第10話 仲直り決行の前夜

 家に着いた。

 夕日が俺らの家を照らしている。

 恐らく、夕日の位置からして現在時刻は五時三十分くらいだろう。外は明るくも暗くもない。

 いつも通り、俺は家に入る。決して妹の耀ひかりに視聴されなくとも「ただいま」は忘れない。


 帰ってきたことを知らせた後に俺はリビングへと足を向かわせた。

 だが、誰もいない。

 耀は自分の部屋にいるのだろうか。

 そんなことを思いつつ、喉が渇いてきたので冷蔵庫から紅茶を取り出す。

 そういえば桜ヶ丘の奴お茶をれてくれなかったな。まあ、あれは全面的に俺が悪いか。


 ごくごくごく、と紅茶を喉に通す。渇いていた喉は段々と潤いを戻してきた。そして、コップを置く。

 と、ここでふと脳裏に疑問が浮かんだ。

 触れたコップを俺はコップ入れではなく、普通に洗面台の上へと置いた。

 当然ながらそれによってコップは移動する。

 ならば、耀の目にはそのコップはどう映るのか。

 コップ入れに普通に置かれている、それとも洗面台の上に堂々と置かれている。

 仮に洗面台の上に置かれているように見えるのならば、それは一種の怪奇現象となってしまう。

 耀が驚愕と恐怖のあまり倒れてしまうかもしれない。

 それは兄として見過ごせないな。

 そんな感じに妹のことをかんがえていたら、階段の方向から足音が聞こえてきた。

 日常的に聞いている足音――耀の足音だ。

 そして、耀はリビングの扉を開ける。

 俺はさっきの疑問の答えが気になったので耀を観察することにした。

 なんか、この言い方だとどこかの変態野郎に勘違いされるかもしれないが、実際に俺は自分自身が変態ということを自覚しているので気にしない。


「疲れたな······」


 不明瞭な声音で悲しみを感じられた。

 俺が耀の周りから姿を消して今日で一週間。

 そろそろ俺がいなくなったことを受け止め始めた耀なのだが、悲しみは当然ながらまだ残っている。

 だって、兄の俺がいなくなったのだ。元気げんき溌剌はつらつだったら俺の心がそれなりに悲しくなってしまうではないか。


「喉渇いたから何か飲も」


 言った後で、耀は冷蔵庫からさっき俺が取り出した紅茶を取り出し、コップ入れから透明でシンプルなコップを取り出す。

 洗面台に目を向けるが、驚いている様子は伺えない。

 ここから、さっきの疑問の答えが出た。


「これは洗面台のコップ見えてないな」


 現に、耀は抽象的に考えたら一人暮らし。具体的に考えたら二人暮しである。なので、コップ入れにもきちんと二人分のコップが用意されている。

 それを見て、虚しく思ったのか耀は俯いていて、悲しそうな顔がより一層酷くなった。

 耀は笑み一つ浮かべずそのまま紅茶を喉へと通す。

 そして、リビングの扉を引いて、耀は再び階段へと足をつけた。

 階段を上る際の音からも、悲しみは感じ取れた。


「早く、耀に俺を視認させないと」


 これ以上耀に憂いの心を持たせたくなかった。なので、俺は透明になった原因を探らなければならない。

 そのためには俺だけがこの問題を抱えずに協力者が何人か欲しいところなのだ。

 そして、その協力者は今日見つかった。

 華奢きゃしゃな身体付きでコンパスで円を描いたかのような大きな目をしているさくらおかさくら、という女だ。

 俺はさっきまでは桜ヶ丘の家にいた。しかし俺のふざけた行為によって桜ヶ丘は怒ってしまった。これで協力者がゼロへと戻ったらまずい。


「明日にでも桜ヶ丘と仲直りをしとくか」


 呆然と一人、キッチンの方を向き、そう言った。

 翌々考えたら俺は相当愚かな行為をしてしまったと今更ながら思う。

 あれじゃあ、彼女いた経験皆無? とか言われそうなのだ。

 まあ、その質問が仮に飛んできたのであれば、俺は頷くことしかできないだろう。

 ここで変な嘘をいてその嘘がばれたとしたら俺の愚かさがより一層増してしまうのだ。

 そんなの、俺のプライドというものが許さない。


「とりあえず、明日桜ヶ丘に掛ける言葉でも考えておくか」


 俺はこの場で考える。


「桜ヶ丘! 昨日はあんなセクハラみたいなことしてごめん!」


 考え始めて五秒で掛ける言葉は決まった。後は明日に備えての声音と表情をひと工夫するだけである。

 そうすらば恐らく、桜ヶ丘は許してくれるだろう。例えばこんな風に、


「まあ、そんな真剣に謝ってくれるだなんて私惚れたわ。付き合って!」


 そして、俺は爽やかなイケメン風にこう告げるのだ。


「ああ、君が望むなら俺はどんな険しい道でもついて行くぜ」


 そうして、俺と桜ヶ丘は恋人同士となり、デートとかして俺は青春を謳歌する! 完璧だ。明日の謝り方次第でこりゃ俺の人生が変わるな。


「よし! このシチュエーション目指して頑張るか!」


 ここで俺は気合いを入れるのだが、


「って! それじゃあまるで俺が桜ヶ丘のことが好きみたいじゃねえか!」


 独り言を連呼しつつも誰もいない虚無な空間で頬を赤くした。

 まさか、俺があの辛辣しんらつな言葉ばかり並べてくる女を好きになるはずがない······。

 首を横に振り、頬を染めていた朱色も次第と薄くなっていった。


「まあ、とりあえず明日は俺が謝る。それで許してもらう。それ以上のことは何も望まない。――よし、これを念頭に置いておこう」


 そして、俺はソファーから立ち上がり耀の後を追うようにして階段を上って行くのであった。

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