風の山へ

「……ちょっとこれどーすんの」

「いやぁ……ちょっとした荒療治あらりょうじのつもりだったんだけどねぇ」

 シエルとカルロは小声で話しながら、前を歩く二人を見守るしかなかった。

 今日の課題は、王都から南に二〇キロほど行った"ブフェの山"の中腹で薬の材料となる"オルキーラの花"を採取すると言うものだ。

 ブフェの山はふもとが生い茂った森で、登るほどに草木は減り、険しくなっていく。

 頂上は人が立っていられなくなるほどの大風が常に吹き荒れ、幻獣の住処すみかがあるとまでうわさされているが定かではない。

 森と大風にはさまれた中腹は餌になる動植物がとぼしく、よほど上の方にまで行かない限り魔獣に遭遇そうぐうすることは少ないとアンジェラに説明された。

 先日の一件から、魔獣退治の課題をあてがうことに慎重になっているのだろう。

 そして、四人で組んだところまでは、カルロの目論見通りだったが……。


「うぅ~、この空気どうすんのさ」

 冬山の寒気だけが原因ではない乾ききった有様に、シエルが根を上げてしまいそうだった。

 ディーノは魔獣を警戒しながら黙々と先頭を行き、それをアウローラがソワソワとしながらも追従ついじゅうしていく。

 気まずい。

 ディーノとアウローラの会話がほとんどないまま、山を登り始めて一刻ほど経っていた。

 なまじ魔獣も何も出てこない、目的地まではただ山道を歩いていくだけなのだ。

 せめて、戦いの連続であったほうが、多少気が紛れたかもしれない。

 標高が上がっていくにつれ、道はだんだんと荒れて行き、視界も岩とがけが占めて閑散かんさんとしていく。


 そして、一行は吊り橋に差し掛かった。

 めったに人の来ない場所だからか、足を踏み出せばそれだけでれ動き、張られたロープはすぐちぎれてしまうほどではなさそうだが、かなり古くなっている。

「……なぁ」「あっ……あの」

 続く沈黙に限界だったのか、それとも不安感に襲われたのか、冷たい風が吹き抜ける中で、二人は同時に口を開いた。

「え、っと……ディーノさんからどうぞ」

「いや、大した話じゃない。お前からでいい」

 またも膠着こうちゃくが続いてしまう。

((不器用かよ!!))

 このじれったい空気に耐えられなくなっているのは、当人たちだけではない。

 むしろ、カルロたちの方が胃や心臓が押しつぶされる気分だった。

「……っ!!」

 続けて口を開こうとしたディーノは、言葉を発しかけるものの、いきなりさやから剣を抜いた。

「ちょっとディーノ! なにも剣を向けなくたって」

 見かねたシエルが大声を張り上げるが、ディーノは微動だにせず、周囲の空気をヒリつかせる。

「話はあとだ」


 目線の先には、五メートル近くある翼を生やした獣が宙を泳ぐようにこちらへと近づいてきた。

 頭は空の王者たるタカ、前足は陸の覇者はしゃたる獅子、後ろ足は草原を駆け抜ける馬、陸と空を制する三種の動物を掛け合わせたかのような魔獣。

『こいつは《テンポリーフォ》、この地形ではやっかいな相手だ』

 ヴォルゴーレが聞いていないにも関わらず、頭の中でしゃしゃり出てくる。

 不安定な吊り橋の上、相手は翼を持ち常に空から攻撃を仕掛けられる、そしてディーノは遠くの敵を攻撃する魔術に乏しいと、不安材料は多い。

 そして、もう一つ気になることがある。

(この間のやつと同じか?)

 あの異常なマナと殺意を持ったルーポランガのことが思い起こされる。

 奴のような相手と一戦まじえるのなら、二の舞になることだけは避けるべきだ。

『いや、普通の魔獣だ』

 ヴォルゴーレの即答で、不安材料が一つ減った。


 しかし、それでもこの吊り橋を無傷で渡り切るのは難しいだろう。

 自分のすぐ隣にいるアウローラを見る。

 そして、少し後ろにいたカルロとシエル、三人とも戦闘に備えて最初からアルマを出していたが、四人でなんとかなる相手なのか。

 さらに言えばディーノ自身、信頼されているかと考えれば、答えはノーだ。

「……どうやって逃げる?」

 それでも、アウローラに問いをしぼり出した。

 彼女の顔は、まるで予想もしていなかったと言わんばかりの驚きがあった。

「ディーノさん……どうして?」

 きっと、戦うと言い出すと思ったのだろう。

「ここで戦っても、下手すりゃ落ちる。どっちにしても勝算は薄いだろうが、お前は自分だけ飛んで逃げたりはしないだろう?」

「もちろん。みんなで助からなきゃ」

 アウローラは三つ叉の槍を構えて、テンポリーフォをまっすぐに見据える。

「そっちは何か手はあるか?」

 カルロとシエルにも声をかける。

「ヒュゥ♪ お声がかかるとは嬉しいねぇ」

「でも、どーすんの? あたしもカルロも飛べないよ?」

 カルロがおどけて返し、シエルは現状を教えてくれる。

 だが、どう立ち回るかの考えがまとまるのを、敵は決して待ってなどくれない。

 テンポリーフォは嘶きながら滑空して襲いかかってくる。

 だが、その狙いはディーノ達ではなかった。


『まさか!?』

 ヴォルゴーレが頭の中で叫んだ時は遅すぎた。

 テンポリーフォは、獅子の剛力を秘めたその前足を、吊り橋の中央に向けて力任せに振り下ろしたのだ。

 その一撃は古くなった橋の踏み板を容易く砕き、四人の体重で負荷がかかっていたロープが駄目押しを受けて千切れる。

 真っ二つにされた吊り橋が、ディーノとアウローラ、カルロとシエルの二人ずつにグループを分断する。

 地形の状態を利用して、仕留める算段を立てた向こうが一枚上手だったようだ。

 ディーノは頭の中でイメージを固め、飛行するための魔術を発動させる。

『光よ、空をゆく翼となれ』

 アウローラもとっさに飛行の魔術を発動させるが、それでも自分だけを浮かすのが手一杯だった。


 カルロは自分たちが来た方向へ手を伸ばしてアルマを向けると、落下の速度が落ち始めていた。

「シエルちゃん捕まって!!」

 必死に伸ばしたシエルの手を、カルロが伸ばしたもう片方の手で力の限りつかみ、二人の落下はかろうじて止まる。

 カルロの真上で突き出た岩に、輪っかのような焦げ跡が生じ、見えない何かでぶら下がっているように見えた。

 彼らの無事に安堵しているのも束の間、テンポリーフォは、手近なこちらに狙いを定めて突撃して来た。

 どんな理屈かはわからないが、馬の脚が宙を蹴ることで爆発的に加速してくる。

 その狙いの先は、ディーノではなくアウローラだった。

 ディーノは身を切り返して防ぎにかかるが、翼を持つ相手に反応速度も飛行速度も勝る筈もない。

 そして、アウローラもまたそれは同じだった。

 彼女の力量がどれだけのものか、ディーノは知れないが、少なくとも女性であり持っている武器の性質からして、突進してくる相手を押し返すほどのパワーはまずないだろう。

 アウローラはとっさに横へと飛んで、テンポリーフォの攻撃をかわしにかかる。

 だが、敵からすればその動作はスローモーションでしかなかった。

 一撃は直撃をかろうじて免れたものの、アウローラの右肩をかすめた。

 その事実に安堵したディーノだったが、それは大きな間違いだったことにまだ気づいていなかった。


 アウローラが握っていたアルマが彼女の手を離れ、はるか下の森の中へと落ちていく。

 その瞬間、彼女の背中に生えた翼が、光の粒となって虚空へと舞い散って、身に纏う魔衣ストゥーガが元の学生服に戻っていく。

 この時ディーノは知らなかったのだ。

 彼女たちの魔術はアルマ、正確には宝石が持ち主から遠く離れると、効力を失ってしまうという事に。

 支えを失ったアウローラもまた、アルマの後を追うように落下していく。

「くそっ!」

 ディーノは力一杯宙を蹴ってアウローラの後を追った。

 そして、それを狙っていたのかすぐ背後に、テンポリーフォが迫ってくる。

 振り下ろされた前足の爪が、無防備なディーノの背中をマントごと引き裂いた。

「ディーノさん!!」

 アウローラの澄んだ声が耳を通る。

 追撃を仕掛けてくるテンポリーフォに向かって、ディーノは手に持ったバスタードソードを投げつけた。

 ペレグランデの時と同じだ。

 獲物を狙って攻撃のモーションに入っているか、当てた直後は無防備になりやすく、攻撃を当てるチャンスでもある。

 剣の刃はテンポリーフォの胴に突き刺さり、敵は怯んだが、魔術の追撃を飛ばすことは叶わなかった。


 ダメージを受けた上に、いま自分は一人じゃない。

 飛行の勢いを殺さないために、マナを集めて速度を維持する。

 アウローラの体に手が届くと、そのまま自分の方へと抱き寄せたが、背中を走る激痛とマナの乱れがディーノの体勢を崩し、下の方に生い茂った森がみるみると視界に迫って来た。

 このままでは減速が間に合わず地面に激突する。

「アウローラ!! ディーノ!!」

 落ちていく二人に向かってシエルの叫びがこだまする。

 だが、崖の反対側から三十メートル近く離れた位置からでは、シエルとカルロにできることは何もない。

「ダメ! 放してディーノさん!!」

 その声は聞き入れない。

 腕の力をディーノは強めて、自分が下になって、彼女が少しでも傷がつかないように、今は祈るしかなかった。

(使うぞ、ヴォルゴーレッ!!)

 心の中でディーノは相棒に呼びかける。

 その瞬間、ディーノの体がいつもとは違う強い光で輝き始め、周囲のマナが集束していき、ディーノ自身の体を鎧のような白と紫のシルエットに変化させていく。

 それをはっきりと視認できる者はなく、森の中へと消えていった……。

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