生じた亀裂

 あの一件から三日が過ぎ、席は一番近いにも関わらず、会話の機会もなくなっていった。

 ディーノは指された時の解答以外は、黙々もくもくと板書を写し、問題を解き、普通に授業を受けている。

 科目によって集中の度合いが違うが、問題児として大きく取り上げられるというわけでもない。

 初日のこと以外に目立って素行が悪いわけでもないため、アウローラはなおのこと会話のとっかかりが見当たらなかった。

 理由がわからなければ、口先だけ謝っても、自己完結だけで何の意味もない。

 だからといって、直接聞いてもまた拒絶されるのかもしれないと思うと、勇気が出ない。

 悶々もんもんとした気持ちを抱えながら、時間だけが過ぎてしまっていた。


『寂しい食事だな』

 ヴォルゴーレにちゃかされながら、ディーノは屋上でベンチに座り、紙袋の中のサンドイッチを黙々と咀嚼していた。

 周囲には、別の学年やクラスの生徒もちらほらと見えるが、感じるのはよそよそしい奇異きいの視線が大半だった。

 そう、それが当たり前、あの三人が特別なのだ。

(一人で充分なんだよ)

 師から与えられた課題を達成すれば、その先はずっと一人だ。

 いや、師と一緒だった時さえも、ずっと自分は一人だと言い聞かせてきた。

『無様にやられて、助けられてもその威勢いせいが続くか』

(なんとでも言え)


 助けられた恩を感じる気持ちはある。

 本人からすれば、軽い気持ちで聞いただけで、悪気があったわけじゃないというのも頭では分かる。

 それでも、踏み込まれたくない、越えられたくない一線に触れられてもいいかと言われれば話は違った。

 隣に座っていれば、自分がしてしまったことを気にしていると表情が語っていたのは嫌でも気がつく。

 でも、どう話せばいいのかわからない。

 また思い出したくもないことに触れられるのは嫌だが、アウローラの顔を曇らせてしまうことに、どうしようもない不安を覚える。

 なぜ、こんな風に考えてしまっているのか自分でもわからなくなっていた。

「くそっ! なんだよこの……」

 思わず声を出してしまい、周りの視線が一斉に集まる。

 ディーノはそそくさと屋上を立ち去り足早に階段を降りていく。

 今日は実技の授業がある日、武器を取りに行くために、寮へと急がなければいけない。

 たどり着いて入り口の扉を開けると、見知った男子生徒がいた。


「よっ! 扉の裏でずっと待ってたよん♪ おかげで、昼飯食い損ねちったけどね」

 理由もなく自分につきまとう、ブレる事のない軽薄さがにじみ出る声。

 カルロがまだ着替えもせずに立っていた。

「午後も授業だろ? のんびりしてていいのか?」

「そうなんだけどねぇ……。僕としても、一言言いたいのさ」

 声だけはいつもと変わらないようだが、その目と口は笑っていない。

 腹の底にたぎる怒りを、無理やり笑顔で押さえつけているようなその佇まいに、ディーノは一瞬気圧けおされた。

「この前も言っただろ? 女の子に当たるのってカッコ悪いってさ」

「お前がどう思おうが知った事じゃねえよ。だったら俺のことなんざほっとけ」

 会話を打ち切って、カルロの横を通ろうとするが、その道を強引にふさいできた。

「そう焦るなよ?」

 自分と話したところで、得なんか何もありはしないと、この男も分かりきっているはずだ。

 なのに、こいつは関わってくることを止めようとしない。

「お前になんの得がある?」

 単刀直入に聞いた。

「ははっ、アウローラちゃんにもそれくらい直球で謝れればいいのにねぇ♪」

「質問に答えろ」

 飄々ひょうひょうとしたカルロの物言いに、ディーノの語気は荒れる。

「面白そうだから」

 その返答を聞いて、ますますわけがわからなくなる。

 報酬ほうしゅう功績こうせきになるわけでもない、ただ享楽きょうらくのために他人と関わるなど、正気の沙汰さたとは思えなかった。


「納得できないって顔に書いてあるね。なら一つ問題。お金や物で手に入らないものってなんだと思う?」

「……答える意味があるのか?」

「大ありさ。答え教えても今のディーノじゃ理解できないのは間違いないね」

「こんなくだらねぇ問答するために、待ち伏せしてたのか?」

 だんだん、腹が立ってきた。

 ただでさえ、面倒なことになったのに、さらに面倒を上積みされた気分だ。

「じゃあ、ディーノはこのままでいいと思ってるのかい?」

 カルロの声が一段と低くなり、それまでの軽薄さが一瞬にして消え失せた。

「本当は気づいているんだろう? アウローラちゃんに悪いことしたって」

 これが、先ほどまでふざけた口調でいた男と同一人物なのか。

「ディーノが何を思っているかなんてわかんないさ。でも、アウローラちゃんだって気にしてるんだぜ?」

 そう、頭では分かっているのだ。


「ならどうすればいいってんだよ! 俺にはわからねぇよ!!」

 周りのことも考えずにディーノは叫んでいた。

 自分がどうしていいかもわからないのに、他人に対してどうすればいいかなどと言う答えが簡単に出せるはずもなかった。

 カルロは、フッと笑う。

「あいにく、僕も答えなんか知らない。でも一つだけ言えるのは、少なくとも僕とシエルちゃんとアウローラちゃんは、軽蔑けいべつなんかしてないよ」

 その表情はまるで、自分が何を思い悩んでいるのか分かっている、と言わんばかりに勝ち誇っている顔だった。

「そろそろ行った方が良さそうだね。おとといは男女別だったけど、今日はまた四人組だと思うよ」

 話し合うためのきっかけにしろと、暗に伝えていることだけはよくわかった。

「お前になんの得がある?」

 改めてディーノは問う。

「簡単なことだよ。女の子の悲しい顔は見たくない。でもディーノを殴ったところでアウローラちゃんは多分いい顔しないからね。めんどくさいけど、こんなまわりくどいことやってるわけさ」

 カルロはそう言って背を向け、自分の部屋へと向かって行った。

 それを見送りながら、ディーノも自分の準備をするために自室へと急いだ。

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