新しい朝が来た

 六月が近づくにつれて、次第に日の出の時間は早まり朝は起きやすくなる。

 早朝のトレーニングが習慣となっているディーノにしてみれば、この季節は実にありがたい。

 寮の裏手に茂る林で、黙々とバスタードソードの素振り五〇〇回を済ませてロードワークに入ろうとした際、寮の入り口から珍客の姿が見えた。

「きょ……今日からよろしく!」

 フリオは緊張した面持ちで、ディーノに向けて深々とお辞儀をした。

「前にも言っただろ。お前が決めたなら勝手についてくればいい」

 ディーノは顔も向けずに定めているコースを走り始め、フリオがそれに追従する。

 一定のリズムを刻むように、ダッシュとジョギングを交互に繰り返しながら新校舎を中心にして敷地内を一巡りするのがディーノのやり方だった。

 見た感じ、フリオの体力では一朝一夕でついて来ることは難しいだろう。

 せいぜいジョギングのペースで一周できれば上出来といったところだとディーノは予想した。

 現に、ディーノが走り終わってしばらく経ってからフリオは姿を見せ、全身に滝のような汗を流しながら、最後の方は千鳥足となって、ディーノの目の前で前のめりに倒れこんできた。

「……ぜ、ぜぇっ……はぁっ!」

「最初はそんなもんだ」

 立ち上がることもままならずに肩で息をしているフリオに向けて、淡白な調子で言葉をかける。

 おそらく、太ももはパンパンになるだろうし、当分の間は筋肉痛でまともに動くことも叶わない。

 このまま音を上げるにしても、それはそれで気が楽になると、この時は思っていた。

「た、確かに……普通より、つ……疲れるね」

「お前……、俺と同じように走ったのか?」

 フリオの言葉に、ディーノは耳を疑って思わず聞き返す。

 回復しきらない体に鞭を打つように、フリオはこくりと首を縦に振った。

 その雰囲気からして、体力面ではからっきしだと先入観を持ってしまっていたゆえに、その衝撃はより大きなものだった。


   *   *   *


「天候に関わるマナは、ほとんどが水と風に起因するんだけど例外もあってそれにはなんのマナが関わっているか、ディーノくん応えられる?」

 アンジェラが黒板にチョークを走らせて授業をしているのだが、昼前の陽気を窓から全身に浴びているディーノは、その心地よさによって船を漕ぎ始めていた。

(ディーノさん! 指されてますよ!)

 隣でアウローラが小声で呼びかけて来るが、意識を戻すほどの効果はなく、そのまま夢の世界へ誘われそうなその時だった。

「ディーノくん! 寝ないの!!」

 なかなか回答が来ないことで気づいたのか、アンジェラは叫びとともに自身のアルマを出す。

 その瞬間、氷の塊が姿を現し、ディーノの頭部へと向かって落下した。

「あぐっ……!!」

 無防備なまま直撃したディーノの頭には、星が浮かび上がって周回しそうなほどの一撃だった……。

 あまりにも意外なその光景に、クラスで笑いが溢れかえるも、当の本人は踏んだり蹴ったりの有様だ。

「授業はちゃんと聞けるように、体調も考えることね」

 アンジェラはそう一喝して再び板書の作業に戻る。

(最近、なんか疲れてません?)

 アウローラが再び小声でディーノに聞いて来る。

(走り込みの量、三倍に増やしてるんだよ)

 フリオが修練に付き合い始めてから一週間の時がすぎた。

 音を上げるどころか、フリオは次第にディーノのペースについて来れるようになっている。

 かと言って、簡単に追いつかれるようなレベルだと思われたくなくて、トレーニングの密度を上げているわけだが、さすがに体への悪影響が出始めていた。

(……もっと自分を大事にしてください)

 アウローラは少し厳しめな表情を浮かべながら、小声でディーノをたしなめた。


   *   *   *


「……こいつはひでぇな」

 その日の放課後、フリオの花壇の有様を見たディーノは思わず苦言を漏らす。

 踏み荒らされた足跡、潰された芽、誰の仕業かは大体想像はつく。

「いつもこんな感じなんだよ。だから……」

「あいつらぶっ潰すために力が欲しい」

 フリオの気持ちを代弁するかのようにディーノは続けると、表情を見るにどうやら図星だったようだ。

 そして、もう一つの意味が込められている。

 どうして、自分なんかのことがわかるのだろうかと、その目は言っていた。

「別に大したことじゃねぇよ。やられりゃやり返したいってのは当然のことだ」

 ディーノはため息をひとつ付きながら説明する。

「ひとまず、こいつをどうにかしねぇか?」

 しゃがんで荒らされた花壇を見ながら、ディーノは話をそらす。

「そ、そうだね……。でも、これは僕一人で」

「あいつらぶちのめした時点で、俺も噛んじまってる。ほっといたら寝覚めが悪いんだよ。で、何をすればいい?」

「じゃ、じゃあ植木鉢をいくつか、無事な芽を植え替えたいんだ。それと……」

 フリオは無事な芽を運び出すのに必要なものをディーノに説明し始めた。

 そして、その光景を上から眺めている影が二つ三つ。

「ヘぇ〜、面白いことになってるね」

 七不思議研究会の部室から、カルロが楽しげに呟く。

「でも意外だな。ディーノとジュリオ君、イメージ的には全然逆だと思ってたのに」

 たった一週間そこそこだが、やけに関係が続いていることに、シエルは素直な驚きを示していた。

「シエルさん、名前間違ってます」

 彼女が本当に気づいていないことを察したアウローラは口を出しながらも、内心ではシエルと同意見だった。

 それもまた、自分がまだ知らない一面に関わっているのかもしれないとも思う。

「じゃあさじゃあさ、活動内容しばらく変更! あの二人手伝いに行こうか? 無愛想な新入部員のために、一肌抜いじゃいましょう!」

 シエルが思いついたように言葉を発しながら、アウローラに目線を合わせてウインクする。

「そう来たか。でもごめん、僕夕方からちょっと用事」

『カルロ(さん)?』

 しかし、カルロだけは体良く逃げようとしているのではないかと、疑いの視線が交差する。

「違う違う、本当に! 停学した時の補講、点が悪くて僕だけまだ残ってるんだってば。次はちゃんと手伝うから」

「……わかったわかった。さっさと済ませてよね?」

 シエルは呆れながらも、カルロを無理に引き止めることもせずに行かせた。

「じゃあ、二人で行こうか?」

 アウローラとシエルは教室を出て、ディーノたちのいる花壇へと足はやに向かって行った。

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