指輪の真実

 闘技祭が終わりを迎え、振り替え休日を挟んだ火曜日の朝。

 早くも遅くもないタイミングで、教室に入ったディーノは歓声と共に迎えられた。

「おっはよー! 《剣闘士グラディエーター》」

「すげー試合だったな」

「あれなら、でかい魔獣二匹倒したってのもわかるぜ!」

 上の学年にも目を見張るような力量の先輩はチラホラいると言うのに、なぜ自分なのだと疑問が浮かぶ。

『より身近な相手だからこそだろう』

(黙れ)

 例のごとく茶化して来る相棒は置いておくとして、未だに顔と名前が一致しないクラスメイトからも賞賛の言葉が送られて来るも、少し気になることがある。

「その呼び方なんだよ?」

 どうも聞きなれない呼び名はどうやら自分をさしてのことらしい……。

 不意をつくように強い光が自分に向けて放たれる。

「お気に召さなかったかなー?」

 その先にいたのは、首から下げた写真機カメラが目を引く、ショートカットの女子生徒。

 かけた眼鏡をクイッと直しながら、馴れ馴れしい態度でディーノに声をかけてくる。

「初めましてだね。噂の編入生君♪ 三年三組の新聞部部長のテレーザ・フォリエよ。取材させてもらっていいかな?」

 片手に持ったストロボを光らせ、挨拶がわりに撮影してくるが、今のディーノにとっては不快以外の何物でもなかった。

「話すことなんざ何もねぇよ。失せろ」

 ディーノはその不快感を隠そうともせず、一方的に突き放すように答える。

「あらら~、ごきげんナナメ見たいだね~。じゃ、退散しますか」

 内心どう答えればいいのかもわからず、さって行くテレーザには目もくれることなく席に着いた。

「おはようございます。ディーノさん」

 隣には既に来ていたアウローラが、いつも通りに挨拶をしてくる。

「お、おう……」

 こう言う時だけは、今までと態度が違わないことがありがたいと思いつつも、自分の都合で避けていると言うのに、身勝手を恥じたくなる気持ちがせめぎ合う。

「安定のしかめっ面だねぇ。別に見られてるのは勝ち負けだけじゃないよ?」

 いつの間にか来ていたカルロも後ろから声をかけて来た。

 黙々と鞄から教科書等を出して、アンジェラが来るまで静かに待っていようと思ったのだが……。

 一人の男子が入って来て、クラスの空気がざわつき始めた。

 美男子ではあるが。一度見れば忘れようのない不快感を内包するその顔は、眉間にシワを寄せ穏やかではなく、大股でまっすぐディーノの方へと歩いてくる。

「やぁ、おはよう。あそこまで行くともはや達人の域だ。全く感服するよ……そのペテンの腕前は」

「何を言い出すんですか、マクシミリアン!!」

 真っ先に怒りを見せたのは、アウローラだった。

「まだ気づかないのかい? 彼は君だけじゃなく、周りまでも騙す巧妙な不正行為を行ったんだ! でなければこの僕が負けるはずがない」

 なんの恥じることもなく、マクシミリアンは声高に主張する。

 この男にとっては、叩きつけられた現実でさえも、自分だけに都合のいい妄想を上塗りすることが常のようだ。

「あいつ……カルロとの試合見てなかったのかよ?」

「保健室でまだ寝てたはずだ」

 遠巻きにクラスメイトたちが、ボソボソと話しているが、聞こえようと聞こえまいとマクシミリアンが態度を変えることなどないだろう。

「おおかた、そっちの貧乏貴族には八百長を持ちかけたんだろう? 決勝を棄権したことが動かぬ証拠だ! 先生の前の正直に告白することだね。この僕への謝罪とともに!」

 ディーノはその一言を聞いて胃が沸騰する感覚を覚えた。

 立ち上がり、マクシミリアンを睨みつける。

「ふざけるな……取り消せ」

 吐き出した言葉に、黒い殺気にも似た感情を目一杯に込めたとわかるほどにドスの効いた声が口を突き上げた。

「ふ、ふん! そんな目で見ても無駄だ! ごまかせると思うなよ?」

「俺じゃねぇ……カルロは《本物》だ。お前のナマクラなんざカスリもしないんだよ」

 それが厳然たる事実だ。

 カルロなら、全ての攻撃をディーノのように直接叩き落とす必要もなく、華麗にかわした上で首を切り落とすことができると確信していた。

 マクシミリアンのような、才能に溺れるだけの《見かけ倒し》が易々と貶していい相手ではない。

 ディーノにとっては、戦いの中で感じたありのままに対する心からの賛辞であったが、それが裏目に出ていることにはまだ気づかない。

「つまり、まともに戦えば君は負けた! 不正だと認めるわけだ!」

 我が意を得たりと言わんばかりにマクシミリアンの語気は強まる。

「その服の下に、不正の証拠が仕込まれているはずだ。出して貰おう!」

 有無を言わさずマクシミリアンはディーノの胸ぐらを掴みあげて、ワイシャツを強引に引っ張る。

 その目に余る態度には、遠巻きに見ていたクラスメイトたちも騒ぎ始めた。

 ネクタイが乱れてシャツのボタンも外れ、その下にあった物が露わとなったその時、マクシミリアンは目の色を変えた。

「これは……」

 ディーノの首から下げた鎖を力任せに引きちぎって出たのは、アウローラからもらった金の指輪だ。

「……ふ、ははは……、ペテン師ではなかったみたいだね……」

 乾いた笑い声をマクシミリアンがあげる、まるで勝利を確信したかのように。

「これは、おう……っおほん! アウローラの家に代々伝わる婚約指輪! 本来ならば僕が貰うべき物だ! 君は彼女の家からこれを盗み出したんだな! みんなも見るがいい! これが薄汚い下民の本性だ!」

 その言葉に反応したのはディーノではなかった。

 ぱぁん!

 と、小気味良い乾いた音が響いた。

「なっ……」

 声高にディーノを罵っていたマクシミリアンも、言わせていたディーノも、周りで見ていたクラスメイトたちも、あっけに取られていた。

 アウローラが立ち上がり、マクシミリアンの頬めがけて力いっぱいの平手打ちを見舞っていた。

「いいかげんにして!! ディーノさんはそんな人じゃないっ!!」

 常に温厚で誰にでも敬語で話すアウローラが、感情をあらわにして語気を荒げて激昂することなど、今まで誰も見た記憶はなかった。

「なぜなんだ! 僕は君の婚約者なのに、なぜ下民の盗っ人をかばう!?」

「その指輪は、わたしが子供の頃にあげたものです! あなたが私を知るよりもずっと前に! 身勝手な言いがかりは止めて!」

 呆気にとられたマクシミリアンの手から指輪を取り返したアウローラは、改めてそれをディーノに手渡した。

 指輪の意味は薄々予感していた。

 果たしてこれを受け取っていいのか、ディーノは悩む。

「お願いします……ディーくん。あんな人には絶対に渡したくない……」

 誰にも聞こえないような小声で囁くアウローラのその顔が、いかに悲痛で悲惨で悲壮な気持ちを抱え込んでいるのかは嫌でも理解できた。

 ディーノは無言で受け取り、上着のポケットへと無造作に突っ込んだ。

「ふ、ふざけるなぁ! 婚約者の僕を差し置いて! 汚い手でそれに触るな下民がぁっ!!」

 マクシミリアンはなりふり構わずディーノに殴りかかろうとしたその時だった。

「はい、みんな! ホームルーム始めるよー! 席ついてー!」

 始業を告げるチャイムと共に、アンジェラが入ってきて、手をパンパンと叩く。

 教師を前に暴力沙汰はまずいと、マクシミリアンも理性で判断したのか、手は止まっていた。

「命拾いしたな、下民が……」

 自分の席へ戻る際、すれ違いざまに耳打ちしてきた。

(やっぱり、面倒なことになったか)

 ため息をひとつついてディーノは席に座ると、アンジェラは出欠を確認し始めた。

「それと、一時限目のマナ学は特別授業だから、教科書は特にいらないわ。ただし、宿題は提出してね」

 一部でブーイングが起こるが、アンジェラは歯牙にもかけず、授業の準備を始めていた。

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