長い一日の終わり

「ほれっ、飲みな。風呂上がりのはうまいよ」

 カルロが瓶に入った牛乳をディーノに投げ渡す。

 ここは男子寮の公衆浴場、クラブ活動は秋口から冬が午後の五時までと定められており、ディーノは寮の食堂で夕食を取った後、部屋に戻って宿題をしていたら、カルロの案内でここに連れてこられた。

「で、どうだった? 学園自慢のテルマエは?」

「悪くねぇよ……お前の顔さえ見なけりゃな」

 着替え終わったディーノは、カルロに皮肉を飛ばしつつ、牛乳の栓を開けて一気に飲み干した。

「そいつはまた手厳てきびしいねぇ。けど、どんな時間でも絶対誰かとかち合うし、卒業まで風呂入らないわけにはいかないだろ?」

 面白がるようなカルロの返しに、ディーノはバツの悪い表情だった。

 できることならば人目を避けて入りたかったが、そうもいかないようだ。


「お前はなんとも思わないのか?」

「何が?」

 カルロのとぼけた顔が腹立たしくなって、睨みつける。

 あまり見せたくないものを、カルロにはしっかりと見られてしまった。少なくとも、気分のいいものじゃないのは確かだ。

「ヤローの裸を見てなにを思えってのさ。僕はそんな変態じゃないよ? どうせならクラスの女の子達と一緒に入ってウハウハするのがロマンってものじゃないの♪」

「真面目に話そうとした俺がバカだった」

 この男がどこまで本気でどこまで冗談なのか、ディーノは理解しあぐねていた。

 口を開けば女絡おんながらみのことばかりで、ふざけているかと思いきや、戦っているときに見せた、恐ろしいほど精密せいみつ技巧ぎこうを要求される芸当を平然とやってのける。

 さらに言えば、ディーノの使う魔術の本質にも恐らく気づいている。

 この学園では異端いたんな方法であることは、他のクラスメイトやアンジェラの反応を見て薄々とは気づいていたが、大半のクラスメイトが理解もなく嘲笑ちょうしょうしたことに対して、核心に近いことを見事に言い当てたのだ。

 この力がどこまで異端なのか、カルロがどう言った行動に出る気でいるのか、警戒をおこたるわけにはいかないだろう。

「はぁ……そんなに身構えられると困っちゃうなぁ」

「そう思うなら、その胡散臭うさんくさい態度をどうにかしろ」

 ディーノは振り向いて、これ以上話をする気はないと態度で示し、脱衣所から出る。


 夜も更けてきているせいか、寮の廊下を歩いても人とすれ違うこともなく、冬の寒さと相まった空気が、閑散かんさんとした雰囲気を助長しているようだった。

 あてがわれた部屋の扉はノブに宝石が備え付けられており、部屋の住人が持つマナを宝石が覚えている。

 これによって本人以外は緊急事態を除いて開けられない仕組みだ。

 光のマナを内包した宝石が住人の帰着に反応して、小さな光源をいくつか生み出し、眠るにはちょうどいい明るさになる。

 机の上は、終えた宿題を含む筆記用具が、壁には制服をかけておいたが旅装束たびしょうぞくを除けば着替えは肌着以外ほとんど持っていない。

 一言で言ってしまえば、寝るためだけの殺風景な状態だった。

 ようやく一人になることができて、ディーノは胸を撫で下ろした。


『なかなか厄介な課題になりそうだな』

(もう話しかけてくるな)

 その心の声は、精神的な疲労の限界を示すものだと、ヴォルゴーレも即座に理解した。

 初対面の人間に囲まれて、初めての授業、教師さえも想定していなかった魔獣との戦い、その後も初めてづくしの事ばかりとなれば無理もなかった。

 小さな棚が備え付けられたベッドボードに置いておいた大事な物を手にとって、ベッドに座り込む。

 細い鎖が通された金色の指輪。風呂や寝るとき以外は常に持っている、大切なお守りだった。


 ふと、これをもらった時のことを思い返す。

 本当の名前が分からない綺麗な金髪の女の子。そして、奇しくも名前が似ている相手に出会った。

 もしかしたら、彼女がアーちゃんなのだろうか?

「……いや、まさかな。三文小説じゃねーんだ」

 頭の中に浮かんだ希望的観測を無理やりねじ伏せて打ち消した。

 いくらなんでも、そんな都合のいいことはありえない。

 自分のような、珍しく、怪しく、不吉な色には今まで巡り合った事もないし、いたとしても殺されているのかも知れない。

 だが、金髪の女性など、世の中にはたくさんいるし、それだけで判断してしまうのはあまりにも早計すぎる。

『事実は小説より奇なりとも言うではないか』

(その"奇"が滅多に起きないから驚かれるんだろ)

 こうして思い出が現実のものだったことが確かめられるだけで十分なことであり、それ以上は求めなくても、これからを生き抜いて行く心のいしずえとなってくれる。

 それがディーノの結論だった。

 やがて、疲れ切った体が休息を求めて、意識はどんどん遠のいていった。

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