四月に降る雪

 マクシミリアンはともかくとして、アウローラの欠席は、二組の面々が少なからず驚くほどに想像し得ない事態だった。

 大騒ぎというほどではないが、クラス中のざわつきが授業中にまで治まらず、休み時間のたびにあーだこーだと憶測が広まっていた。

 少なくとも、ディーノは自分が来る時間より遅く入ってくる彼女を見たことがない。

 突然無断欠席するとは考えにくいのも事実だった。

「ディーノは、なにか心当たりないの?」

 そう問いかけて来たのはシエルだが、アウローラと最も近い立ち位置にいるのは他ならぬ彼女ではないのかという疑問が浮かぶ。

「お前こそ、何も聞いてないのか?」

 シエルは無言で頷く。

「いつも一緒ってわけじゃないよ……」

 普段の無邪気な明るさをまるで感じないその返答が、今までにない事態だと如実に物語っているようだった。

 四時限目、歴史の授業は退屈さがいつにも増しているようで、ディーノを含む何人かは船を漕ぎ始めていた。

(あぁ……お腹へった)

 教科書を立てて机に突っ伏していたシエルの顔は窓の外を向き、白一色の曇天が自分を夢の世界へ誘ってくれる気さえした。

「マシュマロが降って来てる……わけないか。あれ雪だよね」

 誰にも聞こえない小さな声で、目に映る風景に対して呟いたその時だった。

「雪!? もう四月も終わりだよ!! なんで雪が降ってくるの!?」

 空から降ってきたありえないものに、シエルは我に返って飛び起きた。

 その叫びでクラス中の視線が学園の外に移る。

「シエルさん、静かになさい」

 歴史の教師も、その異常さに気づいているのか注意の声は弱く、チョークを黒板に走らせていた手を止めて、教卓を片付けると授業の中断を言い渡して教室から出て行った。

 ディーノが試しに窓を開けると、編入してきた頃のような冷たい空気が外から吹き込んでくる。

 幻覚の類ではない、この寒波も降雪もまぎれもない本物だと皮膚から伝わってきた。

(一体何が起きてる?)

『まだわからん……だが用心しろ。魔獣のマナを感じるぞ』

 ヴォルゴーレの一言にディーノの表情はこわばる。

 次の瞬間、開けっ放しの窓から聞こえてきたのは遠吠え。

 それも一つだけではない、幾重にも重なった無数の声がする方を見れば、グラウンドの方に四足歩行で駆け回る無数の影が見えた。

 ディーノたちはその正体を知っている。

「おい、あれってルーポラーレじゃないのか?」

「冬にしか出てこないはずだよね?」

「そもそもなんで学園に魔獣が出るんだよ! 街も学園も《結界》があるのに!!」

 ありえない状況が重なっていく中で、クラスメイトたちが騒ぎ始める。

 魔獣の脅威から人を守る《結界》、マナによって稼働するそれは転移の門と同じくロンドゴミア帝国時代から伝わる太古の遺産。

 だが、その機能には謎が多く失われた知識も数多い。

 真実はさておき、それを無視して魔獣が現れたという事実は、ここが安全圏でない事を示し、温室育ちのクラスメイトたちの心を恐怖に染め上げるには十分すぎる。

「みんな落ち着いて席に戻って!!」

 入れ替わるように教室へ入ってきたアンジェラが、手を叩いて全員を自分に注目を集めて一度着席させる。

「今、先生たちが原因の究明に当たっているわ。家から通っている子は講堂、寮生の子達は自分の部屋に、それぞれ先生が誘導します」

 アンジェラ他、教師たちが生徒をルーポラーレから守りながら、下の学年から一クラスずつ、避難指示に従っての帰寮となった。

 ほぼ強制的に部屋に戻されたディーノは、何をするわけでもなくベッドに寝転がる。

 自分の知らないところで、想像を超えた何かが起き始めている事に対し、確証はないが妙な胸騒ぎがする。

 消えたアウローラとマクシミリアン、重なるように起きたこの事態、そもそも寮内にいるのかもわからない。

 どうやって引き起こされたのか想像もつかないが、果たして無関係と言い切れるのか?

 コンコン、と部屋をノックされる。

 しかし、ディーノがドアを開けた先には、予想はできても本当に来るとは思えなかった二人が首を揃えていた。

「なんでこうなる……」

 心底不機嫌だと言わんばかりの表情を隠しもせずにディーノは呟いた。

「いやぁ、やっぱ一人だと退屈でさ♪」

 同じ寮生の男子であるカルロはまだわかる。

「だいじょぶだいじょぶ♪ 夕方には戻るって先生に話したから」

 気楽そうに話すシエルに、なぜか不安を覚えた。

 しかし、この二人がただの退屈しのぎで、わざわざ自分の部屋にまで押しかけて来るとは思えなかった。

「アウローラのことなんだけどさ、やっぱり寮にもいないみたい。先生たちは魔獣の方にかかりっきりで、探す余裕ないんじゃないかと思うんだよね」

 ここまでくれば、その先の言葉は予想できた。

 つまりは、自分たちでアウローラを探しに行こうとでも言いたいのだろう。

「で、当てはあるのか? そもそも俺らの範疇に収まる問題か?」

「じゃあ、ディーノは心配じゃないの!?」

 感情をむき出しにして問い詰めて来るシエル、しかし自分たちに何ができる?

 むしろ自分たちが動いたことで事態が悪化する可能性もあるのだから、軽率な行動は慎むべきだ。

 たとえシエルが純粋に友達を心配しているからと言って、感情だけで全てがどうにかなれば誰も苦労などしない。

「まぁ、落ち着こうよ。動こうと動くまいと、学園から外に出るのも無理っぽいんだよね」

 カルロが二人の間に割って入り、端的に今の状況を補足する。

「先生が話してるの聞いたんだけどさ。学園全体を結界……あ、もちろん魔獣よけのとは別の意味のが覆ってるし、転移の門も動かないらしいんだ」

 つまり、今この学園は孤立状態にあり、外からの助けを呼べるかもわからない。

 このまま教師たちが均衡を維持したところで、それが根本的な解決につながる保証もない。

「八方塞がりか……」

「あーもうっ! せめて誰が何のためにこんなことしてるかわかればいいのに!」

「いや、シエルちゃん。それ向こうからすれば一番バレちゃいけないとこだよ」

 シエルが腹立たしげに、学習机の椅子に座り込んだその時だった。

「何だろこれ?」

 机の上に置かれた白い封筒の存在にシエルは気づいて手にとった。

 金の枠が描かれ大きなイベントの招待状を思わせる上品なもので、ディーノ宛になっている。

「ひょっとしてラブレター?」

「なわけねぇだろ」

 からかうカルロを尻目にシエルから受け取って中身を開けた。

 三つ折りにされている手紙が顔を出し、それを広げて内容を一通り目を通した。

「なになに? なんて書いてあるの……」

 ディーノは驚きというよりも呆れが先行した表情とともに、無言で二人に差し出した。

「えーっと『僕から婚約者を簒奪せんと企む卑劣なる下民へ、本日の夕方より、僕とアウローラの結婚式を盛大に執り行う。証となる指輪を持って式場である《古の教会》へ来られたし、神に選ばれし魔降術士マクシミリアン・ロックス・ブルーム』って、うっわぁ……」

 読み上げたシエルがディーノと同じ顔になる。

 これでは招待状というよりも、身代金を要求する誘拐犯からの脅迫状だ。

「一気に核心に迫っちゃった……というか、もうこれは行くっきゃないね〜?」

 少なくともマクシミリアンの思い通りに事を運ばせるのも腹立たしいのは事実だった。

「やっぱり心配なんじゃない♪」

「あの野郎にくだらねぇ因縁付けられるのが、もううんざりなんだよ」

 シエルのからかう声を背に、ディーノは壁に立てかけてあるバスタードソードを手に取った。

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