人はみな往々にして怪物である −1−

「何者だ!?」

 マクシミリアンのようでマクシミリアンでない《何か》に向けてディーノは叫ぶ。

『悪いけど、猿に名乗る名などないよ』

 その声を聞いていたアウローラの表情が変わる。

「……あの声、わたしがあんな風になる前に聞こえてきた声です」

「つまり、女の敵ってわけだね!」

 シエルが微妙に的を外したような解釈とともに、バシッとワンドを握る手でもう片方の手を叩いた。

 何者かは断言できないが、少なくとも胸に埋め込まれた黒い宝石が関係していることは間違いないだろう。

 そして、あれをどうにかすれば、この腹立たしい宴に幕を降ろすことができる。

 ディーノは胴を貫かれた痛みを忘れるために、ぎりぎりと歯を食いしばり、バスタードソードを引きずりながら、ゆっくりと歩を勧めだした。

「いくらなんでも無謀だよ! 勝ち目あるの!?」

「黒いのは相手にしたことねぇが、《魔降術士の倒し方》なら知ってる」

 ディーノは上半身だけ振り向き、握り込んだ手を親指だけ出して胸をとんとんと指しながら、シエルに返す。

 魔降術の源は体に埋め込まれた宝石だ。

「あれを俺が魔術で砕けばいい」

 渇いた声でディーノはつぶやく。

「ディーノさん待って! 傷が開いてしまいます!」

 とっさにアルマを構えたアウローラは慌てて詠唱を始める。

『光よ、黒き剣士に癒しを!』

 アウローラの槍から発せられた、蛍のように優しく暖かな光がディーノの胴に集まって傷口をふさぎ始める。

「また、一人で戦うおつもりでしたか?」

 そう問いかけてくるアウローラの口調にはきついものが混ざっていたが、ディーノはあえて何も返さず歩みを止めない。

『ずいぶん冷たいねぇ? さっきまでの熱っぽさが嘘みたいだ』

「なんとでも言え。そいつを最期の言葉にしてやるよ」

 怒りを隠しもしないドスを効かせながら、ディーノはバスタードソードを構えた。

 相手が何者であろうと構わない。

 マクシミリアンと同様、斬り倒せばいいただの敵だ。

『いや、問題は……すまんディーノ』

 その声を最後にがくん、とディーノは体勢を崩した。

『おや? まさか今更になって頭を垂れる気になったのかい?』

 そう見えなくもない有様に、挑発にも似た態度で口を開く。

 だが、すぐさまディーノはむくりと上半身を起こしたが、その髪の色がみるみるうちに白く染まって行った。

『寝言はそこまでにしてもらおう』

 その場にいた全員が、明らかに違うその声に絶句した。

『まさか、そんな状態になってまで再び体を手にしたいか?』

 その言葉を聞いた瞬間、今度はディーノにも同様のことが起こるのを、その場の全員が見ているしかできないでいた。

『なぁに、君たちを真似て見ただけのこと。猿にしてはなかなかにいい《嫉妬》を持っているみたいでね』

 この場にいる彼らの会話を理解できる人間は誰一人としていない。

 ディーノとマクシミリアンの中にいる得体の知れない者たち、今この場で目の当たりにしていなかったら、絵空事だと思ったことだろう。

『まさか、また相見えることになるとは思わなかったぞ……貴様ら《ディロワール》と』

『我々もさ、生みの親に逆らう下賤な魔獣どもが、まだ滅びてなかったとは思わなかったよ?』

 ディロワール……。それがマクシミリアンの中にいる存在の名前なのか?

「……!!」

 アウローラはその単語を聞いた瞬間、思考力を総動員して記憶を掘り起こしていく。

 そう、聞いた覚えはある。

 ロムリアット王国の統一戦争、都市国家の乱立時代をさらに遡り、ロンドゴミア帝国時代まで到達していく。

「帝国の崩壊……暗黒の十年……でもそれは別の大陸からやってきた民族による戦争のはず!」

 そう、ただの異民族の総称として記載されていただけなのではないのか?

 こんな得体の知れない存在など信じられない。

『なかなかさかしいお嬢さんと言いたいけど、猿たちの頭ではそれが限度のようだね? つたない真似事で我々を滅ぼそうなんてのが、まさしく猿知恵と言うものだ』

『貴様らが言えた義理か? どうやら体を取り戻すことも叶わず、我ら《幻獣》の真似をしているようではないか』

「げっ、幻獣!?」

 今度はシエルが素っ頓狂な声をあげた。

 只者ではないと薄々は感じていたが、ディーノの魔術はそれだけ強大な存在によって成り立っていることに対し、驚きを隠せないでいた。

『さぁ、二千年ぶりの戦いを再開しようじゃないか?』

『何を勘違いしている? 戦うのは私だけではない。この《紫凱雷皇しがいらいおうヴォルゴーレ》は、人間ディーノと共に戦う。貴様らとは……違う』

 そう言い放った瞬間、ディーノの髪が再び元の漆黒へ戻った。

 超然とした表情が消え、普段の眉間にシワを寄せた無愛想な顔に戻れば、アウローラも、シエルも、カルロもそれがいつものディーノだと確信した。

「ったく。言いたいことだけ言って引っ込みやがって……」

『ふふふ、なるほど……たとえ負けてもそれは君と言う人間が負けたのであって、自分ではないと、ずいぶん姑息な獣だ』

 黒い宝石の主は、ディーノの内側にいるヴォルゴーレを嘲る。

「さぁな。俺はてめぇが何者だろうが知ったことじゃねぇ。ただ、てめぇとマクシミリアンのやった事が許せねぇんだよ」

 それが嘘偽りのないディーノの本音だった。

 自分のことなど関係ない、ただアウローラを苦しめる存在がのさばり続けることを指をくわえて見ていることが、何よりも耐え難かった。

『僕に勝てる気でいるのかい? 猿には力の差を推し量る力も……うっ! あっ……がぁっ!』

 今まで余裕を見せていた声が突如として苦しみ始める。

「なになに? どうなってんの?」

「知るか!」

 シエルが狼狽えるのも無理はないが、この状況では返って苛立ちが増すだけだった……。

「僕は……僕のままで全てを手に入れるんだぁぁぁぁっ!!」

 それはマクシミリアンの声だった。

 戻ってきたと言うのか?

『ディロワールを抑え込むとは……自尊心だけはお前より上かも知れんな』

 ヴォルゴーレが目の前の状況に対して、皮肉交じりの感想を漏らす。

 だが、それは決していい方向にはいかないだろう。

「さぁ、僕にもっと力を! もっと力をぉぉぉぉぉぉ!!」

 その叫びとともに、礼拝堂全体が揺らぎ始めた。

 マクシミリアンの体から黒いマナの奔流が湧き上がって行く中で見た光景に、四人共が自分の目を疑った……。

 彼の腰から下についていた人間の二本脚が獣のような黒い毛に覆われ始め、ゴキゴキという鈍い音とともに、膝から下に人間にありえない関節が増え始める。

 さらに後ろへもう一対の脚が生え、それは狼の胴体だと気が付いた。

 変化した脚は見る見るうちに肥大して行き、ディーノたちの身長を超える大きさと成り果てる。

 さらに、マクシミリアン自身を両側から讃える彫像のように左右から巨大な狼の首が姿を現す。

 冥府を護る三つ首の番犬、その中央だけを人間の上半身に差し替えたような歪なシルエットと成り果てたマクシミリアンの胸に埋め込まれていた宝石からは、今まで以上のどす黒い輝きを放っていた。

「まさか、さっきのやつを完全に取り込んだのか?」

『可能性は否定できん。だとすれば、空恐ろしいほどのエネルギーを心に秘めていたことになるだろう』

 だとすれば、散々猿と侮ったディロワールと言う存在は、とんでもない怪物を生み出したと言うことになる。

「いや、違う。僕と彼"ゼパル"は一つになったのさ。なんと心地いい……これが力と言うものか……。君も人が悪いなぁ。こんな心地よさを独り占めしていたなんて」

 恍惚に浸る表情で、マクシミリアンはディーノに語る。

 どうやら、これこそが魔降術の素質だと完全に思い込んでいるのだろう。

 今にも飲み込まれそうな程の、圧倒的なマナが礼拝堂を埋め尽くしていくと同時に視界に映る景色が変わっていく。

 気がつくとそこは建造物の中ですらなく、ぐにゃりと歪んだ支柱の立ち並ぶ広大な荒れ地、見上げれば本当のものかもわからなくなる赤黒い空が広がっていた。

『これは……』

(分かるのか?)

 だがヴォルゴーレの返答を待たずに、ディーノの体は鉛のような重みを感じ始める。

 吐き気を催すような、この世のものとは思えない異様なマナ、それ以前にこれはマナなのだろうかもわからない。

 常人ならば立っていることも、正気を保っていることもできやしないと思わせるには十分なほどだ。

「うっ……ううっ!」

 事実、シエルが胃の中の何もかもを吐き出してしまいそうなほどに身悶えて膝をついている。

 隣でアウローラが必死に光のマナで二人分の障壁を貼って防いでいるがいつまで持つかはわからない。

 そして、カルロも立っているのがやっとのように見えたのだが、その周囲には凝縮された炎が再び姿を現していた。

「そう悲観したもんでもないさ、狙いどころははっきりしてるんだからねぇっ!!」

 放たれた炎の矢は、吸い込まれるように一点を狙って突き進んで行く。

 カルロとマクシミリアンの間に引っ張られた軌道の線が導く先は、むき出しになった黒い宝石だ。

「どんだけ体がでかくても、心臓ブチ抜けば死ぬだろ?」

 不敵に笑うカルロだったが、マクシミリアンは微動だにしない。

 黒い宝石に放たれた矢は、一発の撃ち損じもなく命中したが、それだけだった……。

 傷の一つもつかず、歪んだ輝きは衰えず、それはなぜかと問う前に、攻撃そのものが無意味だと言う結果だけが残された。

 決して表情に出してはいなかったが、カルロが内心では万事休すだと悟ってしまったことは容易に想像がついた。

 カルロの撃ち出す炎が並みの威力でないことを、ディーノはよく知っている。

 そして、アウローラが小康状態を保っていた光の障壁も粒子となって散り始めていく。

 彼らの魔術がこの場所で通用しない理由はなぜか?

「ゼパルが教えてくれるんだ。ここは僕らディロワールの領域、製霊の力など恐るるに足らないとね!」

 マクシミリアンの言葉がディーノの中にあるものと一つの線で結ばれた。

 今この場で、奴を倒すことができる可能性を秘めているのが、自分一人だと言うことを。

 そして、そのための切り札はすでに手札の中にあると言うこともだ。

「ふふっ、万策尽きたようだね……」

 マクシミリアンは満ち満ちたマナをかき集め始めると、周囲の気温が急激に下がり始めた。

 徐々に徐々に形を成して行くそれは、氷でできた巨大な一振りの剣。

「見るがいい! これこそが僕の魔降術の集大成だ! もう数はいらない! この一撃で君を真っ二つにすることが終幕だ!!」

 この礼拝堂ごと地面さえも叩き斬ってしまえそうな一振りが、マクシミリアンの号令とともに落とされた……。

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