三つの戦い −5−

 アウローラ、シエル、カルロの三人が戦っていたのと時を同じくして、ディーノもまた別の空間での戦いを強いられていた。

 苦しむフリオを背にして黒の魔衣ストゥーガをまとい、ディロワールと化したモンテと対峙する。

『燃えやがれよぉぉっ!!』

 モンテの両肩に現れた筒から怒号とともに放たれたのは、人間の頭ほどある大きさの一発の火球だ。

 ディーノは反射的にその火球を両断して防ごうと前に出たことで、初めて自分の置かれた状況を再認識する。

(まずい……剣がない)

 魔降術は魔符術と違ってアルマを必要としない。

 差し当たって魔術を使うことに問題はないが、逆にカード化して持ち歩くことのできるアルマと違って、実物の武器を学園に持ち込むことは禁じられている。

 しかも、この空間では魔降術も魔符術も弱体化されてしまうことはマクシミリアンとの戦いで経験済みだ。

 そうなると、威力が左右されない愛用のバスタードソードがこの場にないことはディーノにとっては決して無視できないマイナスファクターとなっていた。

 だが、迷っている暇などありはしない。

 モンテの目的は、フリオのために作られたこの花壇を目の前で跡形もなく吹き飛ばして焼き尽くすことと見て間違いないだろう。

 ディーノはマナをかき集め、弱々しいながらも稲妻がまとわれた右拳で、放たれた火球を躊躇なく殴りつけた。

 耳をつんざく爆音と共に、黒煙が舞い上がって炎が霧散する。

「……効かねぇな」

 煙が晴れて現れたディーノの姿は、草色のマントが焼け焦げながらはためき、黒いすすが体に降りかっている。

 絞り出したような声を出しながらもニヤリと笑みを浮かべるディーノだが、火傷で腫れ上がった右拳が、決して楽ではないことを物語っていた。

『けけけっ! ならもっとくれてやるよぉ~っ!!』

 その様子を見たモンテは味を占めたように笑い、さらに火球を連発してくる。

 仮に挑発を加えて逃げ回ったとしても、今のモンテに効果はないだろう。

 ディーノは両手両足に先ほどと同様に稲妻を落とし、火球を迎撃にかかった。

 一発目を先ほどと同じ右拳で消しとばし、続く二発目を左足で蹴り上げ、三発、四発目と続く攻撃を叩き落としつつ、再び稲妻を自らに向けて落とす。

 剣の有無にかかわらず、魔術で呼び寄せた稲妻は本物と同じわずか一瞬の効力であり、普段の戦い方で体にとどめておくことはできない。

 遠くの相手を攻撃することも、投げた剣に落とすという間接的な形になる。

 今のディーノにできることは、フリオの花壇を守るために、火球を今出せる全力で攻撃し相殺することだけだった。

『ほーれ♪ がんばれがんばれ~♪』

 モンテがどれだけの力を見めているかはわからないが、火球の手数はまだまだ増えていく。

 このままではジリ貧だということは明白だった。

 ならばどうする?

 ヴォルゴーレと一体化して一気に攻めるか。

 かと言って、それ以上に出すための条件が不確定な”あの力”の発現に期待するなど論外だった。

 しかし、マナが大きく減退してしまうこの空間で受けに回っていたとしても、活路など見えはしなかった。

『こいつでとどめだぁっ!!』

 モンテが勝利を確信したような叫びとともに、その腹部が大きく口を開くと、その奥に向かってどんどん禍々しいマナが収束していく。

 口ぶりからして切り札であること違いないが、乱射される火球も捌き切れないまま、発射を阻止することは今のディーノには不可能に近い。

 迷いという名の枷に囚われたディーノに向かって、モンテの腹の口から高熱の本流が吐き出され、視界は真っ白に染まっていく。

 断末の叫びをあげることすらも許さないだろうその一撃に呑まれながらも、ディーノは花壇への道だけは開けることはなかった。

 吐き出される荒い息すらも焼かれそうな高熱に曝されながら、魔衣が真っ黒に焦げながら、それでもディーノは立っていた。

「こんなんじゃ……日焼けもできねぇなぁ……?」

『ふっ……ざけやがってぇぇぇぇッッ!!』

 圧倒的な力の差を味わわされているはずにも関わらず、余裕さえも感じる挑発の言葉にモンテはさらに火球を連発する。

 腹の口は連発できないのか、煙を吹いたまま沈黙しているが、動くことのできないディーノならば、それだけでも十分すぎる火力だった。

 迎撃するだけの力が残っていないのか、ディーノはただただ火球を受け続け、内臓までもやられているのか、口から盛大に血を吐き出しながら、それでもなお倒れることはない。

『ゲヒャヒャヒャヒャっ! 思い知ったか! 何もかも一緒に燃やして、女もオレたち三人でちゃぁんと可愛がってやるよぉ』

 下卑た笑いをあげるモンテ。

 ただただ、自分を満たすためだけに人を虐げることに生き甲斐を見出す、胸の宝石と同じドス黒く染まった心を現したような醜い怪物は勝利を確信したその時だった。

『げほぁっ!!』

 モンテの左の脇腹、人間で言えば肝臓がある位置に向かってディーノの左拳が突き刺さっていた。

 驚きと同時に鈍い痛みがモンテの神経を通って脳に伝達される。

 人間よりも強靭な肉体、魔術の使用を阻害する空間、絶対的な有利にも関わらず生きた一撃を叩き込まれた事実がモンテの精神に揺さぶりをかけた。

「……燃やすだと? してみろよ?」

 今度は右の拳が脇腹に叩き込まれる。

 人間相手ならば、肋骨を粉砕しかねないほどの威力を秘めた一撃がモンテの体を”く”の字に曲げた。

 それだけで攻撃は終わらない、下がってきた馬面に合わせてディーノも腰を落とし、そのまま右のアッパーカットが天へと向かって放たれ、モンテの顎を跳ね上げた。

 棒立ちになって無防備になった肝臓へ再び拳を叩き込み、下がってきた右側頭部にフックを見舞った所へ返す刀で左フックがもう一度顎を貫いて跳ね上げる。

 胴体と頭を交互に攻められるモンテの体は、起き上がり小法師のように上下左右に揺れ動く。

 内臓を骨ごと潰し、脳を縦に揺らすコンビネーションは人間相手に拳闘の試合でもしていれば相手はとうに戦闘不能となっているだろう。

「アウローラとシエルを犯すだと? だったらやることは一つだ。もう容赦はしねぇ」

 渇いた声で言い放つディーノの声は、フリオが知る限り初めて聞くほどの憎悪と殺意が込められたものだった。

 肝臓、顎、側頭部、狙う部分は全て人間の急所、ディーノの格闘術はルールに守られた試合に勝つためのものではなく、対峙した敵を確実に殺すために練られている。

『ひっ……く、来るんじゃねぇっ!!』

 その様に恐れを抱いたモンテは後ずさり、それを追ってゆっくりとにじり寄ってくるディーノに向かって、モンテはマナの充填が完了したのか、腹の口から再び炎の砲撃を浴びせかける。

 真紅の光に染まる視界の中で、一つの影はまるで何事も起きなかったかのように、歩みを止めずモンテに向かってくる。

 口は災いの元。

 この状況を適切に表現する言葉が他にあろうか?

 歪んだ欲望を満たしかけて口から出た一言は、ディーノの内なる怪物を完全に呼び起こしてしまっていた。

「……死ね」

 轟音が鳴り響き、強大な稲妻がまとわれたディーノの拳がモンテの腹に再び突き刺さった。

 ボキボキと鈍い音を立てて、再びその体が大きく曲がる。

 ヴォルゴーレとの一体化をしていないにも関わらず、ディロワールと化したモンテが作ったこの空間でさえも、ディーノの沸き上がるマナは止まらない。

 ディーノの怒りが稲妻に、拳に宿り荒れ狂っているかのようだった。

『くっそぉ……なめやがってなめやがって! 死ぬのはてめぇだぁぁっ!!』

 恐怖に屈しかけた体に無理やり鞭を打つかのように立ち上がったモンテの体に変化が生じる。

 全身が痙攣したかのような怪しい動きとともに、馬面の首が鈍い音とともに一八〇度回転する。

 その後ろから現れたのは獅子の顔。

 異形の体格は倍以上に膨れ上がって真紅に染まり、砲身だった部分が二振りの両刃剣に変化し、その両手に握り込んだ。

『こうなったら、真っ二つにしてやる! 覚悟しやがれ!』

 砲撃をいくら繰り返してもディーノは退かないと悟ったのか、接近戦で直接叩き潰す戦法に切り替える気のようだ。

 ディーノは微動だにせず、姿を変えたモンテへ変わらぬ殺意を向けていた。

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