仮面舞踏会の終わり、戦女神の出陣

 目の前には、一撃を受けたカルロが大の字になって仰向けに倒れていた。

「勝者、ディーノ!!」

 高らかに告げられた勝ち名乗りだが、ディーノの耳にはまるで入らない。

「……はぁっ、はぁっ」

 ディーノは荒い息遣いで滝のような冷たい汗を流しながら、自分の首回りに手を当てた。

 繋がっている……。

 あの一合の瞬間、ディーノは死を覚悟した。

 しかし、なぜこのような結果になっているのか、理解できなかった。

『あ……えーと……会場の皆さんごめんなさい! あたし、途中から実況を忘れてましたぁっ!! 息を飲む、心奪われるとはまさにこのこと! 予想をはるかに上回る大・激・闘っ!!』

 シエルの声を皮切りに観客たちは、目が覚めたかのように会場を大歓声で包み込んでいた。

 程なくしてカルロが立ち上がると、自分が無事であることをアピールしながら、試合前と同じように愛想を振りまいている。

「勝ったんだから、もっと胸はろうぜ」

 カルロはいつもの調子で馴れ馴れしく肩を組んで、手を振っている。

 だが、ディーノはそれを素直に享受することはできない。

 仏頂面のままカルロの手を振り払うと、剣を納めて足早に会場を去って行った。

『あーちょっと待ってよディーノ! せっかくだからインタビューでもしたかったのにーっ!!』

 引き止めるシエルの声を無視して控え室へと戻り、苛立ちを隠しもせずに座り込む。

 何か言いたげな人間はいても、どうせ遠巻きに見ているだけなのだから、気にする理由はなかった。

 最後に放たれた炎の糸、あれはディーノの攻撃に合わせて首を切り落とすために仕掛けた最後の一撃のはずだ。

 殺し合いならば、死んでいたのは自分だ。

『完敗だな』

 ヴォルゴーレもそれをわかっているのか、茶化してくる。

 学園というゆるい空気が当たり前の場所に慣れ始め、対等に戦える相手などいないと心のどこかで決めてかかっていた。

 頭の中では、仮面の下に何かを隠していることを察知していたはずなのに、侮った。

 カルロはまぎれもない《本物》だ。

(俺……まだまだだな)

『なぁに、世界は広い。お前の知らないことなど山ほどあるぞ?』

 心の中で相棒と語らっていると、ドアが開けられる。

「んも~、先に帰っちゃうなんて、ディーノのいけずぅ♪」

 試合前と変わらないどころか、余計にわざとらしい口調で身をくねらせながら、カルロが戻ってきた。

「てめぇ……」

 ある意味、マクシミリアン以上の不快感が腹の中を渦巻き、胃液が煮えたぎってくる。

「穏やかじゃないねぇ♪」

「誰のせいだと思ってる」

 一戦交えて見直しかけたところで、この有様である。

 どちらが本当の顔なのか、怒りと呆れが同時に出てきてなんとも言い難い気分になってしまう。

「で、約束通り教えるよ?」

 カルロにそう言われて、試合前のことを思い返すが……。

「いや、いい。それは自分で見つける」

 ディーノは首を横に振ってきっぱりと断った。

 実質的に負けていることは向こうもわかっているだろうし、お情けで教えられるのも釈然としない。

 遠巻きに歓声が上がり、ドアが開いた。

「ディーノ君、次の試合の準備をしなさい」

「……俺は棄権する」

 呼び出しに来た教師だけでなく、控え室にいた全員が呆気にとられていた。

 だが、ディーノの表情がいたって真面目なものだったからか、教師は咳払いして運営に伝えると言い残し、その場を去る。

 カルロと戦ったダメージが見た目より大きく、満足に戦えないからだと思ったのだろう。

「自分に厳しいこって……」

 本当の理由を察したカルロだけは苦笑いしていた。

 数分後に、シエルと観客たちから驚きの絶叫が会場中に響き渡ったのは言うまでもないことだ。

「んじゃ、行きますか?」

 カルロはわかっているだろうと言わんばかりに、ディーノに誘いの言葉をかける。

「どこにだよ?」

「決まってんだろ? かわいいファンが待ってるじゃないの♪」

 マクシミリアンと戦う前に、そんなことがあったと今更思い出した。


   *   *   *


 半ば強引にカルロの手招きで観客席の方に行くと、すでに始まっていた女子の試合で観客席は大賑わいだった。

 極端に騒いだりしなければ、気づかれることもないだろう。

 面倒な気分だったが、カルロは面白がっているのか、ディーノを放そうとしない。

「お前、本当は幼女趣味なのか?」

「なに言ってんのさ? 全ての女の子は等しくこの世界の至宝だよ」

 ディーノはため息をひとつついた。

 控え室に残っていても特にすることなどないが、だからと言ってカルロにわざわざ付き合う義理もないと言うのに、なぜここにいるのかと。

 自分より先行していたカルロは足を止めた。

「ここの隣、二人分空いてるかな?」

 その奥にいたのは、間違いなくあの日の女の子だった。

「あ! あの時のおにーさん!」

 ピンク色のショートヘアが目立つ小柄な女の子、白い制服は初等部で、やはり十歳前後と思われる。

「初めまして、小さなお姫様。お兄さんたちにお名前を教えていただけませんか?」

 カルロがひざまずいて丁寧にお辞儀をする。

「ソフィアです。それと、同じクラスのレオーネ君」

 隣に座っていた同じ年頃と思われる少年も含めて自己紹介する。

 燃え立つような真紅の眼と、アウローラに劣らないほど輝く金髪が印象的でまじめそうな少年だ。

「ど、どうぞ! あとレオンって呼んでください」

 レオンが奥に詰めて二人分の席が空いたので、手前に座らせてもらう。

 ソフィアとレオンがディーノたち二人を見る視線は、曇りなくキラキラとしていた。

「さっきの試合、凄かったです! どうすればあんな風になれるんですか?」

 今しがた名前を知ったばかりだと言うのに、レオンはディーノに対して物怖じせずに聞いて来る。

 しかし、今のディーノにとっては、カルロとは違う意味で鬱陶しい。

「俺は何の参考にもならない。目指すならこっちにしとけ」

 冷めた態度で、隣に座っていたカルロを差し出した。

「えぇ~! 僕は女の子専門なんだけどー?」

 カルロの言葉には聞く耳を持たなかった。日頃のお返しも兼ねてのことだ。

 しかし、レオンはカルロを見つめる目も変わらずキラキラとした輝きを放っており、さすがに邪険に扱う気にもならないようだ。

「わかったよ。それには毎日鍛えて、好き嫌いなく何でも食べるこったね。まだまだ成長期なんだから、まずは基礎が大事だよ」

 意外にもカルロはまともに応対する。

「ディーノおにーさん。あの……」

 今度はソフィアの方が、うつむいて顔を赤くしながら話しかけてくる。

「あの時は、ほんとうにありがとうございました」

「言っただろう。好きで助けたんじゃない」

「でも、助けてくれたことは変わりませんから!」

 まっすぐにソフィアはこちらを見据えてくる。同じ目をした女子を、ディーノはよく知っていた。

「……ひとつ言っておく。俺みたいなやつを応援なんかするな。周りからどんな風に見られてもしらねぇぞ」

 ソフィアの少し悲しげな顔に罪悪感を覚えなくもないが、この二人からは、ディーノにとっても忘れられない時を思い出す。

 だからこそ、こう返すことしかできないでいた。

『さぁ、二年生女子の部、第二試合はこの二人ーっ!』

 暗くなりかけた空気を遮るかのように、シエルの実況が試合の開始を告げる。

『光をまとって飛ぶ姿はまさに女神! 二組の頼れる委員長! 《戦女神ヴァルキュリア》アウローラ・ユングリング!』

 白の衣装に身を包んで現れたのは、ちょうど思い出していた相手だった。

「アウローラ様頑張ってー!」

「お顔を傷つけられないでー!」

「あたしを妹にしてくださいー!」

『そして、対するはまたも同じクラス、《突風フォラータ》イザベラ・フォン・へヴェリウス! ってゆーか組み合わせ考えた人かぶせすぎでしょ! その高飛車っぷりが通用するのか! 貴族対決のどちらに軍配があがるのか!』

「イザベラ様も負けないでー!」

「その凛々しいお顔をこちらにも向けてー!」

「お姉様と呼ばせてくださいー!」

 二人が名前を呼ばれると一部から強烈な歓声が湧き上がった。

 声の主はいずれも女子だ。

 少なくとも、嫌われているわけではなさそうだが、純粋に慕われているのかと考えると妙な違和感がある。

「ありゃなんだ……?」

「まぁ、僕らにはわからない世界ってのもあるんだよ」

 ディーノが辟易混じりの疑問をつぶやくと、カルロは肩にぽん、と手を乗せて優しげに説明した。

 相対する二人だったが、その表情を見るにイザベラの方は一方的に敵愾心を燃やしており、アウローラはそれに困惑している風だった。

「それでは、初めっ!」

 男にはわからない戦いの火蓋が切って落とされた。

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