人はみな往々にして怪物である −2−

 ディーノはアウローラ、シエル、カルロの三人を一瞥する。

 おぞましいマナにあてられて相当苦しいはずだが、それでも意識だけは保っているようだった。

 いっそのこと気を失ってくれていれば、どれだけ気が楽だったことだろうと考えるものの、こうなれば覚悟を決めるしかないだろう。

 このままマクシミリアンを野放しにすれば、アウローラを奪われるだけでは済まない。

 それに比べれば、これから自分に降りかかることなど、安いものだと割り切るしかないであろう。

「行くぞ、ヴォルゴーレ……」

『一分でケリをつけろ。それ以上はお前自身が保たん』

「わかってる」

 迫り来る巨大な刃を真っ直ぐ見据えて、精神の集中を高めて行く。

「どうやら諦めたようだね!! 安心して散るがいい!!」

 ディーノはバスタードソードを握っていない左手を上げた次の瞬間、爆音とともに冷気の混じった砂煙が彼らの視界を包み込んだ。

「ディーノさん!!」

 悲痛なアウローラの叫びが響き渡る。

 とても鋼鉄の剣で受け切れるような一撃ではない。素人目に見てもそれは明らかだった。

 土煙が次第に晴れていき、真っ二つにされた無残な死体が転がっていると誰もが思っていたが……。

「なっ……!!」

 勝利を確信していたマクシミリアンの方が我が目を疑う番だった。

 放射状に床がひび割れた中心に立っていたのは、ディーノではなかった……。

 ドラゴンと人間を掛け合わせたような白い体、爪が伸びた紫色の手足、鎧のような硬質な輝きを放っているその存在が、振り下ろされた巨大な氷の剣を片手で受け止めていたのだ。

「……こんなもんか? 集大成が聞いてあきれるな」

 鉄仮面を被っているかのように反響しているものの、発された声はディーノで間違いなかった。

「な……なんなんだその姿は、君はあいつの仲間なのか……?」

 マクシミリアンは驚愕を隠せないでいた。

 面妖な姿であれど自分よりも小さい相手であるにもかかわらず、そいつから放たれる威圧感に気圧されてしまう錯覚をマクシミリアンは覚えていた……。

「ば……化け物めぇっ!!」

「あぁそうだ。お前以上のな……」

 ディーノは短く呟くと、氷の剣をつかんでいた左手に力を込めた。

 握りこんで行く指からミシミシと音を立てて亀裂が広がって行き、紫色の腕が稲妻をまとう。

 次の瞬間、強烈な光と共に稲妻が氷の剣を貫き、まるでガラス細工であるかのように砕け散っていた……。

 それだけで戦意を喪失させるには十分すぎるほどだった。

 ディーノは、余った手をブラブラと振るって自分の体が自由に動かせることを確認すると、ゆっくりとマクシミリアンに向かって歩きだした。

「う、ああああっ!!」

 じわじわとにじり寄るディーノに気圧されたマクシミリアンが、先ほどの剣よりも大きな騎兵槍を作り出して打ち出す。

 もはや、攻城兵器バリスタと言える一撃に対しても、ディーノは息一つ乱さず、バスタードソードを振り下ろした。

 幾度となく見てきた稲妻をまとう一撃が氷の槍を易々と打ち砕き、追撃が人の背丈ほどもある右の前脚を易々と切り落とし体勢が崩れた。

 この姿でいる間に使える魔術はディーノだけのものではない。

 ヴィルゴーレのマナを鎧のようにまとった事で、その魔術は幻獣の性質を帯びることになるということだった。

 今ならば分かる。

 魔降術はこの怪物どもが生み出した領域で、人間と幻獣が対等に戦うために磨き上げられた技術ということが。

「なぜだっ! 条件は同じはずなのに、なぜことごとく打ち負ける⁉︎」

 どれだけ強大な力を得ようとも、それを扱う人間の本質が変わらないのならば、恐れる理由など何もない。

 所詮は自分を誇示するために、他人を踏みにじって当然と思い上がる薄っぺらな貴族のままだ。

 あの闘技祭の日よりも前に、最初に会った日の時点で、ディーノは

 再び紫電の一撃がマクシミリアンの残った前脚を斬り落とし、前のめりとなったマクシミリアンの体は地響きを上げながら首を垂れる。

 たとえ姿を変えていようとも、ディーノの戦闘技術はたった一つ。

 磨き上げた剣術に刃へと落とした稲妻の威力を上乗せして、相手を斬り伏せるだけだ。

「くそっ、お前なんか、お前のような下民は生まれを嘆いているのがお似合いなんだよっ! 公爵家の息子であるこの僕こそが真の勝利者であることを証明する踏み台であるべきなんだ!」

 身勝手な理屈を叫びながら、先ほどのセリフを棚に上げたのか、マクシミリアンの周囲に大量の槍が精製されディーノに放たれるが、それだけでは前進を止めることは適わない。

 だが、今度はマクシミリアンの左側にある狼の首が、巨大な口を開けて襲いかかってくる。

 ディーノを噛み砕かんと向けられた牙をバスタードソードで受け止めるが、質量と体格の差によって押し返される。

 思い知れと言わんばかりに歪んだマクシミリアンの顔が、逆にディーノの感情に火をつけた。

 胸の宝石から雷のマナがより強く輝きほとばしると、押し戻されたかけた足が止まり、バスタードソードを限界以上に増幅された膂力とともに振り抜いた。

 分断するに至らなかったものの、狼の首は弾かれたように大きく仰け反る。

 だが、ディーノはそれに違和感を覚えていた。

 ブフェの山でテンポリーフォと戦った時に似ているが、まだあれほどの力には至っていない。

 ならば、あの力の正体はなんなのか?

 この戦いはそれを発現させる条件に限りなく近いのかもしれない。

 そんな仮説が浮かびながらも、頭の片隅へと全力で追いやった。

 今は不確定な力をあてにしている場合ではなく、全身全霊を以ってこの脅威を打ち破ることだ。

 ディーノはまだ気づいていなかった。

 自分がマクシミリアンに与えたダメージと、体から放たれたマナが、この空間全域に影響を及ぼしていることに。

 両側の首が強烈な吹雪を吐き出してくる。

 ディーノはとっさに切り返して右側の首が吐いた吹雪の直撃を避け、大きく跳躍する。

 しかし、ディーノの中では一分の制限を無視できなくなってくる。

 このまま決定打を与えられなければ、ディーノ自身も戦闘力を維持できるかがわからない。

 飛び上がった先には左側の首が待ち構え、吹雪のブレスを浴びせんと大口を開き、喉の奥にマナによる冷気が寄り集まってゆく。

 これでは最初の日と同じ状況、それでも耐えるしかないと思わされたその時、吹雪を吐き出されるかと思われた口が、何かに縛られるように強制的に閉じられる。

 もがくように首を振るおうとしていたが、対応しようとしていた反対側の頭が同様に口を塞がれた状態で、背中越しに首同士をくくりつけられていた。

 それが誰の仕業なのか、ディーノは考えるまでもなく悟る。

「倒せなくてもこれくらいはできるよ!」

 カルロがしてやったりと言わんばかりに、マクシミリアンの神経を逆なでしていた。

「バカな! 魔符術を使えるはずがない!?」

 マクシミリアンの狼狽は本物だった。

「さっきからちょっとだけ体が軽いんだよね? 案外弱ってるんじゃないの?」

 その言葉から、マクシミリアンはダメージでこの空間を維持することができなくなっていると、ディーノは仮説を立てた。

 ならば、畳み掛けるのは今をおいて他にない、バスタードソードを天に掲げて攻撃の態勢を整える。

「どいつもこいつも……舐めるなぁっ!!」

 五十、いや百近い武器の群れがディーノの眼前に姿を現わす。

 マクシミリアンがありったけのマナを込めたのだろう武器が一斉に掃射されようとした瞬間だった。

『人間……なめんなぁーーーーーーーーーーっっ!!』

 シエルがマクシミリアンの真正面まで疾駆し、マナで増幅させた全力の声を叩き込む。

 間近で聞いていれば、鼓膜が破けてしまいそうな大音量の衝撃波が礼拝堂を揺るがし、氷の武器を砕いていく。

 全てとはいかないまでも、攻撃の手数は半分以上減らされた。

 稲妻がディーノのバスタードソードを紫色に染め、宙を蹴った勢いとともに体ごと突撃しながら振り下ろされた。

 狙いはただ一点、埋め込まれた黒い宝石だ。

 だが、マクシミリアンもただそこを狙わせるほど愚かではなかった。

 残った武器の半分をディーノの正面に寄せ集め、攻撃を防ぐための槍衾を作り出す。

 そして、残りの武器たちが狙うのは、攻撃のモーションに入ってしまい避けることができない無防備な背中だった。

 このまま攻撃を止めなければ、前後からの同時攻撃で串刺しとなるが、避けてしまえばその分のタイムロスでこの姿を保っていられなくなる。

 ディーノに残された選択肢はたった一つ、体を貫かれようとも退くことは一切考えない。

「やはりね! 僕の作り出した氷の処女に抱かれるがいい!!」

 勝利を確信したマクシミリアンが叫ぶ、背後から氷の剣が、真正面からは槍が飛んでくる。

 しかし、マクシミリアンの望んだ光景は実現せず、ディーノは光に包まれていた。

「なにっ!?」

 マクシミリアンが驚きの声を上げた先、光の盾が背後からの攻撃を弾き飛ばしていたが、敵だけを見ていたディーノの視界にそれが収まることはない。

 だが、そんな自分の目を疑う光景がすぐそばにあった……。

『光よ、白き竜の騎士に、戦女神の祝福を』

 詠唱とともに輝きを増したバスタードソードを握る紫色の異形と化したディーノの手を支えるように、別の白い手が握っていた。

「アウローラ? どうして?」

 突き放すことも忘れて、ディーノはありのままの光景に対する気持ちがそのまま口から出ていた。

 自身のアルマを背中に抱えたアウローラが、光の翼を広げて自分の隣にいた。

「今まで助けてくれた分、今度はわたしがディーくんを助ける番なんです」

 優しい笑みを向けて、アウローラは臆面もなくそう口にした。

 その瞬間、ディーノの中で何かが弾けた。

 体の奥底から湧き上がるその力を、ディーノは一度体験している。

 今までどれだけ呼び出そうとしても、応えなかった力がなぜ今になって現れたのか……。

 それは相手を倒そうとする、今までの自分がしてきたこととは真逆の意思が産んだ力なのだ。

「来いっ!!」

 ディーノの声と共にこれまでの比ではない強大な稲妻が、天空からこの場に向けて遮るもの全てを破壊しながら赤黒い空を割いて落ちてくる。

 元の礼拝堂に戻った彼らが見たのは、天井に空けられた大穴を背後に、二人の握るバスタードソードが今までにない強大な光と雷のマナをまとって、マクシミリアンの胸に振り下ろされる光景だった……。

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