第8話 家と部屋にお邪魔します
「お邪魔します」
靴を乱雑に脱ぎながら「ただいま」と、帰りを伝えた桜ヶ丘の後に俺はそう言った。
恐らく、桜ヶ丘のその相手には俺の声は届いていないだろう。
しかし、俺は他人の部屋に入る時は必ず「お邪魔します」と、言う。
幾ら声が聞こえていなくても他人の家に入る時は誠意を持っていなければいけないのだ。
リビングを見てみると桜ヶ丘の母親らしき人物が「おかえり」と言いながら笑顔を表に出していた。
どうやら、手縫いをしているらしく、眼鏡をかけている。その母親の周りの空気は妙に温かく温和な雰囲気を醸し出していた。
「あー、先私の部屋入ってていいよ。お茶淹れて持ってくから」
母親が驚いたような顔をしている。
それもそのはず、母親とは正反対の向きを向いて、急に意味不明な発言を桜ヶ丘はしたのだ。
このことからやはり桜ヶ丘の母親も俺のことが見えていない。
何故かその時、俺はふと安堵した。仮に見えていたらカップルと思われそうで怖かったのか。
「あんた、頭大丈夫? 病院行く?」
憂い顔で桜ヶ丘の母親は言った。
「いやいや、大丈夫だよ。私、なんの異常もないからさ」
手を横に振りながら、微笑を桜ヶ丘は浮かべる。
桜ヶ丘の頬には地味に汗が見られたので、焦っているのだろう。
クラスメート諸々に変な目で見られるのは平気な癖に母親からのその目はダメだそうだ。
まあ、さすがの桜ヶ丘もここでリタイアか。
「んじゃあ、俺は先にお前の部屋に······て、えー!?」
桜ヶ丘の母親の表情に気を取られていたのか、俺は桜ヶ丘の発言をあまり重要視していなかった。
驚愕を浮かべる俺の顔を見て桜ヶ丘が鋭い視線を送ってくる。
「私の部屋で一人になったからって変なことしたら殺すからね」
母親に聞こえない程の小声で俺に言ってきた。
「変なことってな・ん・だ・?」
鋭い視線を返すかのように俺はニマニマとした視線を桜ヶ丘に送り付けてやった。
普通の女子ならここで逡巡するはずなのだが、
「私を考えての卑猥なことよ。言わなくても分かるでしょ」
何、この女そうゆう発言するのに一切も躊躇わないのか。
予想外であったが、さすがの桜ヶ丘でも親に聞かれてはまずい、と判断したのかその時の声はいつに増して小声であった。
俺程の聴覚がなければ聞こえてないだろう。
「一つ訂正。『私を考えて』じゃなくて『女を考えて』か『男を考えて』な」
サラッとやばいことを堂々と言ってやった。桜ヶ丘は若干引き気味で俺から距離を置くように足を一歩一歩、後ろへと下げていく。
『女を考えて』までは桜ヶ丘も理解できていただろう。しかし、その先の『男を考えて』に対してはまじでびっくりしていたと思う。
「何!? ホモなの!?」
小声を忘れて思わず、桜ヶ丘は大声を出した。
俺は興味本意で桜ヶ丘の母親の顔を見てみる。すると、
「あんたやっぱり病院行った方がいいわよ! 急にホモとか言い出すとか異常にも過ぎるわ!」
そして、桜ヶ丘の母親は眼鏡を外し、次に糸を摘んでいた指をその糸から離す。
「病院行くわよ!」
「え! 急に何よ」
有無を言わせないような迫力に桜ヶ丘と俺は驚いていた。
まるでさっきの温和な雰囲気が嘘のようだ。
結局そのまま桜ヶ丘は母親の
「何で、俺は一人で他人の家にいるんだろう」
そう呟いてこの家を後にしようとした。しかし、
「俺がいなくなるとこの家の鍵がな······」
掛からなくなるのだ。
俺は当然ながら桜ヶ丘家の鍵なんて持っていない。仮に持っていたとしたらそれは凶悪なストーカー、もしくは泥棒となってしまう。
そんなのごめんだ。
「仕方ない、仕方ない。桜ヶ丘に言われた通りお茶が入るまで『桜ヶ丘の部屋』でのんびりとするか」
俺は頬の熱と心臓の妙な鼓動を感じながら部屋の入口の『桜』と書かれた
「おっ邪魔しまーす!」
と、言いながらその部屋に入って行った。
瞬時に感覚器官は感じ取る。
女子ならではの良い香りを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます