真実を思い出す時

「……生き……てる」

 意識を取り戻したアウローラの視界にあったのは、木漏こもれ日にゆれる生い茂った木々の枝だった。

 自分は確か、アルマを取り落として飛行魔術を維持できなくなり、そのまま崖下へ真っ逆さまに落ちていったはずだ。

 体は不安定な木の上にある。と言う事は地面に激突するのは避けられたらしい。

 無数の枝がいくらか衝撃をやわらげてくれたようだが、落ち着いたところでもう一つの大事なことを思い出す。

「そうだ、ディーノさん!」

 ほどなくして、自分の体は木の幹や枝に支えられているわけではないことに気づく。

「……あっ」

 そう、アウローラの体は、気を失ったディーノに抱きしめられたままだった。

 治癒の魔術を、そう思ったが肝心かんじんのアルマがどこに落ちてしまったのかわからないし、今この場を離れて当てもなく探したところで見つかる確率はゼロに等しい。

 魔術を使えないと言う事は、戦えないと言う事実に直結し、いまのアウローラは何もできないただの学生だ。

 そして、この場所で最も弱い存在といっても過言ではない。


「……う……ん」

 そうこう悩んでいると、ディーノの体がかすかに動く。

 途方に暮れかけたアウローラだったが、助かるかもしれないと言う希望の前に、死なずにいてくれたことに安堵のため息をついた。

「生きてる……みたいだな」

 それは自分のことなのか、目の前のアウローラを見て言ったのか、そのどちらでもあるのだろう。

「ディーノさんっ!」

 アウローラは目に涙を浮かべて、胸に顔を押し付ける。

「よかった……。私のせいで死んだらって……」

「いいから落ち着け」

 面倒くさそうにディーノは引き剥がして、周囲の様子を確認する。

「捕まってろ」

 アウローラを背中におぶる形で木の幹を片手と両足をかけて下り始めた。


 落ちてから、目が覚めたばかりだと言うのに、もう動けるのだろうか?

「あ、あの……痛くないんですか?」

「痛ぇに決まってるだろ。けど、あそこじゃどうしようもねぇ」

 不安定な体制ながらも、器用にとっかかりを探ってゆっくりと下りていき、程なくして二人は地面に足をつくことができた。

 ディーノは力が抜けたように、木の幹を背にして座り込む。

「……あれっ?」

 アウローラは服の袖を見て、ふと疑問に思った。

 自分に大きな傷はなかったはずなのに、そでと胸元に血がついており、先ほど自分はディーノの背中にしがみついていた。

 それが意味する事はたった一つ。

「ディーノさん。上着を脱いでください」

 アウローラは、腰のベルトに取り付けた小さなかばんの中身をあさる。

 中には緊急事態に備えて、薬を入れてある。

 飲むタイプの解毒薬は小瓶こびんが落下の衝撃で割れて中を汚してしまっていたが、木の小箱に入った外傷用のぐすりはかろうじて無事だ。


「お薬です。背中の傷に塗りますから」

 だが、ディーノは訝しげな顔を浮かべたまま動こうとしない。

「……自分でやるから構うな」

 頑なにアウローラの助けを拒むが、ここで退きたくはなかった。

 このままでは、迷惑のかけっぱなし、文字通りの足手まといになってしまう。

「背中に手は届かないでしょう? ぬ・い・で・く・だ・さ・い!」

「……どんな気分になっても知らねぇぞ」

 語気を強めるアウローラに、ディーノは観念したのか後ろを向いて破れかかったマントを外して、上着を脱ぎ始めた。

 あらわになった背中は、いや背中だけでは無く上半身全体が、アウローラにとっては衝撃が強すぎた。

 切り傷、刺し傷、引き裂き傷、数え切れないほどの傷、傷、傷。

 右肩甲骨のあたりには大きな火傷の跡、無事なところを探すのが難しいほど、傷だらけの体。

 これが、自分と同じ年数しか生きていない少年がなっていい体だとはとても思えない。

 いやしの魔術をディーノが使えるかは知れないが、治るのが追いつかないうちから新たに生傷を刻み込まれ続け、剣を振るうため鍛え抜かれた筋肉をともなった皮膚ひふは、恒久的こうきゅうてきに分厚くなったのだろう。

 体系はカルロとさほど変わらないように見えながらも、戦いの中で生きた体だと無言で主張していた。


 そして、背中は今さっき魔獣にやられた三本の爪痕が斜めに走り、ディーノ自身の血で真っ赤に染め上げられていた。

 アウローラは、塗り薬を適量指につけて、傷口にそっとわせるようにして、染み込ませていく。

 魔術と違って一瞬で完治する事はないだろうが、真新しい傷ならば跡を残さないくらいはできる事だろう。

「痛かったら、言ってくださいね」

「別に」

 後ろを向いたまま返される一言は、さっさと終わらせてくれと言う心の声が聞こえそうだ。

 やがて、薬を塗り終えた時、アウローラはあることに気づく。

 傷跡よりも上、首には金色の細い鎖で何かを下げている。

(もしかして!)

 千載一遇せんざいいちぐうのチャンスだと、アウローラは思い立った。

 今なら二人きり、確かめるには絶好のタイミングだった。


「ディーノさん。聞いていいですか?」

 アウローラが切り出すと、ディーノはその答えをすぐに返さなかった。

「……なんだ?」

 時間にして一分にも満たなかったが、それでも長く感じた沈黙の末に聞き返される。

「首から下げている物、見ていいですか?」

 答えを確かめずにはいられなかった。

「子どもの頃、黒い髪の男の子に渡したものがあるんです。

 私のために顔に大きな傷を作って、取り戻してくれた大事なもので、でも私は本当の名前を言うのが怖くて、持っていてって頼むのが精一杯でした」

 思い返されていく、大切な記憶が、パズルのピースを埋めるように。


 その日は夕方から天気が悪かった。

「とんだ大ケガをしちまったなぁ。治療費をこいつで払ってもらおうかぁ」

 酔っ払った男が、ぶつかって言いがかりをつけてきた。

 アウローラの首に下げられた、金色の指輪を奪い取り、下卑た笑みを浮かべていた。

「ふざけんな! それはアーちゃんの大事なものだ! アーちゃんに返せっ!!」

 一緒に遊んでくれていた、黒髪の男の子が、酔っ払いに立ち向かっていく。

 だが、子供と大人では背丈も体力も違いすぎて、たやすくあしらわれてしまう。

「生意気なんだよ!」

 蹴飛ばされ、踏みつけられても、男の子は立ち向かうことを決してやめない。

 紫色の目は、決して諦めようともしない。

「しつこいんだよ悪魔のガキが!」

 酔っ払いの攻撃が、さらに苛烈さを増し、背中を踏みつけられれば、石畳に顔面を打ち付けられ、最後にはナイフを取り出してきた。


「もうやめて! あげますから! ディーくんにひどいことしないで!」

 これ以上やれば、殺される。

 直感したアウローラは、ディーくんの前に立ちふさがった。

 もうこれでいい、今見逃してもらえるならと思ったその時。

「泥棒め!」

 それでもなお、ディーくんは立ち上がってきた。

「お前なんか……お前なんか……」

 酔っ払いを、獣のような目つきで睨み返し、じりじりとにじり寄っていく。

 空を覆う雲がその怒りを哀れむかのように、しとしとと涙雨を降らせ始める。

「ぶっ潰してやるーっ!!」

 アウローラは見た。

 ディーくんの体が紫色の淡い光を発し、振り上げた拳に稲妻が走るのを。

 酔っ払いは自分よりも小さな子どもに起こったことを信じられないと言った表情を浮かべ、半狂乱になりながら闇雲にナイフを振るった。

 その刃がディーくんの左頬をかすめても、拳を止める事はできない。

「あぎゃあぁぁぁぁっ!!」

 走った拳が酔っ払いの顔面をとらえ、体を稲妻が貫いた。

 吹っ飛ばされた酔っ払いは、ぴくぴくと痙攣しながら、ディーくんを恐怖に染まった目で見ていた。

「こ、こんなおもちゃいらねぇよっ!」

 捨て台詞を吐きながら、指輪を投げつけて這いずるように酔っ払いは逃げていった。


「今でも、昨日のことみたいに思い出せます」

 アウローラは、少しだけ気恥ずかしげに話を終える。

 言ってしまった。

 もう後戻りはできなくても、答えが欲しい。

 ディーノは微動だにしないまま、上着を着直していた。

(やっぱり、違う人なの?)

 どんよりと、心を雲が覆っていくようだったが……。

「悪いが心当たりはねぇな……」

 ディーノは向き直ることなく、冷たく突き放すように答えた。

「そうでしたか……ごめんなさい。わたし、自分の都合ばかり押し付けて」

 現実はそう甘くはない、頭ではわかっていたはずなのに、全てが真っ白になってしまうような絶望感がアウローラを支配し始めていた。

「なんで謝る?」

 ディーノは仏頂面を崩さずに向き直ってアウローラに問う。

「だって、わたし……」

「謝んなきゃいけないのはこっちだ。何も知らないお前に当たり散らした……本当にすまなかった」

 それまでの表情とは違い、年相応の少年の顔だった。

 この世界の誰に対しても心を開くことのないような冷たい空気は鳴りを潜めている。

「いえ、不用意に聞いたのはわたしですから」

「気にする必要はねぇよ。それよりも、日が落ちる前に森を抜けないとまずい」


 ディーノの言葉で、ようやく現状を思い出した。

 アウローラはアルマを紛失してしまっているし、ディーノも剣を魔獣に投げつけてそのままなのだ。

 二人とも手元に武器がなく、傷は癒えたものの、状況は決して好転しているとは言えなかった。

「なぁ……」

 ディーノからアウローラに声をかける。

 それは戦う時以外は初めてのことだった。

「なんですか?」

「帰ったら……茶、飲まないか? 四人で」

 以前、自分のせいで台無しにしてしまったことを思い出したらしい。

「えぇもちろん! シエルさん、きっと喜びます!」

 日が傾き始め、魔獣がいるやもしれない森の中、だけど恐れるものなど何もない。

 ディーノはおもむろに左手を出した。

 アウローラはその意図に気づいて、右の手を出すと無言でつかまれた。

「行くぞ」

 ディーノはアウローラを引っ張りすぎないように、ペースを加減しながら歩き始めた。

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