第2話 経過観察


 昼。昼休みに間に合うとは考えていなかった。昼飯のことを考えてなかったので、構内のコンビニで買うことにした。

 コンビニで働く生協のおばさんは不思議である。機械的に仕事をしているようだが、レジではにこやかに笑っているし、やさしさにあふれているようにも見える。しかし、商品を棚に入れているときの無表情さは機械的な印象を受ける。やっぱり与えられて仕事をこなしているだけかもしれない。


「630円です」

「カードで」

「はーい」

 教員カードを電子機械にタッチした。

「ありがとうございました。今日は違うんですね」

「え、あ、はい?」

 だまって立ち去ろうとしたときに話しかけられた。

「いつもと?」

 私の質問に、生協の女性は続けた。こちらをしっかりと見つめていた。

 私も彼女を見た。おばさんというと怒られはしないが、微妙な顔をされる年齢かもしれない。お姉さんと呼べばいいのだろうか、いや絶対わざとらしいから嫌がられそうだ。

「いつもは、おかかと鮭だけど、今日はチャーハンなんて、珍しいなと思って」

 あー、と私は声を漏らした。

「確かにチャーハンのおにぎり買うのはなかったかな」

 彼女は少し笑みを浮かべ、

「あ、なんか、変なこと言ってすみませんね」

「あ、いやいや、たいしたことではないですよ」

 自分は何のフォローをしているのか、分からない返事になってしまった。そもそもフォローになってないだろう。

 いつもは受け取らないレシートを受け取り、ありがとうございました、と述べて私はコンビニから出た。


 自分の部屋へ向かった。

 私は自分の研究室に入った。部屋の大きさは7畳ぐらいで、ドアの面と机の周り以外の壁面は本棚が貼り付けられている。床から天井まで生えている、と言ってもいい。私の身長でも届くように3段の小さな脚立もおいてある。

 部屋の一番奥に私の机がある。その周りにはダンボールと本が点在している。ダンボールの上に本を置く癖があるためか、ダンボールの高さの倍に本が積み上げられている。私はおにぎりをもそもそと食べた。


「恋か」

 恋とは何か? 私はこれまでしっかり考えてきたつもりだった。しかし、不思議なもので、どれだけ考えても正解と呼べるものは思いつかなかった。

 私は、自分の研究室の壁一面の本棚に目を向けた。この本棚に並べれている本も恋について大いに語り、揚々と喜び、さめざめと悲しんだことだろう。またはその著者も。しかし、それでも正解と呼べるものはないのではないか。


 私は、ここに来るときに右手にもっていた袋から粒の薬をとりだし、左手に持っていた袋から透明のボトルを取り出した。薬を飲み、ボトルの液体で流し込んだ。その時、口の中が熱くなった。


 ラベルを見た。私は大きな声を上げた。

 これは酒だ!


「くそ、あのやぶ医者が」

「お、どうしたんだい」

 隣の部屋の同僚が声をかけてきた。見かねたらしい。

「あ、聞こえてましたか、これは失礼」

「いや、いいんだ、君が声を上げるのは珍しいわけではない。ただ、今の声には相当憤怒が感じられてね」

 私は彼に事の顛末を説明をすると、彼は大きく笑った。

「ふうん。酒は百薬の長だからね」

「いや、それで納得したことにならないだろう」

 勢いよく飲んだ酒が相当きついものだったらしい。一気に顔が熱くなるのを感じた。

「あぁ、これでどうやって授業を行えばいいんだ」

 私は頭を抱えながら、部屋の中を歩き回った。彼はまた笑った。彼はなにかとよく笑う。

「いいじゃないか、そのまま授業を行いなさい。どうせ君の授業はアドリブばかりだ。今日のテーマは恋でいいだろう」

「なにがいいんだ、酒で酔った人間が授業をやってみろ、今のご時世騒がれてめんどくさいことになる」

 彼は目を見開いた。おお、もう酔い始めているのか。両の掌を上に向け、肩をすくめた。海外のコメディドラマみたいなおおげさなジェスチャーだった。そして笑った。

「いやいや、そんなことは無いよ。世の中、見ているようで見ていない」

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