アウローラの憂鬱

 寮の大浴場の中、アウローラは膝を抱えながら顔の下半分までを湯の中に沈めて、子供のように口から吐き出した息で水面を泡立たせていた。

『俺だって、いつ化け物に成り果てるかわかったもんじゃねぇんだ』

 フリオの弟子入りを断ったディーノの言葉が今でも頭の中で反響している。

 十中八九、マクシミリアンと戦った時に見せたあの姿のことを言っているのだろう……。

 何も事情を知らずにあの姿を見て、それでも自分はディーノのことを恐れずにいられただろうか?

 それを考えれば、編入して来たばかりの頃、極端に他人を拒絶する態度の理由がおぼろげながらに見えてくる。

 力を持っていることが、必ずしもいい事に繋がるわけでないからこそ、ディーノは自分を怪物と称しているのだろう。

 そういう意味で、アウローラはディーノのことを何も知らない。

 指輪を渡してからの八年間に何があったのか、それがわかれば力になれるかもしれないが、どうすればいいのか皆目見当もつかないでいる……。

 勢い半分で、七不思議研究会に入ってはみたものの、漠然としたものすらも浮かんでこないのが現状だった。

 そんな風に考え込んでいると、ぴちゃぴちゃと誰かが入ってくる足音が背後から耳に飛び込んでくる。

 シエルが入りに来たのだろうか?

 いつも申し合わせているというわけではないし、一人になりたかったのもあったがその時間は長く続かなかったようだ。

「あら、先客がおりましたのね?」

 想像していた人物とは明らかに違う声色の主は、少し距離をとって湯船に浸かる。

 ヴァーミリオンの長い髪、他人にはややきつめの印象を与えるツリ目の顔つき、自分より背は少し低いが、同学年の中でも一二を争うだろうサイズの巨乳が特に目立つ抜群のプロポーションを持ち、アウローラにやたらと突っかかってくるクラスメイトの少女。

「イザベラさんこそ、こんな時間なんて珍しいじゃないですか」

「宿題が長引いただけですわ。臭う女なんて噂されたくありませんし」

 彼女と、使用時間終了間際というこの時間帯で顔を合わせたことは今までなかった。

 初等部の頃から顔見知りではあるものの、あまり会話をした記憶もないが、敵視されている事には違いない。

 別に話したいと言うこともなく、さっさと退散するに越したことはないだろうと思って、湯船から出ようとしたその時だった。

「悩みの種がなくなったと言うのに、浮かない顔ですわね?」

 イザベラは嫌味を隠しもしない口調でアウローラに問いかけてくる。

 マクシミリアンと行動を共にすることの多かった彼女だが、やはり建前上の婚約者がいながらも、彼と関係を持っていたのだろうか?

 その相手がいなくなったことで、大事な何かを奪い取られた形になるのなら、恨み言の一つや二つあってもそうおかしな話でもない。

「それがどうかしましたか? イザベラさんには関係のないお話でしょう?」

 せっかくの安息の時間が壊されたアウローラの返しにも棘が生えていた。

 テストの時も闘技祭の時も、事あるごとに対抗心をむき出しにしてくるが、彼女に何の得があるのかアウローラにはさっぱり理解できない。

「あの下民のどこがいいんですの? 愛想はないし、何を考えてるかわからないし、なんか野良犬みたいで近寄りがたいし」

「そ、それは……」

 自分もイザベラが言った以上に、ディーノの何を知っているのかと言われれば、そう大差はないのかもしれない。

 信じたいと言う言葉が、口先だけになってしまうことが怖くて、距離を縮めたいのにきっかけがつかめない。

 でも、そんな苦悩なんか他人に伝わるはずもない。

 なのにこんな無責任な外野の声を浴びせられるのも、イライラするものだった。

「あなたがそんな顔するくらい、あの下民は大きいのでしょうね。いつもの愛想笑いがなくなるくらいに」

「えっ?」

 予想外の感想がイザベラから飛んで来て、アウローラは呆けたような声が出た。

「別に、いつもニコニコ笑ってみんなに頼られて、まるで作られた人形みたいだったのに、マクシミリアンをひっぱたいた時なんか驚きましたわ」

 イザベラは今まで見たこともない笑顔で語る。

「あなたも人間だったんだなって」

 自分はそんな風に見られていたと、今までアウローラは実感していなかった。

 人に嫌われないために努力しているつもりだったが、見るものが見れば必ずしも同じ意味に取られるとは限らない。

「嫌なことがあるなら、はっきり言ってしまえばいいのではないですこと?」

 また、いつもの嫌味混じりの口調に戻ったイザベラは皮肉混じりにそう告げる。

 その言葉に、アウローラは何かつかんだ気がした。

 本人は決してそんなつもりで言ったのではないのだろうことはわかっているが、大きなヒントをもらった気がした。

「そうですね。それもいいかもしれません」

 アウローラは何かを吹っ切ったように、イザベラへと笑いかけた。

 気を使いすぎて遠慮ばかりしていても、それは本当に対等の付き合い方をしているとは言えない。

 全く傷つけ合わない関係など、誰が相手でもはじめからないのだと。

 それをまさか、さほど親しいとも思えない相手が気づくきっかけになるなど想像しただろうか?

「ありがとうございます。イザベラさん」

 アウローラは裏表のない素直な気持ちでイザベラに礼を言う。

「な、何を勘違いしているんですの? 今度の期末テスト、下民との色恋にかまけて調子を落としたあなたに勝っても、わたくしに何の得もないだけですわ!」

 イザベラは少し顔を赤くして風呂から上がるアウローラの背中に向けて反論の声を張り上げていた。

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