輝いていた時

「ふぃ~っ♪ 生き返る~♪」

 学生寮がくせいりょうそなえ付けられた公衆浴場に水しぶきが舞う。

 時刻は夜の九時三十分ごろ、混雑する時間を避けて終了ギリギリに入るのが、シエルとアウローラのスタイルだった。

 誰もいないのをいいことに、シエルははしゃぎながら背泳ぎを始める。

「後で寮母さんに怒られても知りませんよ?」

 アウローラは端っこでくつろぎながらシエルをたしなめる。

「もー、アウローラの方がお母さんみたいだよ」

「わたしだって好きで言ってません!」

 はたから見ればその光景は、手のかかる妹と世話焼きの姉のようだ。

 シエルは泳ぐのをやめてアウローラの隣に腰を落ち着けると、からかうような笑みを浮かべている。


「ふっふふーん♪」

「な、なんですかシエルさん?」

 そのただならぬ雰囲気に、アウローラは距離をはなすが意味をなさない。

「いやぁ、やっと二人っきりになれたんだから、やることをやっておかなきゃね~♪」

 シエルはアウローラの体に手を回して、彼女よりも大きな胸を押し付けながら、顔を近づけてくる。

 今まで見たことのない、シエルの仕草に心臓の鼓動こどうが跳ね上がっていく。

「アウローラに聞かなくっちゃいけないことがあるからねー」

 一体何を聞こうというのか、アウローラはさっぱり理解できない。

「ふふふ、アウローラってば……まだ気づかないの?」

 笑顔とは裏腹の怪しげな雰囲気に、もうどうしていいのかもわからなくなっていく。

 体が熱持っていくのが、湯船に浸かっているからなのか、それとも別の要因なのか、視界が揺らめいてシエルの顔さえも歪んでいく。

 もうダメだ。と思ったその時。

「……ぷっ」

 シエルの表情が一気に崩れる。

「あはははは♪ 冗談だって冗談♪」

 湯船の縁をばんばんと叩きながら、腹を抱えてシエルは笑い転げていた。


「もう! からかわないで下さい! いっそのこと、カルロさんにして差し上げたらいかがですか?」

「ちょ、なんであいつになるのよ! てゆーかそれやったらあたしただの痴女ちじょじゃん!」

 アウローラからの思わぬ反撃に遭ってドギマギするシエルの声が、石造りの浴室に反響する。

 してやったりと言う顔で、アウローラは浴槽よくそうから上がって髪を洗い始めた。

「ごめんってば、聞きたいことがあるのはホントなんだって」

 シエルも後を追って隣に座り、髪をらし始める。

 アウローラほどではないが、普段まとめている髪は当然長く、洗うのに時間がかかる。

 雑談をするにはちょうどいいくらいに。

「アウローラってさ、ディーノと知り合いなの?」

 損ねた機嫌に構わず、シエルは核心に迫る質問を切り出した。

 長い金髪をとかすように洗っていた手の動きが止まる。

「……わからないんです」

 そして、絞り出すような声で、寂しげな答えがシエルに返ってきた。

「話してみてよ? 楽になるかもよ?」


   *   *   *


 アウローラが七歳の頃、とある港町へ旅行に行った時のことだ。

 初めて見る場所が新鮮で、自分一人で歩き回ってみたい。

 好奇心のあまり宿から抜け出して街に出たはいいものの、子供のしかも知らない土地での感覚など当てにならず、アウローラは案の定迷子となってしまった。

 日が傾き出し、街が闇に包まれていくとともに、恐怖が心を染め上げていったときにその声を聞いた。

「泣いてるの?」

 自分と同じぐらいの年に見える、黒い髪の男の子が声をかけてきた。

 最初は、影から出てきたように見えて、少し怖かったことを覚えている。

「かえれなくなっちゃった」

 上ずった声を必死に絞り出したアウローラを、黒髪の男の子は何も言わずに手を引いて街の中央にある広場に連れて行ってくれた。

「どこから来たのかわかる?」

 そこまで行けば、宿を取った場所への道はすぐに思い出せた。

「ねぇ、待って」

 黒髪の男の子が安心したようにアウローラの手を放して立ち去ろうとするのを、引き止めた。

「また明日、あそびたいの。待っててくれる?」

 男の子は少し困ったような顔をしたが、頷いてくれた。

「名前は?」

「えーっと……」

 アウローラは言いよどんだ。

 自分の本当の名前を知ってしまえば、こんな風に会えなくなるかもしれなくて。

「アーちゃんって呼んで!」

「じゃあ、ぼくは"ディーくん"かな……」

 照れ臭そうに黒髪の男の子も、自分に倣ってあだ名で名乗った。

 それから一週間、ひそかに待ち合わせをして、二人っきりで日が暮れるまで遊ぶ日々を送っていた。

 お互いの名前も知らない、それでも仲良くなって遊んだひと時は、いまも忘れることのない輝きの日々だった。


   *   *   *


「その男の子が、ディーノってこと?」

 話が終わった頃にはすっかり髪も体も洗い終わっていた。

「でも……あれから八年も経っているんです。もう忘れてしまったのかもしれませんし、似てるだけの違う人かもしれないです」

 シエルは腕を組んで聴きながら頭をひねる。

「本名知らないのが痛いところだね。アウローラもちゃんと名前言っとけばよかったのに」

 シエルの弁は身もふたもないが返す言葉もない。

 それでも自分の家柄を知られて、露骨ろこつに態度を変えられることが、あの時の自分は嫌だったのだ。

「うん決めた!」

 シエルがぱん! と手を叩いて立ち上がった。

「アウローラ、七不思議研究会に入っちゃおう! で、ディーノにも入ってもらおう!」

 一瞬、彼女の言っている意味を理解できなかった。

「同じクラブだったら、一緒の時間も増えるよね? そしたらさりげなーくそれとなーく色々聞いちゃえばいいんだよ!」

 確かに、会話する機会を増やすという意味では、悪くない方法なのかも知れないが……。

「シエルさんそれって……」

「友達のためなんだから、思い切って一肌脱いじゃうよ! 今もうハダカだけど♪」

 小柄な背筋をピンと伸ばして、揺らしながら胸をはる。

「勧誘の口実にしてませんか?」

「……てへっ♪」

 ペロッと舌を出して笑うシエルに、アウローラはあきれ顔を送った。

「あたしも部員欲しいっていうのはあるけどさ、力になりたいのはホントだよ?」

 シエルはアウローラの手を取って、微笑む。

 彼女は身分で態度を変えることがない。だからこそ、女子の中では学園の誰よりも、アウローラはシエルのことを信頼していた。

「……くちゅん」

 シエルの口から、可愛らしいくしゃみが出る。そう言えば髪と体を洗って流したままだと言うことを、二人してすっかり忘れていた。

「早く上がろ! 湯冷めしちゃう」

 二人は慌てて浴場の外に出た。

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