魔降剣士に恋する猫
一番を求める少女
『常に一番でありなさい』
物心ついた時から毎日のように聞かされ続けた言葉だった。
貴族とは血統だけでなく、人の上に立つべき実力と品格、そして器を持ち合わせるもの。
疑問を抱いたことはなかったし、二人の兄に負けぬよう、日々研鑽を積むことは時折苦しくとも充実した日々だったことは良く覚えている。
もっとも、芸術の観点で神は自分に才能を与えてはくれなかったようで、下から数えて一番を争えそうだと、こればかりは家族にも使用人たちにも揃ってため息をつかれてしまったが、それは置いておこう。
魔術の基礎となるマナには恵まれていたことで、今も通うイルミナーレ魔術学園に初等部から入学し、そこでも自分は一番であれるという自信と自負はあった。
自身の前に彼女が現れるまでは……。
『あうろーら・ゆんぐりんぐです! みなさんよろしくおねがいします』
一点の曇りも感じられない黄金の輝きを秘めた女から味わわされたのは、生まれて初めての敗北、それは今なお続く連鎖の始まり。
一回きりなら、聞き覚えのない家名からして、僻地の田舎貴族か他国からの移民か、その程度の相手だと侮ったと言い訳もできたことだろう。
『わぁ、すごい! あうろーらさんまたひゃくてん』
『あうろーらさん、クラスでいちばんだね』
何においても彼女にだけは上を行かれ、そんな彼女の周りには自然と人が集まってくる。
才覚だけではなく、相応の品格と人望を持ちながらも、自らの地位を鼻にかけている様子もない。
そういった振る舞いが、身分による壁など感じさせないことは理解できた。
自分には逆立ちしてもできっこないと思わされたし、やったところで猿真似、二番煎じと言った印象は拭えないことだろう。
それにひきかえ自分は……。
『末妹だからと言って甘えるな』
『名も知らぬ貴族に負け続けているのか』
『ヘヴェリウス家の名に泥を塗ってくれるなよ』
「いや……、いやぁぁぁぁっ!!」
黒塗りの影たちが、口々に自分を非難する様から背を向けて一目散に走り出す。
ここは自分がいるべき場所ではない、一秒でも早くいなくなってしまいたい。
追いかけてくる影はやがて、何者か判別のつかない巨大な塊となって、無数の手を伸ばしてくる。
一番になれない自分への絶望は、自分が一番よく知っていても、喰らい尽くそうとするこの手は止まってなどくれない。
「一番じゃないわたしなんて、死んじゃえばいい」
目に涙を浮かべながら、ただただ食われるのを待つしかない自分の前に、白銀の馬が現れる。
「それは違う」
その馬は次第に人の姿へと変わっていき、その手に携えた剣によって、黒の怪物を一撃でなぎ払った。
「子を愛していない親などいないよ」
まだ、空が白んでもいない頃、イザベラ・フォン・へヴェリウスは寮の自室で目を覚ました。
燃え立つようなバーミリオンの長髪は乱れに乱れ、汗を吸って透けたネグリジェが同級生の中では群を抜いているだろう巨乳を強調するように張り付いていた。
「……最悪ですわ」
久しく見ていなかった悪夢に、心の内側をえぐられかけて独りごちる。
イザベラがベッドの傍に置かれてあったネコのぬいぐるみに、無言でぎゅーっと抱きついて、再び眠りにつこうとした時だった。
窓の外に小さな影が丸まっているのが目につき、近づいて窓を静かに開けると、ぴょこんと部屋の中へと飛び込んで来る。
「ダメですわ、ブチちゃん。ご飯は明日の朝まで待ってちょうだい」
闖入者に対してイザベラは優しい言葉をかけながら抱き上げる。
その正体は、茶色と白が不規則に混ざった毛色が特徴の仔猫、つい最近敷地内に迷い込んできたのを見つけたのが始まりだった。
「忘れたりしませんから、今は出ていなさい」
窓の外へと仔猫を逃して、イザベラはベッドへと戻り、もう一つの記憶に思いを馳せた。
「エンツォ様……」
子どもの頃の記憶は鮮烈かつ曖昧、細かいことなどほとんど覚えてはいないが、その名前と姿だけは残っている。
雄々しく、凛々しく、神々しい白銀の跳ね馬、そう例えるに値する立派な騎士。
演劇や詩歌から飛び出てきたような、英雄と言うのはあのような人物を指して呼ぶのだろうと実感できるほどの人物。
あのような人を親に持って育つ子供は、自分なんかよりもきっと幸せだろうと思わされた。
不思議と悪夢が薄れていき、まどろむイザベラの意識は再び夢の世界へと誘われていった……。
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