第1章エピローグ:学園生活は終わらない

 マクシミリアンの一件から一週間後の木曜日、ディーノにとって停学明けの朝が来た。

 だが、寮から学園に向かうまでの段階で、周囲からの視線が痛い。

 いっその事、修練を早めに切り上げて、誰よりも早い時間帯に登校してしまえば良かったと、少しばかりの後悔とともに教室のドアを開けた。

「おーっす有名人!」

「お務めご苦労さん♪」

「アウローラさん、婚約者のお出ましだよーっ!」

(またこれか)

 闘技祭の直後を思い出す朝の風景に、ディーノは眉間に皺の寄った顔だけで挨拶を返しながら、席に座った。

「お、おはようございます……」

 声をかけてくるアウローラもどこかぎこちない。

 あれから会ってもいないし、避けていたつもりはないが、外出を禁じられている以上は必然と言えた。

「あぁ……おはよう」

 挨拶を交わしてみるも、いきなり愛想よく接することができるはずもなく、結局はこの有様だった……。

「そんで~、お二人の関係はズバリどうなんでしょー?」

 ストロボの光とともに、クラスどころか学年も違うはずの新聞部部長、テレーザ・フォリエが突然乱入して来た。

 しかも席は隣同士と言うのだから、別個に聞く手間が省けるようで、心なしか待ってましたと目が言っているようだ。

「……勘弁してくれ。お前が思ってるような関係じゃねーよ」

 心底めんどくさいと言わんばかりに言葉を返した。

 少し前の自分なら、また殺気に等しいものを込めて脅すような口ぶりで黙らせようとしたかも知れないし、苛立ちは間違いなく腹の底に滾っている。

 だが、それでは前に進めないのだと自分に言い聞かせた。

「おっはよー! みんな元気してたー?」

 ほどなくしてシエルとカルロが教室に入ってくると、こちらに聞くのは不毛だと判断したのか、テレーザはあの二人に質問の矛先を変えたようだ。

「悪いけど、ディーノとアウローラちゃんのことは秘密にさせてもらうよ♪」

 ディーノと離れたところで問いただされたカルロが、誰も予想していなかった回答をした事で、クラス中が驚いていたのだが……。

「僕とシエルちゃんの関係だったらいくらでも聞いていいけどね『何にもないっての!!』げふっ」

 すぐさまいつもの調子に戻ったカルロの股間へ、シエルの蹴りが炸裂する見慣れたやりとりが周囲を笑いに包んだ。

 長らく忘れていたような日常が戻ってきたのか、それだけでもクラスの空気が戻っていく。

「あ、そうだ。ディーノとアウローラがよかったら、放課後部室に来て♪」

「気が向いたらな」

 シエルの意図はわからないが、当たり障りのない答えを返した。

「みんな、揃ってるー? ホームルーム始めるよ」

 そしてアンジェラが教室に入ったのを合図に、学園の一日が始まるのだ。

「ディーノ君、シエルさん、カルロ君は今日から土曜日まで放課後に補習受けてもらうからね。実技の参加もなしよ」

「えぇ~そんなぁ~!!」

 その声の主はもはや言うまでもなかった。

 ホームルームの間は殆どの生徒はおとなしく席に座っている。

 ディーノは紙の切れ端に文字を書き込んで折り曲げた。

 アンジェラがホームルームを終えて教室から去り、一時限目が始まるまでの間、クラス全員が授業の準備をする空白を見計らって、アウローラにそれを手渡した。

 アウローラは怪訝な顔で見返したものの、断らずに受け取ってはもらえた事で、ひとまず安堵した。


   *   *   *


 アンジェラによる直々の補習授業が終わり、ディーノが校舎の屋上へたどり着いた頃にはすでに日は傾き始めていた。

「ディーノさん」

 アウローラは一足先に来て、わざわざ待ってくれていたらしい。

「……悪いな。わざわざ呼び出して」

「いえ、大丈夫です」

 ディーノはアウローラをまっすぐに見据えるが、今になって心臓の鼓動が早くなっていく。

 戦っている時よりも緊張しているんじゃないかと考えると、自分でも人並みの感情に揺さぶられることがあるのかと、内心少し笑えてくる。

 ただ師匠に言われるがままにやってきたこの学園には、もう二度と会うことがないと思っていた思い出の”アーちゃん”がいた。

 八年経って本当の名前を知った彼女は、別人のようにお淑やかで綺麗になっていた。

 そして、今度はちゃんと伝えなくてはいけないことがある……。

「その……、あれからなんともないか? あいつにかけられた魔術とか」

 この一週間、何が起こったかもわからなかったのも事実だから、無難な方向から切り出してみた。

「先生に検査もしてもらいましたけど大丈夫です。マクシミリアンも捕まりましたし、婚約も破談になったんです」

 それを口にしたアウローラは、心なしか嬉しそうだ。

 確かに、ディーノがここへくる前から苦しめられ続けていたのならば無理もないことだろう。

「そうか……そいつは良かった」

 ぎこちなくディーノは答える。

 そして、これからが問題だった。

 下手を打てば、アウローラをまた嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。

「ディーノさん、どうしたんですか?」

 心の状態を察したのか、アウローラは心配そうな目でディーノを見てくる。

 だが、もう後には退けない。そのためにこうして二人きりにまでなったのだから。

「俺は……怖かった。あの姿を晒した時、今までのことが全部壊れると思って、だから……」

 全部嘘だと言って、こっちから失望されようとした、とまで言おうとしても、口が動かなかった。

 それでも、アウローラはそれを察したように優しげな笑みを浮かべた。

「わたしだって怖かったです……。指輪を渡したとき、わたしのことずるくて勝手な女だと思われてるんじゃないかって……」

 そして、マクシミリアンの操り人形となって、ディーノに刃を向けた。

「一つ聞いてもいいか?」

 その言葉に、アウローラの表情が一瞬こわばる。

 今までのことを責められてしまうのではないか、と言う不安がにじみ出ているのがわかる。

「大したことじゃねぇよ。どうしてガキの頃から、婚約指輪なんて大層なもの持ち歩いてたのかって」

 そのような代物ならば、ここぞと言う時にしか渡されないだろうし、いつどこで無くしてしまうかもしれない幼少の頃に渡されるはずもないだろう。

 本人は気づいていなかったのか、予想外の質問をされたからか、一瞬呆けたような顔になりながらも、すぐさまいつもの調子で口を開いた。

「それは、おう……いえ、わたしの家で伝わっているんです。持っている人をあらゆる厄災や困難から守ってくれる力を秘めているって。色々とその、期待されていたこともあって持たされていたんです。アルマのような役割も兼ねていたんじゃないかと」

『大好きなひとにあげるものだって言ってたから』

 ふと、昔の彼女の言葉が思い起こされる。

 親から言われるがままであり、アウローラ自身もそれ以上の意味合いを知らなかったと言うことか。

「だからって会って一週間くらいの相手に軽々しく渡すもんじゃねぇだろ」

 貴族ゆえの体面を考えれば、子供だったとしても後々大きな問題となることだってありえる。

 素性もわからない平民の子供においそれと渡すなど、愚考としか言いようがない。

「誰でも良かったわけじゃないです! あの時も今も、ディーノさん意外に考えられません!」

 迷うことなく、アウローラははっきりと自分の思いを口にする。

 まっすぐに見つめてくるその瞳が、嘘偽りのないアウローラの本心だと言っているようでもある。

「小さい時からずっと、わたしの周りにいる人たちは確かに良くしてくれる人ばかりでした。こんなこと言うと、不自由なく生きてきた世間知らずだって思われるかもしれません」

 その言葉に宿るのは、決して自身の置かれた環境に関する自慢などではなく、むしろ寂しげなものを感じていた。

「でもそれは、わたしが持っている《光》のマナや、身分や家柄と言ったわたしと言う人間を形成する外側の部分なんです。マクシミリアンも他の貴族の方もみんな見ているのはわたしじゃない。でも初めてだったから……」

 八年前のあの日、ディーノは思い返す。

 黄昏を浴びた金色の輝きを帯びているのに、途方に暮れて寂しそうに泣いている女の子。

 それが見ていられなくて、思わず声をかけたことが、無意識に今まで忘れようとしていたことが、やっと蘇ってきた。

「身分なんて関係なく、ただのわたしを助けてくれたのは、ディーくんが最初だったんです。だから指輪もディーくんをきっと守ってくれたんです」

 頬を赤く染めながらはにかむアウローラを見て、今度はこっちから彼女の心を踏みにじってしまうかもしれないと言う恐れが心の片隅から沸き起こり始める。

 だが、ディーノは真剣な気持ちで答えなくてはならないと生まれた恐怖を振り払って行動に移す。

 アウローラに近づいて手を取り、首から外して手に持っていた婚約指輪をそっと乗せた。

 その行動に、彼女の顔が悲しみに染まるのがはっきりと視界に収まった。

「今の俺には、受け取る資格がない」

「わ、わたし! 身分なんか気にしません! 今も昔も!」

 ディーノはそれを聞いて首を横にふった。

 確かに、気にしていないといえば嘘になるが、それ以上に大事なことがディーノの中にはあった。

「俺はもう”ディーくん”じゃないし、アウローラも”アーちゃん”じゃない。お前のことを俺は全然知らないし、俺もアウローラが思ってるのとは違う人間になってると思う」

 アウローラの中では、きっとディーくんはもっとすごい人間になっているはずたと。

 少なくとも、それは今の自分がかけ離れていると、ディーノは考えていた。

「だから、過去の思い出にすがってばかりじゃダメなんだ。この先の俺を見て、それから決めて欲しい」

 それは、大事な決意。

 アウローラに応えるためには、今のままの自分ではいられない。

 ディーノが彼女を見る目は、今までのものとは明らかに違っていた。

 目指すべきものを見つけた目、それに向けてどこまでも走っていけるであろう澄んだ目だった。

「それじゃあ、少しだけ、目を閉じてもらってもいいですか?」

 指輪を自分の首につけ直しながら告げられた言葉の意図はよくわからなかったが、ディーノはうなづいて言う通りにした。

 ディーノからは見えないが、アウローラは意を決したように固く表情を変えて、背伸びをする。

 そして、自分の精一杯の想いを行動に移す。


 ……ちゅっ。


 今も消えることのない、自分を助けてくれた証、左頬の傷にそっと口づけを落とした。

「もう、いいですよ」

「……」

 自分が何をされたのかを察したようで、ディーノは言葉を失って顔を赤く染めていたが……。

 その顔が突然、今までの眉間にシワの寄った表情に戻っていく。

 視線の先はアウローラではなく、ドアが少しだけ開かれた屋上の出入り口だった。

「そこで何やってる? カルロ、シエル」

「もう! だから止めようって言ったじゃん!」

「シエルちゃんだって、面白そうだと思ってたんじゃないの?」

「えっ? えええっ!?」

 全く気づいていなかったのか、アウローラも顔を真っ赤にしてうろたえ出した。

 そして、シエルはバツの悪そうな顔で、カルロはニヤニヤと茶化す顔で二人の前に姿を見せた。

「いつから見ていた?」

「『俺は怖かった』ってあたりからかな?」

 どうやら尾行されて、ほぼ一部始終を見られていらしい。

「答え見つかったって顔じゃない?」

 カルロは笑顔でディーノに問いかける。

 強いけど弱い……。

 心の中にあるたくさんの弱さ、心を傷つけられたくなくて、他人を拒絶することで自分を保とうとして、誰も信じようとしなかった。

 戦うことだけをひたすら磨き、自分一人で生きるのだと言い聞かせて来た。

 だが、この学園という場所でそれだけでは得られないものがあると思い知らされたことは確かだった。

「かも知れねぇな……知れねぇが……てめぇはやっぱり気に入らねぇ!!」

「きゃー! ディーくんのいけずぅ!」

「その呼び方止めろ!」

 ディーノの怒りに触れたのを察して、カルロは逃げの一手に入りそれを追いかけ回す。

 当の本人は本気で怒っているのだろうが、アウローラとシエルには気のおけない友人同士のやりとりに見えていた。

 戦うことしか知らなかった一人の剣士は、この学園という世界で新たな宝物を手にした。

 だが、学園生活はまだまだ始まったばかりなのだ……。

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