第13話 母親の号哭

 見慣れた帰り道。

 帰路に就いてからゆっくりと自転車を二十分程走らせていた。

 そして、今、さくらおかの家の目の前に俺はいる。

 朝のホームルームでの俺の考察が正しいのであれば、今頃、桜ヶ丘は号哭ごうこくしている時だろう。

 さて、とても優しい心の持ち主である俺が慰めに行ってやるか。

 ピーンポーン♪

 そして、俺はインターホンを押した。しかし、家の中からは足音すら聞こえてこない。

 留守なのか。状況が飲み込めず散歩とかしてるかもな。

 居留守を使っている可能性も皆無かいむとはいえないので、俺はもう一度インターホンを押す。

 ピーンポーン♪

 透き通った、現代さを感じさせるインターホンの音がもう一度鳴る。

 今頃、この家ではその音が響いているはずだ。押し忘れということはない。

 しかし、五秒程経っても扉が開く様子はないので、俺は帰ろうとする。

 ガチャ。

 その時であった。俺が背中を見せるのと同時に一人の女性が扉を開けた。

 誰かは言うまでもない――桜ヶ丘 さくらだ。


「お前······出るの遅せぇよ」


 不機嫌そうな口調で俺は言った。


「ちょっと扉まで向かうのも面倒だったからさ。てか、あんな破廉恥はれんちなことしておいてよく平然と私の前に姿を現せられたわね」


 そうだった。

 俺は昨日、桜ヶ丘に破廉恥なことをしてしまった。

 うっかり忘れてたー。

 急に場の空気が冷めるのを俺は感じたので、「それは後として」と、前置きをしてから単刀直入に脳裏にずっと浮かんでいる疑問を口に出すことにした。


「桜ヶ丘ってさ何でしばらく学校休むの?」


 そしたら、はっとした表情になり桜ヶ丘の容貌ようぼうには段々と曇が掛かって行った。


「それは後で話す。とりあえず上がって」


 すぐ疑問の答えを出して帰る予定だったが、桜ヶ丘に言われるまま俺は再びこの家にお邪魔することとなった。


「お邪魔します」


 いつもの礼儀を終えて、俺は桜ヶ丘の背中を追うように、階段を上って行く。

 そして、『桜』と書かれた札の前に到着した――桜ヶ丘の部屋である。

 昨日とは打って変わっており、桜ヶ丘は口をずっと開かない。

 これ、別人なんじゃないか。

 本当に桜ヶ丘なのか?

 そう、疑問が浮かび上がるほど今の桜ヶ丘と昨日の桜ヶ丘は違っていたのだ。

 そして、そんな桜ヶ丘は若干の躊躇ちゅうちょを見せつつ、自分の部屋のドアノブに手を掛ける。

 次にはそれを押す。

 ここで、桜ヶ丘がずっと黙っている理由を俺は見つけることができた。


「桜、何で急にいなくなるのよ!」


 そこには桜ヶ丘の母親がいたのだ。

 そして同時に俺の考察は確かなものだと、確信した。


「お前も透明になったのか······」


 正直、仲間が増えた喜びを感じられた。

 しかし、トーンを上げながら喜ぶ動作をするのは失礼だと感じたので、トーンを下げながら物悲しそうな声音で俺は言った。


「そう。今日の朝、お母さんにちょっかい掛けても全く反応しなかったのよ」


 いや、こいつ普段母親にちょっかい掛けてるの? てか悲しそうな声音でそんなこと言われても内容からして悲しみをあまり感じられないのだが。


「まあ、ちょっかい云々うんぬんはいいとして今の自分の状態ショックでしょ? 俺の気持ち理解できたか?」


 同情してくれることを俺は知っている。絶対、透明になって嬉しいとは思っていないはずだ。


「いや! 学校サボれるし最高じゃん! 今度二人で学校サボってどっか行こうよ!」


 曇っていた表情が嘘のように桜ヶ丘の容貌の天気は晴れになった。

 俺は知っていなかったらしい。

 桜ヶ丘桜という存在の理解が全くできていなかったらしい。

 光り輝く笑顔からして虚言ではないだろう。

 にしても、こいつ馬鹿なのか?


「待て待て待て待て。今のお前の母親の様子みて罪悪感とか焦燥しょうそう感とかないの?」


「ないよ。確かにお母さんは心配してくれてるけど、私はその心配より学校とかからの解放感の方を優先するからさ!」


 ······嘘だろ? てか、桜ヶ丘の母親号哭してるぞ。失踪一日目で見つかる可能性充分にあるのにもうあんな涙流すって相当、娘溺愛だったんだな。

 そこから罪悪感の欠片も浮かばない桜ヶ丘の芯はぶっといものだろう。


「······桜ヶ丘、すげえな」


 素で俺は言った。

 きょとん、とした表情を桜ヶ丘は見せていた。


「何がすごいの?」


 どうやら、本人は自覚をしていないらしい。

 何で目の前で母親が泣いてるのに、こいつはこんな平然とした表情を出せるのか。

 最初の曇った表情は何だったんだよ。

 欺瞞ぎまんか? 憐憫れんびんか?


「母親が泣いてるのに何とも桜ヶ丘は思わないのか?」


「思うよ。私のために泣いていてごめん、って思う」


 天気が晴れということには変わりはないが雲が若干桜ヶ丘の容貌に浮かび増えた。

 喜びかそれとも悲しみか、その時の桜ヶ丘の表情は中途半端だった。


「じゃあ何でそんな前向きなんだよ。俺は耀ひかりが泣いてた時、すぐ駆けつけて罪悪感に押しつぶされそうになったんだぞ」


 思い出すだけで嫌だ。

 あの時、耀は俺のせいで涙を流していた。

 しかもその日は俺が失踪してから一日目であった。

 あれ、待てよ。そうなると桜ヶ丘の母親と失踪してからの涙を流す間に有した時間がほぼ同じってことだよな。

 どうやら妹・耀はお兄ちゃん溺愛だったらしい。

 これは嬉しいな。

 自然と俺の表情には笑顔が浮かんでしまう。


「何でさっきあんなに表情曇ってたのに、そんな太陽が差し込んだような笑顔になってるの? 変な妄想でもしてるの?」


 桜ヶ丘に見られてしまった。


「してねえよ」


 そうだ。今は桜ヶ丘の現状についての話だ。

 笑顔を浮かべていたら、仲間が増えて喜びを感じていることが丸見えじゃないか。

 ここは何とか表情を戻そう。


「とりあえず、桜ヶ丘はどうなんだ? 元に戻りたいか?」


 俺がそうくと、桜ヶ丘は今までに見たことのない真剣な表情をした。

 さっきは軽々と学校サボれるから嬉しい、とか言ってたが、俺の言葉でその心が少しでも動いたのならば何よりだ。


「······別にこのまんまでいい。一生お母さんと離れ離れっていう訳ではないし」


 しかし、桜ヶ丘の結論は変わらなかった。


「それでもお前を視認してくれる人以外とでは会話もできないんだぞ?」


 俺はもう少し、桜ヶ丘の心を動かそうと試みる。

 そのために若干声を強くして言った。


「別にいいよ。だって学校とか行かなくて済むじゃん?」


「お前は人との関わりより学校の欠席を優先するのか?」


「別に幽真と関われるから私はいいよ。いつか親とも話せる時来るし」


 俺はこの言葉を聞いた瞬間、頬が少し朱色になったのを感じた。

 もう、これカップルの会話だよな? 俺、桜ヶ丘からの好感度こんなに高かったか?


「んー、まあとにかく! 今俺らが直面してる問題を二人で解決するぞ!」


 今の表情を取り繕うかのようにして俺はそう言った。


「別に私は問題点としては見てないんだけどね」


「充分な問題点だ。ほら、今でも桜ヶ丘のお母さん泣いちゃてるじゃねえか」


 事実、俺と桜ヶ丘が会話をしていた時も、俺の耳には桜ヶ丘の母親の泣き声が聞こえてきた。

 軽く受け流してたが、もうそろそろそれも辛い。

 あの時の耀の涙を回想してしまうのだ。

 そして、今、桜ヶ丘桜は俺の回想の範疇はんちゅうにいる。

 ということは、その時の俺みたいに辛い思いをしていないとおかしい。

 ······おかしいのだが、


「お母さんは私が大好きすぎるんだよ。その涙は私に対する愛情の深さ。どう、幽真ゆうまの妹ちゃんより私のお母さんの方が流している涙の量多いでしょ?」


 こんなことを言い出すのだ。

 それもどこか自信に溢れている表情で、さっきの真剣な表情は嘘でしたよオーラを存分に漂わせている。

 喜怒哀楽が激しい奴だな。


 しかし、俺は桜ヶ丘の発言を存分と否定したい。

 絶対に耀の方が流してる涙の量多いし、俺に対する愛情も深い。

 ここで否定しなければ、妹の好感度をもっと上げることができない。

 なので、俺は否定の意を込めた言葉を言う。


「いやいや、それはないな。耀はお兄ちゃん大好きすぎるブラコン妹だからな」


「それはないね」


 即答で否定された。

 まあ、実際に耀がブラコンっていうのは盛っちゃったな。

 何せ、朝に俺が声だけで起きなかったら耀はグーパンを噛ましてくる。

 これが愛のグーパンならば耀はブラコンだ。

 だけど、愛が入っているグーパンってあんなに痛いのだろうか。


 俺はそんなことを考えながら桜ヶ丘と睨み合う。

 こんな現状の中で俺らは何をやってるんだ。

 やってる事が馬鹿馬鹿しいということに気付いたのに三秒も掛かった。

 そして俺の方から目を背ける。

 それと同時に桜ヶ丘の母親が俺らの方へと向かってきた。

 その時の桜ヶ丘の母親の表情は憂いに満ちていた。

 娘はすぐ目の前にいるというのに――母親は俺らの横を通り過ぎて行った。

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