大切なもの

 時間はディーノとアウローラが目覚める少し前に遡る。

 カルロとシエルから、魔獣に襲われて下の森へ落下したと知らせを受けたアンジェラは、空から彼らを捜索そうさくしていた。

 チャレの森も、このブフェの山も、絶対安全とは言いがたいにしても、このところ異常ばかりが続いている気がする。

 テンポリーフォを目撃した例などせいぜい五年に一度、その一度が今日だっただけと言われればそれだけの話かもしれないが、こうも立て続けに危険な事態が起こるとなれば、授業内容の見直しだけでなく、他の教員との相談も必要になる。

 生徒の親が黙ってはいないだろうし、自身の評価も下がるかもしれないが、そんなことは些細ささいな問題でしかない。

 一番大事なのは、今受け持つ生徒の命を預かる身としての責任を果たすことだ。


 森を抜けるべく、ディーノとアウローラは歩を進めていた。

 自分たちの現状をかえりみても、ここで一晩を明かすことは不可能に近い。

 転移の門から目的地へと向かって、西に進んでいたことは覚えている。

 太陽を背にして東へ進めば、少なくとも転移の門には近づけるということだ。

 ディーノは時折立ち止まると、目を閉じて意識を集中する。

 存在がこの森の中へと溶け込んでいくような、自分の知る魔術とはかけ離れた異様さをアウローラは感じていた。

「……少し、南に下るか。まっすぐ行くと何かいる」

「どうして分かるんですか?」

「魔獣のマナを探ってる。三十メートルぐらいが限界だが、身を隠して近づきすぎなければなんとかなるだろ」


 魔獣だけでなく、全てのものにマナは宿るということを考えれば理屈はわかる。

 しかし、それは機能がそれ一点に特化した高度な魔術具まじゅつぐか高価な魔動機械まどうきかいを用いなければならず、ましてや人間が感覚だけで行うなんて芸当は聞いたことがない。

 焔星ほむらぼしの魔女から叩き込まれた魔術の一つだとすればつじつまは合うが、ならば教師時代に学園で教えなかったのかという疑問が残る。

「ディーノさん、あの剣がアルマではないのですよね?」

「……ああ」

 ディーノは短く答える。

 魔術の心得があったとしても、アルマを全く使わずに発動させる魔術など教わるはずもない。

「俺にはお前たちの方がわからない。アルマとかいう武器を持たなきゃ使えない魔術なんて、不自由にもほどがある」

「師匠の方は教えてくださらなかったのですか?」


 アウローラの問いに、ディーノの体は一瞬だけビクッとすくみあがった。

 まさか、またいらないことを聞いてしまったのではないかと、嫌な方向へ想像してしまう。

「……魔獣の住処に放り込まれて、自給自足で生き延びて、あとは師匠とひたすら戦っての繰り返し……思い出したくもねぇ」

 息を荒げ、汗だくになりながら説明するディーノが、なぜか少しだけ可愛げがあるように感じた。

 しかし、説明を嫌がっているわけでもない。とすればあの時の原因となる禁句きんくを結果的に絞り込める。

 それに、あの時……。


 視界に飛び込んできたのは、必死な表情を浮かべて落ちる自分に手を伸ばすディーノと、後ろから襲いかかる魔獣の姿。

 だめだ、自分を助けに来てしまっては。

 アウローラが声を発する間も無く、ディーノは背中を引き裂かれ、花びらのように血しぶきが舞い散る。

 だが、ディーノはそれでも怯まなかった。

 戦意を失う事なく剣を投げつけて魔獣を退け、自分の体は抱き寄せられる。

「ダメ! ディーノさん放して!!」

 このままでは、仮に自分が助かってもディーノが死ぬ。

 そんなことは望んでいないのに、ディーノは力をゆるめない。

 そして、真下の森が近づいていったその時、失いかけた意識の中、アウローラは最後に奇妙なものを見た。

 紫色の爪が伸びた腕、人間のようで人間でないモノの一部を……。


 しかしディーノは、普段となんら変わりのない人間の姿形をしている。

(いやダメダメ! うたがっちゃダメ!)

 アウローラは思い出したことを強引に頭の隅へと追いやった。

 命の危機にひんして生じた錯覚さっかくかもしれないし、気を失っている間に見た夢かもしれない。

 せっかく少しだけ歩み寄れたと言うのに、わざわざまた亀裂きれつを広げる必要はない。

 今は二人で生き残ることを考えなくては。

「……一ついいか?」

 今度はディーノが問いかけてくる。

「お前、あの槍はどうする?」

 ディーノと違って、アウローラはアルマを持たなければ、満足に戦えない。

 ならば、自分以上の死活問題になると言うことを気にしているのか。

「大丈夫です。お金はかかりますけど、学園に戻ったら新しいものを作っていただきます」

「そうか……探してる時間はねぇから、もし大事な物ならと思ったんだが」

「気にしないでください。むしろ、私の方こそ足手まといで」

「いちいち卑屈ひくつになるな……俺も大して変わらねぇんだ」

 そこまでで会話を打ち切って、再び歩を進め始める。


 森の中までオレンジ色に染まり始め、年の暮れほどではないが日はまだまだ短い。

 影も多くなる中では、気温も急激に下がって来るだろう。

 息も白くなり始めた時に、アウローラは気づいた。

 前を歩いているディーノが、しきりにため息をついていることを。

(もしかして……)

「ディーノさん。剣のこと、気にしてるんですか?」

 一瞬だけ止まったように見えたが、ディーノは何もなかったように歩みを再開した。

 それだけでわかった気がする。

 あの剣はディーノにとって、何か特別な思い入れがある一品なのだと。

「仕方ねぇよ。山の上まで行かなきゃなんないかもしれねぇんだ」

「でも、大切なものじゃないんですか?」

「客観的には、ただの古びた鋼鉄の剣だ。気にするな」


 そんな会話を繰り返しながらも、次第に木々がまばらになり、森の出口が近づいてきたことを感じ始めた時。

 生きて森を出られると言う希望が心にき、気がゆるんだ一瞬の出来事だった。

 ディーノはつかんでいた手を放して、思い切りアウローラを突き飛ばした。

 突き飛ばされた体が、木に衝突して止まったアウローラが視界に収めたのは、ディーノに向かって、上から巨大な影が襲いかかってきた光景だった。

 ディーノは攻撃を間一髪でかわしたものの、その動きは体全体に重りでもつけているかのようににぶかった。

 襲ってきた影の主はいななきを上げて、ディーノを見すえている。

 その姿に……いな、胸に突き刺さった鋼鉄の剣に二人は見覚えがありすぎた。

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