太古の闇

 まだ日も昇り切らない早朝、フリオが来るよりも早くからディーノの修練は始まる。

 精神を集中し、自分の中にいる相棒ヴォルゴーレと一体化していくイメージを固め、自身だけでなく周囲のマナを全身に纏うように収束させていく。

 ディーノの体が次第に人間のそれではなくなって行き、肌は白と紫の硬質な鎧のように変化し、そのシルエットはドラゴンと人間を混ぜ合わせたような異形。

 それは、一時的に自分自身を内にいる幻獣と一体化し、自身の戦闘力を飛躍的に上昇させる切り札と言える魔術だが、そう都合よく使えるものではなかった……。

 まず時間制限が存在し、今のディーノではおよそ一分が限界だった。

 それを超えてしまうと、何もせずとも肉体にダメージが行くだけでなく、意識を保つことができなくなると言うのがヴォルゴーレの弁だ。

 そこから先どうなってしまうのか、自分でも見当がつかない。

 ディーノと言う人間の心が消滅し、ヴォルゴーレと言う幻獣だけが残るのか?

 あるいは、そのどちらも残らずに、マクシミリアンのようなおぞましい怪物になってしまうのだろうか?

 できることならば、こんな姿を好き好んで晒したくはないが、これから先あのディロワールと言う怪物を相手に、否が応でも使う羽目になるかもしれないのなら、やることは一つだ。

『ここまでだ。戻れ、ディーノ』

(まだだ、もう少し)

 ならば体を慣らして行き、限界時間を少しずつでも延ばしていく必要があると、ディーノは考えていた。

 体に湧き上がっていく力が自分を支配していく感覚と、それに反して視界に映る景色はみるみる内に黒く染まっていく。

 意識がなくなる瀬戸際まで自分を追い込んでなお、その先へ先へと進む意志をひたすらに研ぎ澄ませていく。

『戻れと言っている!!』

 相棒の一喝と共に、ディーノの視界は急激に戻り、マナの鎧が弾け飛ぶ。

 体が支えを失ったようにがくりと膝を落とし、真夏の炎天下で数時間走りっぱなしでいたかのように肩で息をしていた。

「な、なんで止めんだよ……」

『焦ってもどうにもならんぞ』

「じゃあこいつを使わずに、あの化け物を倒せんのかよ!」

 ヴォルゴーレの制止も今のディーノには逆効果だ。

 ディロワールという未知の敵に対し、この学園の人間が有効な対策を取ってくれている保証はないどころか、実験場として機能している可能性まである。

 まともに戦えるのが自分だけなら、一人でやるしかない。

「師匠からの返事もこねーからな……」

 停学中に師匠ヴィオレに事の仔細を記した手紙を送ったのだが、未だ応答もないことがディーノを焦らせる。

 ここの教師であったこと、そして教師を辞め隠遁していた事実からすれば、何か知っていると考えた方が自然だ。

 もし、別のディロワールが現れたとして、アウローラを守り通すことができるだろうか?

 そのためには今よりも強くならなくてはならない。

 だからこそ修練の密度を上げているわけだが、成果をあまり実感できないまま持て余している。

 テンポリーフォやマクシミリアンを倒した時に湧き出た”あの力”を自在に出すことが出来れば、と思うが難しいと思う。

 それは自分の心の問題だろう。

 敵を倒すのではなく、自分の大切な何かを守りたい、その想いに応えたい、そんな感情が引き金となって溢れ出す。

 出てきた状況を類推して出た答えと言えば、絵空事のように抽象的な仮説でしかなかった。

 ここぞと言う時に頼るにはあまりにも不確定な要素が大きすぎる。

 ならば、自分のすべきことは、剣術、魔降術、そしてこの切り札、使える手札をさらに強化すること以外にないだろう。

「そもそも、あのディロワールって奴らは一体何者だ?」

 ディーノは最大の疑問を口にする。

 ヴォルゴーレは対峙した際、まるで気心の知れた友人にあったかのように言い放ったが、こっちとしては訳も分からず戦いに放り込まれているようで、いい気分がしないのは当然だった。

『そうだな……。お前には話さなくてはならん』

 ヴォルゴーレは静かに口を開いた。

『古代ロンドゴミア帝国は知っているな?』

 そう切り出されて、ディーノは気まずそうな表情を浮かべる。

 正直な話、歴史の授業はあまり好きになれず、教師の話や板書はテストに出てきそうな要点を絞って書き込んでいるだけだった。

 深い話を知ったところで、戦いに役立つとも思えず、余談に近いことは完全に聞き流している。

 もっとも、その横でアウローラが目を輝かせながら真剣に話を聞いているのを見ても、楽しさの理由はわからない。

『アウローラ嬢に見とれて授業に集中できんか?』

「いいから続き話せ!」

 いつもの調子で茶化してくるヴォルゴーレに、ムキになって返す言葉も照れが入っていた。

『まぁ、歴史の授業がしたいわけでもない。結論から話そう。奴らは二千年前別の世界からこの地へとやってきた』

 二千年前にマナと宝石を利用した《魔動機械》によって発展し、栄華を極めたロンドゴミア帝国は、七十二匹の侵略者によって滅亡へ追い込まれたのだと言う。

 アウローラが以前口走った《暗黒の十年》とはそのことを指すのだろう。

『《幻獣われわれ》も《魔獣》も元を辿れば奴らディロワールが生み出した兵器だ』

 ディロワールはこの世界に存在するマナに目をつけ、凝縮された宝石に『人間を襲う』と言う意思と命を吹き込み自分たちの尖兵とした。

『だが《魔獣》の中にも、特別な力を持ち、そして奴らが持たせた命令に逆らうだけの強い意志を持った者、それが我々だ』

「飼われるのに嫌気がさして、飼い主に噛み付いた犬ってところか」

『平たく言えばそうなるが……もう少し例えと言うものがだな』

「いつものお返しだ」

 ディーノは皮肉げに笑う。

 考古学者にでも聞かせれば、飛んで喜びそうなくらいの新事実だろう。

 もっとも、人間が自分たち以外の存在が口にしたことを素直に聞き入れて受け入れるかは別問題であろうが……。

『そして、奴らに反旗を翻した我々と、己の身を守る人間の利害が一致し、共に戦う術を模索し、行き着いた先が魔術いや、今の言い方では魔降術と言うわけだ』

「今より機械が発達してたんだろ? それじゃダメだったのか?」

『私も専門家ではないが、予想はできる。魔動機械の動力に使った宝石は消耗したマナを生き物のように回復できない。帝国の末期には宝石とマナが枯渇し文明と生活基盤を維持できなくなった場所も少なくはなかった。だからこそ、生きている人間と我々のマナが生み出す新たな力が必要だったのだ』

 ディーノも魔獣狩りが商売をして成立する理由が機械による生活基盤を維持するためのものだとは知っていたが、それが魔術の起こりに関わっていることは想像だにしていなかった。

『魔降術士とディロワールの戦いは、帝国の崩壊と共に終わりを告げたと、私も思っていたのだが、まさか我々のように、宝石に姿を変えているとはな……』

 そして、二千年と言う気の遠くなるような時を越えて今に至るのだが、ヴォルゴーレ自身もディーノと契約するまでは、師であるヴィオレの元で眠りについていたと言う話だった。

「俺には生まれる前のことなんざさっぱりだ。因縁だの何だの知ったこっちゃねぇけど……。今生きてる俺たちを脅かすなら、俺はお前と共に戦うよ」

 それが、ディーノの結論だった。

 生まれてもいない過去など持ち出されても共感などできないが、見えない悪意を知っておきながら、それを見逃す気は毛頭ない。

 それは何よりも……。

『今度こそ、大切な”アーちゃん”を守らねばならんからな♪』

「一言多いんだよてめぇは!!」

 空が白み始め、起きてくる生徒に聞かれているかも知れないことは、ディーノの頭から抜け落ちていた。

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