終章
僅かに残っていた秋も完全に過ぎ去り、季節は冬真っ只中となった。
晴れている空からは雪が降ってきており、狸の嫁入りは
世間は信仰してもいないキリストの生誕祭を祝うためにモミの木等に電飾等の飾り付けを施し、日が近い事もあってか半ばクリスマスムードが漂っていた。特に駅前はどこか浮かれている様に見えるし、既に赤や黒のサンタの衣装に身を包んだ男や女、それにトナカイまでもが時折街中を闊歩しているのが目撃される様になっていた。
「はあ、きつい」
そんな世間の浮かれ具合等はまるで知らぬとでも言うかの様に、透は事務的で殺風景な高校の生徒会室でぐったりと机に伏しながら呟いた。本来なら土曜日のこの日は休日であり、透としては惰眠を貪りたい気持ちであったが、花山から生徒会の手伝いをしてくれと頭を下げられ、仕方なく登校する事となった。
机には赤チェック等が入った原稿らしきものがあり、筆記具が散乱している。
「やれやれ、この上なく気怠げね、透」
花山は呆れた様に言った。
「だって花山大納言さん、今日って休みなんよ。体が休日である事を覚えてしまっているから、今いち力が出んの〜」
ぶーたれた様に言う透に、花山はそっとチョコレートの袋を差し出した。
「大納言って何だよ。ほら、糖分あげるから、その分頭働かせる」
顔を上げた透はそのチョコレートの袋を途端に目を輝かせた。その様子を見て、まるで小学生みたいだと花山は苦笑する。
「食べていいの?」
「ああ、だけどその分作業お願いね」
「やる!」
「単純な奴」
「何か言った?」
「い〜や」
がらがらと扉を開ける音がした。二人がその扉を開けた主を見ると、朗らかな顔をした今泉が立っていた。
「遥」
「やっほー。何やってんの?」
のんびりした声を出しながら、ずかずかと今泉は二人の元へと歩いてきた。
「あれ、あんた部活は?」
花山が首を傾げながら言った。
「休み」
「じゃあ何故に学校?」
「ちょっと野暮用で。で、何やってんの?」
「会誌のチェックやら印刷やら。月曜配んないといけないからさ、困ってんの」
そこまで言って花山が「お」と声を上げる。
「ねえ、ハルっち」
「え、何」
「ここで会ったのも何かの縁ってわけじゃないけどさ、折角だから手伝ってかない? 丁度後一人人手が欲しかったんだ」
花山が言うと、今泉は腕組みをして「うーん」と唸る。
「学食とジュース奢るけど」
「その言葉に二言は?」
「ない」
「良かろう」
「よし、決まりだな」
その時、花山の携帯が鳴った。花山は携帯を取り出して相手を確認する。
「おっと、ちょっと待ってね」
そう言ってそそくさと花山は部屋を出て行った。
「ひょっとして、あれかな」
花山の居なくなった生徒会室で今泉は声のトーンを抑えて透に言った。
「邪推し過ぎよ、今泉君。生徒会の仕事でここに来てるんだし、それ関係とかじゃないの? 生徒会長とか」
「じゃあ生徒会長」
「どうしてそうなる。発情漫画の読み過ぎだ、君は」
今泉のうきうきとした態度に透は半ば呆れる。
「あ、透。そういえばね」
「ん、何?」
「土門君、今日学校に来てるみたいよ」
今泉は透の耳元で囁く様に言う。
「はあ、まあ何か用があったんでしょうねえ。忘れ物とか」
「えー、何、その無関心を装った反応」
「装ってはないけど。どういう事? 文脈が掴めない」
一体土門がどうしたというのだ、透は怪訝な顔をした。
そういえば、と透は思った。あの日から一週間近く経ったが、土門とはあの日帰り道に少しだけ言葉を交わしただけでその後会話をした記憶が無かった。
土門は一体何が起きていたのかをそれとなく知っている様であったが、彼はあの一連の出来事をどう思ったのだろうか。透はふと考えた。あの後考えた結果、もしかして、もう自分とはあまり関わり合いにならないようにしよう、と結論したのかもしれない。それは当然といえば当然の反応であろう。あんな危険で不可解な出来事に関わりたくないと願うのが人の自然な反応だ。そんなものは、創作の世界の中の話だけで十分だ。
ただ、土門と会えなくなるのはちょっと嫌だな、と透は思った。せめて、週一、二くらいで言葉を交わす機会は欲しい。
「ははあ、そういう事か」
唐突に、納得した様な口振りで今泉は言った。
「成程。じゃあちょっと謀ってやるかね」
「え、何を?」
「あ、いいよいいよ。何でもない」
含みのある笑顔で今泉は言った。
*
タルタロスは滋丘透によって閉じられた。
姫子は間もなく京都へと戻っていった。まだ少し元気が無いようであったが、彼女としては何か気持ちに踏ん切りがついた様子で、疲れの中にも強い意思がその瞳に宿っている事を透に感じさせた。
六条院紅葉は学校での件以来姿を見なくなっていたが、以前、透の元におかしな文が届いたかと思ったら、それは彼女からであった。彼女の興味は既に別のものに移り変わっており、今はツチノコ探検に精を出しているとの事であった。もっとも、それは透にとっては本当にどうでもいい事であったが。
クロエの行方は分かっていない。法水京一郎の体も消えていたが、透はこれ以上は探さない事にした。最早、彼らが自身や世界に対して脅威となる事は無くなったからである。
透にとっては重大な出来事であったが、結局の所、世の中にとっては特に何という事はない日々であった。しかし、タルタロスを巡る一連の事件は彼女に少しだけ日常の変化をもたらした。
一つには父の住んでいる家、つまり本来の実家へとたまに帰るようになった事だ。反対に、父が透の方へと来る事もあった。
依然としてぎこちなさはあったが、透にとっては父との時間はそれ程悪くもないと感じられる様になっていたし、もう少し父の事を理解しようと考えるようにもなっていた。
また、一つには真羽との交流が始まった事だった。透が少し調べてみた所、真羽は「東洋の魔女」という勇名を馳せた魔術師である事が明らかになった。その彼女は今回の事で透が気に入ったらしく、その後何度か透の元へ訪問する事もあった。透としては、師と出来る人物が近くにいるのは助かるので、折を見て交換条件付きで真羽に魔術の事を教えてもらおうと考えていた。
そして透は、正式に滋丘の当主になった。元々考えていた事ではあったが、今回の体験が後押しになり、当主になる事を決心したのだ。進学はするつもりではあるが、その後は魔術の世界に身を落ち着ける事にしていた。透の内に不安が無いわけではない。しかし、どのような人生を選び取ったとして必ず不安は付いて来るのだから、そもそもそれを問題にする事自体がナンセンスであろうと透は思った。
何度後悔をしても、決してこの選択を間違っていただなんて思わない。思ってやらない。そう透は決心していた。
*
花山に頼まれていた手伝いは午後過ぎには終わった。花山はまだ作業があるという事で生徒会室に残る事になり、今泉は今泉でちょっと野暮用がなどと言って足早に生徒会室から出て行った。
帰りに少し何処かで珈琲でも飲むのも悪くないと思っていた透だったが、結局、一人で帰宅する事になった。
「駅前はきついよなー」
透は学校の帰り道に一人で寒さに
この時期だと駅前は浮ついた気分になっている。だから透としてはこの時期は駅前を始めとした繁華街エリアへは近付かない様にしていた。別に恋人がいるのが羨ましいわけではないが、そういった場所にいると何故か自分が居た堪れない気分になってしまうからであった。
大半の日本人は仏教徒なのだから、キリストの誕生日を祝う前に仏陀の誕生日でも祝えばいいのに、と透は心の中で毒突いた。
「雪、積もんないかな」
透はふと呟いた。朝比奈市は場所が場所であるため、雪は降っても積もる事が殆どなく、せいぜい薄氷がコンクリートの地面に張るくらいである。昔、透が子供の時に雪が積もった事があったが、その時は小学校の体育の時間が雪合戦になった。透はその時の記憶が鮮明に残っており、今もこうして雪が降った時は雪が積もらないかと淡い期待を抱いたりするのである。
彼女は、もし雪が積もったら雪だるまを作ってみたいと考えていた。
「ま、これじゃ積もるわけないか」
空の様子を鑑みながら透は少し残念そうに呟くと、
「滋丘」
男の子の声がした。それは、久し振りに聞く声であり、加えて休日である筈の土曜に声をかけられた事に透は少し驚いた。
「あれ、土門君?」
滋丘はその姿を認めるなり、目を丸くした。
「何だ、幽霊を見たような顔をして、俺に何か付いてるか?」
土門が滋丘に近付きながら少し怪訝な顔で言った。
「え、いや別に。何も付いてないしツイてないと思う」
そういえば、土門が学校に来ていると今泉が言っていた事を彼女は思い出した。
「ん? そうか」
「というか、土門君は今日学校だったんだ」
「ああ、まあ文芸部の知り合いの手伝いでな。どうせ今日暇だったし」
「そうなんだ。ひょっとして、文学に興味あり?」
「まあ本は読むが、別に詳しくはない」
「ふーん、ちなみにどんなの読むの?」
「芥川龍之介とか、中島敦とか」
「ほお、渋い」
「な、別に渋くはないだろう。只の定番だよ」
「そっかな。あ、でも読書してる男子って結構良いかも。知的なイメージ、インテリ? みたいな」
透は無邪気に笑う。
「なあ、滋丘」
「ん、なあに?」
「ちょっと時間、あるか」
「あるけど、どしたの?」
滋丘は首を傾げる。
土門は顔を茹でダコの様に火照らせていた。
雪が楽しそうに舞っている。
それでも空はやはり晴れ晴れとしていて、コンクリートや草木、自動車等世界のあらゆるものを祝福せんとばかりに照らし上げている。
「どうか、お元気で」
その子は、その行く末を見届けると、消えるようにその場を後にした。
滋丘透の魔術奇譚 安住ひさ @rojiuraclub
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