実地訓練 −5−

「あんなのがいるなんて、聞いてませんわ」

 ディーノたちから距離を置いていたイザベラが、立ち並ぶ木々ごしにルーポランガに遭遇そうぐうした彼らの状況をうかがっていた。

 無様に敗北する様を利用して、こちらの実力をアピールしてやることを目的としていたが、それは自分たちが相手に勝てるという前提があってのことだ。

「ど、どうするのさ……」

「やることは変わらない、この僕が直々に下してやろうじゃないか」

 マクシミリアンが、突く事に適した細身の剣エペの形をしたアルマを顕現けんげんし、意気揚々いきようようと出て行った。


   *   *   *


「天使? 俺は死んだのか?」

 ディーノはクラスメイトによく似た天使と思しき女子に問う。

「死んでなんかいません! それに天使じゃなくて私の魔術です!」

 アウローラはディーノを抱えたままゆっくりと降下こうかして安全な場所へ向かおうとするが……。

「待て、俺を戻してくれ」

「今だって敵わなかったじゃないですか! もっと自分のことを大事にしてください」

 性懲しょうこりもなく敵と戦う意志を崩さないディーノをアウローラが止める。

 まるで、戦わなければ生きていられないと思わせるようなディーノの行動が理解できなかった。


「だったら、お前はなんで戻ってきた? 自分を大事にするんじゃないのか?」

「そ、それは……」

「今ここで逃げたら、あいつを置き去りにしちまうだろ。仲良しこよしってわけじゃねぇが、放っといたら寝覚めが悪い」

 それを言われれば、アウローラとしては折れるしかないが、ディーノを全面的に肯定もできない。

「……あの時はもっと」

 アウローラはボソッと呟いた。

「何か言ったか?」

 ディーノからはかわいた言葉ばかりが帰ってくる。

(やっぱり人違いなのかな……)

 ただ単に特徴が似通っているだけなのかもしれない。

 なにも関係のない相手なら、無用なことをして失礼なのは、むしろ自分の方になるのだろう。

「もう降ろしていい、あとは走る」

 ディーノの言葉でふと我に帰った。

 彼の両腕を抱えたまま、ただゆっくりと降下していたことに今更ながら気づく。

 一緒に着地して背中の翼を消す。

 とにかく今は、一人取り残されたカルロを助け出さねばと、頭を切り替えた。


「あれは……」

 元いた場所へ向かって走る二人の視界の先で、黄金の何かが飛び交っていた。

「あの魔術を使うのは、マクシミリアンです」

 その名前を聞いてディーノの顔から覇気はきが抜けかけていた。

 一方的に勝負を持ちかけてきただけに、まさかあの魔獣を自分が倒せれば勝利扱いにでもなると思っているのだろうか?

 そもそも、自分たちを付け回してなんの得があると言うのだ。

「あいつは一体なんなんだ?」

 ディーノに対してもそうだが、アウローラにもなんらかの執着心しゅうちゃくしんを持っている様子からして、ただのクラスメイトで終わらせられる関係ではなさそうだ。


「……婚約者。と、いう事にされてます」

 アウローラはため息をつきながら告げる。

 貴族同士でならば、そう言った話は別段珍しくもないのは知っている。

「まだ正式なものではありません。ですけど、あっちはもう結婚まで確約されたものだと思っていて……」

 淡々と話すアウローラの表情は少しずつ曇っていき、よほどこの話をするのは嫌だと言うのは伝わってきた。

「ご、ごめんなさい。私、自分のことばかりで……こんなこと、ディーノさんに話しても意味ないのに」

「聞いたのはこっちだ。謝る必要ないだろ」

 素っ気ないディーノの言葉だったが、なんとなく気遣きづかいをアウローラは感じる。

「もう見えてくる。自分の身は自分で守れ」

「失せろって言わないんですね」

「言っても無駄だって気づいただけだ」


 先ほどの場所まで戻って二人の視界に飛び込んできた光景は散々たるものだった。

 ルーポランガはまだ動いてはいない。

 だが、傷らしい傷はほとんどなく、むしろ怒りだけを買ったようで、あの吹雪のブレスが吐きまくられたのか、木々は凍りついていた。

 剣、槍、斧、矢、周囲には黄金で作られた無数の武器が突き刺さっている。

 ほどなくしてそれらは光の粒となって消滅していった。

「……はぁっ、はぁっ!」

 マクシミリアンがエペを杖代わりに、荒い息遣いきづかいで肩を上下にゆらしながらなんとか立っている。

「逃げたほうがいいんじゃないのマクシミリアン?」

 カルロもマクシミリアンよりは余裕が残っているようだが、顔に冷や汗を垂らしながら息を乱している。

「うるさい! 貧乏貴族が僕に指図するな!!」

 強烈なプライドだけがマクシミリアンを支えているようだったが、根本的に勘違かんちがいしている。

 今この場において勝ち残るのは、身分やプライドの高い者ではなく、強い者だけだと言うのが、戦場における唯一絶対の真実。

 そして、それは現在の時点であの巨狼だと言う現実を受け入れられないでいる。


 ルーポランガは、再び吹雪のブレスを撃つ体制に入った。

『貫け、我が黄金の刃よ!』

 マクシミリアンの詠唱とともに、黄金の武器が具現化される。

 そして、号令を下す指揮官のようにエペを振るい、武器たちが意思を持ったようにルーポランガへと襲いかかった。

 だが、微動びどうだにせず放たれた吹雪によって、黄金の武器はいとも簡単に吹き飛ばされてしまい、先ほど見た光景が再び現れた。

「くそっ! この僕が遅れを取るはずがない! こんな魔獣ごときに!」

 もはやマクシミリアンに周りは見えていない。

 カルロが追撃を避けるために、動きを止めている事にも気づいてないほどに。

 だが、今なら勝機はある。

 敵はマクシミリアンに気を取られているからだ。

 幸か不幸か、一度吹っ飛ばされた事でディーノの存在はルーポランガの意識から消えている。


『どうする?』

「一瞬でやつにつめ寄れれば……いいんだが」

 距離にしておよそ二十五メートル、マクシミリアンの位置から右ななめ四十五度あたりの位置に自分はいる。

 吹雪をマクシミリアンに向けて吐かれても、今の位置どりならその影響を受けずに攻撃を加えられるが、次の吹雪が出るまでの一瞬で距離を詰めるほどの速度を出せる術をディーノは知らない。

 逆に接近して最大の一撃を入れることができれば、倒せないにしてもそれなりのダメージにはなる。

「あの、ディーノさん」

 弱々しい声でアウローラが口を開く。

「つまり、速さがあればいいんですよね?」

 どうやら、ヴォルゴーレとだけ会話しているつもりが、口に出てしまっていた事に今更気づく。

「私、アルマに刻み込んでいます。速度強化の魔術。だけど、ただで使うつもりはありません」

 真剣な表情でアウローラは続けた。

 何か取引でも持ちかけてくるつもりなのか? そう言った駆け引きに向いているとも到底思えないが。

「金か? それとも師匠とのコネか?」

 自分が思い当たる彼女にとっての利益をあげてみるが、アウローラはそのどちらに対しても首を横に振る。


「もう少し、クラスの人たちとお話しできるようになってください」

『くくく……なかなかの度胸だな彼女は』

(黙れ)

 笑顔で言うアウローラに、ヴォルゴーレが便乗して茶化ちゃかす。

 予想外だった。

「わかった……成功したらの話だ。それ以上のことは約束できない」

 もしも、失敗すればアウローラ以外は死ぬ可能性が跳ね上がる。

「充分です」

 アウローラが槍を構えて意識を集中し始めた。

『光よ、黒き剣士に駿馬しゅんばのごとく戦場を駆ける……戦女神ヴァルキュリアの加護を与えん』

 剣を構え、突進する体制をととのえたディーノの足に、黄金色の光が集まっていく。

 軸足に力をかけると、いつも以上に強く、そして身が軽くなっているのがわかった。

 あとは、こっちも全力を出すだけだ。

 ディーノは再び剣に稲妻を落とす魔術のイメージを思い描く。

 チャンスは一度、マクシミリアンを狙って吹雪を吐き出す一瞬だけだ。

「この僕を舐めるな、魔獣!」


 動いた。

 マクシミリアンの高すぎるプライドが今だけは功を奏している。そのおかげで敵は全くこちらに気づいていない。

『今だ!』

 ルーポランガが吹雪を吐き出した瞬間、ディーノは軸足じくあしを踏み切る。

 その強化された瞬発力は踏み切った地面を爆散ばくさんさせ土煙が上がった。

 後ろから強烈な追い風を受けたかのように、ディーノの体は加速して一直線にルーポランガへと接近する。

 マクシミリアンも、カルロも、そしてルーポランガも、高速の乱入者に気づいたところで動きが取れるはずもなかった。

 紫色の稲妻が再び森に、否、ディーノの剣に落ちる。

 跳ね上がった速度を殺す事なく前方に飛び出す力を込めた。

 稲妻をまとった白刃の狙いを、ルーポランガの胴体につけて滑り込ませ、ディーノは止まる事なく正面から背後まで駆け抜けた。

 ブレーキをかけて土煙を上げながら静止し、振り向いた先には、真っ二つになって青い光の粒となって消えゆくルーポランガの姿だけが、視界に収められていた。

 がくん、とディーノはひざが折れて、地面に崩れる。

 一瞬の加速に全神経を研ぎすませ、緊張きんちょうの糸がとぎれてしまったようだ。

「げ、下民がなぜここに!?」

 一拍遅れて、状況がつかめないままマクシミリアンが驚きの声をあげた。

「ははっ! まさか本当に倒せちゃうなんてねぇ」

 カルロも腰を抜かして尻餅しりもちをついている。

「ディーノさん! お怪我はありませんか?」

 後を追ってアウローラもディーノの元へと駆け寄ってきた。

「アウローラちゃんまで戻ってたんだ……ってどうしたのその顔」

 カルロが彼女の顔を見るなり、笑い出した。

 先ほどのディーノの突進で上がった土煙が、アウローラの顔にまで飛び散っていたのだ。

「えっ、なんですか? 私の顔に何かついてますか」

「くっ……ついてるってレベルじゃねぇな」

「もう! お二人ともひどいです!」

 今まで無愛想だったディーノまでもが苦笑している様に、アウローラはむくれた。


「とにかく、持っていけるもの集めて帰ろっか♪」

 カルロはルーポランガがいた場所に近づいて、宝石を確認する。

 ルーポラーレのものよりも大きな青い宝石と、もう一つ同じくらいの大きさで黒い宝石があった。

「なんですかこの宝石?」

 より強いマナを秘めて高い純度と大きさを兼ね備えた片方はわかる。

 だが、こちらの黒い宝石は光沢がなく、見ていると飲み込まれそうに思えるほど禍々しい雰囲気を感じる。

「ディーノさんはご存知ですか?」

 質問を振られるが、黙って首を横に振った。

(お前はわかるか?)

『あるにはある。だが、魔獣についているはずのないものだ。しかも、これを持った者ははるか昔に滅んでいる』

 意味深なヴォルゴーレの返答だったが、それでも確証に行き着く答えは得られそうにない。

「じゃあ、アンジェラ先生に渡して調べてもらいましょう」

 アウローラがもっともな提案を出し、却下する理由もなくそれで一致した。

「それとその……条件の話なんだが」

 ディーノは言いづらそうにアウローラに切り出す。

 結局、自分一人ではこの魔獣には勝てなかった。

 一人で先走って致命傷を浴び、それをアウローラに助けられ、カルロが動きを止めていてくれたから最後の一撃を入れる事に成功した。

「なるべく善処する。ただ期待するな」

 それだけを言って、ぷいっとアウローラから目線を外して、帰り道を歩き出した。


 アウローラは確信する。

 ディーノは心の底から人嫌いなわけじゃない。ただ、他人に対して不器用なだけで、自分の気持ちを素直に出すことができないのだと。

 たとえ、自分の知っている思い出の少年と同一人物でなかったとしても、このまま友達になれればと少しだけ思えた。

「みんなー! 助けに来たよー!」

 かけられた声に対して上を向くと、アルマに二人座って飛行してきたアンジェラとシエルの姿が見えた。

「先生が来たからにはもう大丈夫よ! さぁ早く逃げて!!」

 着地したアンジェラはアルマを構えて臨戦態勢を整える。

「その……」

「今さっき倒した。こいつが証拠だ」

 言い淀むアウローラに付け加えるように、ディーノは端的に事実を伝え、カルロが持っていた二つの宝石をアンジェラに手渡した。

「片方はわかるけど、黒い宝石?」

「あの魔獣から出て来たんです」

 どうやら、アンジェラも宝石のことは知らないらしい。

「そう言えば、さっきから森が静かになってるのよね。魔獣の気配も弱くなって来ているし」

 話を統合すると、異常発生の原因はあのルーポランガ、ひいてはこの黒い宝石の仕業ということになるのだろうか。

「とにかく校長先生に相談して見るわ。そして、全員集合場所までダッシュよ! もうあなたたち以外はみんな集まってるわ」

「えぇ〜!?」

 ごねるシエルだったが、結局は走ることになった。

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