えれば、誰かしらがまた怪物に姿を変えているということになる。
「来い」
ディーノはカードに向けて念じると、愛用のバスタードソードが姿を現し、黒の
それに倣うようにアウローラ、シエル、カルロ、フリオもアルマと魔衣を顕現して臨戦態勢を整えた。
猫人が地面を蹴って一直線に疾駆するのに合わせて、ディーノが前に出て斬りかかる。
剣と爪が交差するかと思われたその瞬間、ディーノの眼前で猫人は両手をついて、全身をバネのようにしならせながら飛び越えた。
人間以上のスピードと猫のようなしなやかさが、最初からディーノにはまるで関心などないように、まっすぐ振り下ろされた剣の刃をあざ笑うかのようにかわして見せた。
猫人がディーノをすり抜けた視線の先にいるのはたった一人、他には目もくれずに突進した先にいたのは三叉槍を構えたアウローラだ。
ディーノが体を切り返すが、カルロ、シエル、フリオも猫人の速度と動きに対して反応もままならないままアウローラへの接近を許してしまっている。
手の甲から暗器のように長く伸びた爪が、その顔めがけて振り下ろされた瞬間、アウローラと猫人の姿が四人の前から、予兆を感じさせることなく煙のように消えていた。
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