実地訓練 −4−

 現れたのは、ルーポラーレの三倍はあろうかと言う巨体を持った狼型の魔獣。

 太陽の下にあればまばゆいつやと光沢を放つだろう白銀の毛皮は、はぎ取れば高価で取引されそうだ。

 体の至る所に刻み込まれた傷跡が、幾多いくた修羅場しゅらばをくぐり抜けてきた強者であることを物語っていた。

 フゥー、フゥー、と息を吐き出す口は閉まることなくよだれを垂らし、血走ったまなこがこっちを向いているが、焦点があっているようには見えない。

 しかし、対峙たいじした者を威圧いあつするだけの存在感とどす黒い殺意は、並の人間ならば恐怖のどん底に叩き落とすには充分だ。


「う、うわああぁぁぁっ!!」

 フリオはその姿を見るや、尻もちをついてガタガタと歯を鳴らしながら、後ずさっていく。

 どうやら目の前のこいつが、彼のグループを襲った張本人のようだ。

『こいつは確か《ルーポランガ》、奴らの上位種だが……』

 この間の鳥のように、うっとうしいまでの解説をするかと思ったが、ヴォルゴーレの歯切れが悪い。

 少なくとも、ディーノが生まれる前のことまで知っているヴォルゴーレが言いよどむと言うことは、何か未知の要素を持っている可能性が高いと言うことか。

(おかしい事でもあるのか?)

『この禍々まがまがしいマナの乱れ……、魔獣と言えどここまで狂うことは考えにくい』

 ヴォルゴーレの物言いから、一つ仮説を立てることができる。

 目の前にいるこのルーポランガが、ルーポラーレの大量発生に関わっていると言うことだ。

 断定はできないが、可能性は高い。


 しかし、その真偽しんぎを確かめるよりも重要な問題に直面している現実を前に、ディーノはその思考を頭の片隅かたすみに追いやらざるを得なかった。

 剣を再び構えなおし、敵を見すえる。

 先ほどのルーポラーレならば、まだ獲物を狩ると言う目的のための思考を察知して、動きを読むことはできた。

 だが、こいつは違う、理性や目的と言った思考に繋がるものを感じ取れない。

 にらみ合いが崩れた瞬間の判断を誤れば、そのまま死に直結する。


「ディーノさん! 早く逃げましょう!」

 殺意に支配された空気の中で、アウローラが声を張り上げた。

 だが、ディーノは対峙したまま構えを崩さない。

「ちょ、ちょっと! 戦う気!? 先生を呼んで来ようよ!」

 シエルが信じられないと言わんばかりに口を開く。

 彼女たちからして見れば、敵うはずの無い恐怖の権化、助かるために逃げることを考えるのはむしろ必然。

「逃げたければ、さっさと行け。その方がやり易い」

 ディーノは敵の方を向いたまま返す。

「そんなこと、できるわけないじゃないですか!!」

 アウローラは先ほどよりも強い剣幕で叫ぶ。

「ディーノさんだけを置いてなんて行けません! ディーノさんも助からないとダメなんです!」

「なに勘違いしてる?」

 それをディーノは切って落とすように返した。

「逃げても助かる気がしねぇ。生き延びたいから戦うだけだ。死んだとしても、無様に逃げて死ぬよりマシだ」

「そんな……」

「戦う気がねぇなら失せろ!!」

 シエルが魔術で増幅ぞうふくさせた声に劣らないほどの叫び声に、その場にいた面々がちぢみ上がる。

 たった一人を除いては……。


「だーかーらー、言い過ぎだっての」

 こつん、とアルマのつかでディーノは頭を小突こづかれる。

 カルロが隣に立ち、両手のショートソードをくるくると手遊びのように回しながら構える。

「僕も残って時間を稼ぐよ♪ アウローラちゃん達はフリオくんと逃げて、アンジェラ先生を呼んで来てね」

「あんた本気で言ってんの!?」

「本気の本気に決まってるじゃないのさ♪ それとも心配してくれてる?」

 生死の狭間を綱渡りするような状況にも関わらず、カルロの軽口は変わらない。

「でも困ったなぁ♪ かっこよく活躍して帰って来たら、ディーノと一緒にモテモテになっちゃうかなぁ♪ シエルちゃんいちゃう?」

「もう! 骨の二~三本ぐらい折れて帰ってこい!! 行こアウローラ!」

 シエルが吐き捨てると、アウローラとフリオを連れてディーノ達と逆方向に走り出した。

「お二人とも、無事に戻って来てください。私たちも、できる限り急いで助けを呼んで来ます」

 やがて、アウローラ達の姿が見えなくなる。


「ふぅ、よく動かないでくれたもんだねぇ、敵さん。空気読んでくれたとか」

 カルロはリズムをきざむように体をゆすり始める。

 ルーポランガはいつ襲いかかって来ても不思議ではなかった。

 なのに、なぜ隙だらけの自分たちを襲いかかってこなかったのか、ディーノは隣にいる男の言うこと為すことが引っかかっていた。

 だが、敵をよく見れば、その答えは自ずと理解できた。

 唸り声をあげながら、見えない何かにもがいている。

 体の至るところに細い傷跡が浮かび上がり、肉を焦がす匂いと小さな黒煙が立ち上る。

 周囲の木々も幹の皮が強い力で擦られ、同様の現象が起こっていた。

 それは、今隣でなにも知らないように笑っているこの男の仕業だと。

「お前……、一体なに企んでる?」

 おちゃらけている態度の裏で、何を隠しているかわかったものじゃない。

「さぁね。けど、よそ見してる暇ないよ? 縛っとけるのもそろそろ限界」

 カルロの言葉通りに、ルーポランガは空気を震わす爆音のような咆哮を張り上げながら体を無茶苦茶にねじり、見えない拘束を力任せに引きちぎった。


 自由を取り戻したルーポランガは、その殺意を目の前のディーノとカルロに向け、巨体に似合わぬ速度で一直線に突進して来た。

 ディーノは右に、カルロは左に踏み切って攻撃を避ける。

「うっひょー! 間一髪ぅ!」

 ルーポランガはブレーキをかけつつ方向転換する。

 幹にでも激突してくれればもうけものだったが、完全に理性がなくなっているとも言うわけでは無いようだ。

 そして、激しく首を振ると、息を口から大きく吸い込み始める。

『ディーノ、警戒しろ。何か狙っている』

 吸いきって閉じた口が何かを貯めるように一拍いっぱくを置いた、牙の隙間から白い冷気がれ出る。

「オオオォォーーーーッッ!!」

 ルーポランガから放たれたのは、荒れた冬山のごとし吹雪のブレス。

 首を振ることで、前方一八〇度の範囲をディーノの視点で左から、逃げ場をけずるように襲いかかってくる。

 届かない距離まで逃げることは速度的に難しい、そのまま行けばカルロもろとも吹雪に巻き込まれると言うことだ。

 地上にいればどこにいてもこいつの射程距離内にいることになる。

 ディーノは魔術のイメージをぎすませ、足を踏み切って真上に飛ぶ。

 あのフリオというクラスメイトとそのグループは、このブレスによって追い回されて、バラバラに逃げるしかできなかったのだろう。

 もしかしたら、一人二人、この攻撃で動けなくなっているのかもしれない。

 幸い前方を狙っている時に、上までは届かないようだ。

 ここから攻撃に転じることができれば、勝機はあるとディーノは考えた。


 天高く剣を掲げ、黒い世界をつらぬく稲妻を思い描く。

「来いっ!」

 その瞬間、晴れ渡っているはずの空を裂いて、紫色の稲妻がディーノの剣に直撃し、空気を突き破るような音が鳴り響いた。

 そして、宙を蹴って加速をつけ、ルーポランガに目掛けて突撃する。

 引力に身を任せた一撃でその首を斬って落とす! ……はずだった。

 ディーノの視界は真っ白に染まり、強烈な寒気が肌を刺す。

 けたはずの吹雪が、真正面から襲いかかってきたのだ。

(くっ……そういう、ことか)

 気付いた時には遅かった。

 ルーポランガはディーノが真上に飛んだ時点でブレスを止め、攻撃のタメを作っていたタイミングで、二撃目のブレスを吐く体制に入っていた。

 そして、攻撃体制に入ったディーノは、無防備な状態でこれをまんまと食らったというわけだ。


 ディーノの体は前半分が凍りついた状態で浮力を失い、引力に導かれるまま落下していく。

 このままでは地面に激突し、意識を失ったまま食い殺されると言ったところか。

 情けない。

 自分がこの世界で一番強いと思ったつもりはなかったが、理性を失いかけた獣と相手を侮っていた。

(父さん……母さん……、俺もそっちへ行くみたいだ)

 にじり寄ってくる死神の足音に耳を傾け、漆黒の世界への旅路を覚悟したその時だった。

 何かに背中があたってそのままふわっと速度が落ち、暖かい光が凍りついた体を溶かしていく。

 目を開いた先には、白い翼を背中から生やした、見覚えのある女子の顔があった。

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