7章・2節

 透が自転車を走らせてケーブルカー乗り場に到着した時には既にイツキは到着していたが、彼は係員に迷子と間違われて家や親の電話番号等を聞かれていた。困っていたイツキは、透が到着するやいなや透に助けを求めたため、透は適当に兄弟だと言って誤魔化した。一度はそれで納得した係員だったが、ケーブルカーに乗ると言った時にまた訝しげな顔をしたが、最早それ以上は何も言われなかった。

「いや、助かりました」

 他に誰も乗っている人間がいないケーブルカーで、イツキは隣に座っている透の方を向いて言った。

「お陰様で私まで変な目で見られた。はあ、帰りが憂鬱だわ」

「多分、帰りはケーブルカーを使わずにゆっくりと下山する事になるかと思いますよ。全てが終わった時は、ケーブルカーの運営時間も終わっているでしょうから」

「げ」

 そこまで透は考えていなかった。行きがあるなら帰りもある。それは当然の心理である。その事に今の今まで気付かなかった事に透は悔恨の念を抱いた。

「っていうか、気付いてたなら言いなさいな。もう、終わった後に憂鬱な事項が出来ちゃったじゃない」

「申し訳ありません。ついつい」

 がたごとと音を立てながら、木々の間を上り続けたケーブルカーはやがて頂上へと至った。

 上に着いた係員に一瞬だけ怪訝な顔をされたが、特に何か質問される事なく、透とイツキは駅舎の外に出た。

 外には外界へ下る予定の行楽者達が一人、二人と駅舎の中へと入っていく。すれ違い様に駅舎から出てきたところを興味深げに見られた様な気がしたが、透は気の所為だと思う事にした。

「こっちよ、イツキ。付いて来なさい」

 透は姫子がくれた簡易地図を元に道を進んでいく。そして、透は唖然とした。

 透が震えながら指差した先は、生い茂る草木が行く手を阻んでいた。

「い、イツキ。こっち、よ?」

「何故、最後が上がり調子なのでしょうか?」

「ねえ、イツキ。貴方は此処がどう見える?」

「そうですね。草木がぼうぼうに生えている風に見えます」

「ひょっとして何かの幻とかだったりしないかしら?」

「トオル、本来ケーブルカーを降りた人々が目指す目的地は私達から見て右方にあります。ですから、ここに草木が生い茂っていても何も不都合はございません」

「大ありよ。地図によると、私達はここを通らなきゃいけないわけなの。姫子さん冗談でしょ。貴方はサバイバルの経験がおありなのかしら。私はか弱い高校生なの。変な虫とかいそう。率直に言って嫌だ」

 何でよ〜、と頭をくしゃくしゃにしながらぶつくさ文句を言う透。その彼女の苦悩を知ってか知らずか、イツキはさっさと草木を掻き分けて進んでいく。

「ちょ、ちょっと」

「呆けていますと置いていきますよ、トオル」

「ほ、呆けてないってば。あ〜もう」

 透は意を決してその中へと入っていった。


「はあ、やっと出られたわ。悪夢だ」

 木や草で満たされた道なき道を暫く進み続け、漸く休憩所の如き広場に出てきた透は溜息をついた。

「ここさ、何の設備もないけど広場っぽいし少しは人の手入ってるよね。何でそこに行くまでの道は整備されてないのよ」

 透は広場と、なだらかな坂道を見回しながら言った。

「多分、人が入り込まない様にしているのでしょう」

「じゃあ、人除けの結界を貼ればいい」

「好奇心旺盛な変人が入ってくるかもしれません。それよりは、自然の防御壁に任せた方がよっぽど効果的というわけです」

「まあ、確かに。私が大ダメージ受けたし。ま、今となっては過ぎた話。行きましょう」

 透は広場を通り抜けて坂道を登ろうとするが、イツキが止まっている事に気付き、後ろを振り向いた。

「どうしたの? イツキ」

「残念ながら、門へと行く前に一仕事ありそうです」

「ふん、ようやく参ったか」

 風に漂う様に声が聞こえた。透が周りを見回すと、「こっちじゃ」と広場の一角から声がした。

 透は声のした方へと振り向く。そこには、いつの間にか真人が立っていた。

「六年ぶりだの」

「吉備、真人」

 透は呟いた。怒りを抑える様に静かに。

「ああ、まさしく。我こそは吉備真人だ」

 透は唇を噛み締めた。

 そこに立っているのは吉備真人。前回の門を開けた張本人であり、透の祖父、春之助の仇であった。

「貴方、どの面下げて私の前に現れたの。今度は姫子さんまで」

「此度の災禍、一体何が起こると思うね?」

「何ですって」

「前回は殆ど予想通りの運びとなった。それはそれで悪くはなかったのだがな、今回は予測がつかない。何故なら、今回は頭のトチ狂ったへんちき男とそれを愚直に支える欺神と来た。これは、災厄等という即席品ではとても収まりきらぬ事を起こしてくれるだろう。一体何が起きるか、気にはならんか」

「いい度胸ね、私を挑発してるってわけ」

 透はウエストバッグから槍のフェイクファミリアを取り出した。

「滋丘の娘、成長したな」

「黙れ。人の事とやかく言えた義理じゃないけど、前はよくも私を利用しやがったな。百万回ぼこぼこにしてやるから覚悟なさい」

「ちょっと待った!」

 女性の声が響いた。

「真人。お前結構単純な奴だねえ。馬鹿正直にこんな所にのこのこと現れるんて、さ。ひょっとして、私に茶々入れられたんで、切羽詰まってるのかね」

 真人がしかめ面をしながら周囲を見回す。

「いつぞやの魔女か。何処にいる」

「ここだよ」

 真人ははっとして下を見、瞬時に後退する。

 真人のいた所に、無数の槍が突き出て、やがて消えてしまった。

「あーあ、一思いに串刺しにしてやろうと思ったのに、ノリが悪いねえ」

 真人の背後から声がした。真人が振り向くと、そこには真羽と土門が立っていた。

「土門、君」

 透は困惑した様に言った。

「いつぞや言っただろ。お前をこの街から逃しはしないって。私は執念深いんだ」

「成程。さしもの怨霊も顔負けの執念深さのようだ。いや全く、恐れ入る」

「どうも。なあ、爺さん。それはそれとして、ちょっぴしだけ時間をくれないか?」

 真羽は言った。真人は土門と透を見て、「いいだろう」と言った。

「そういうのも悪くはないか。よかろう。納得の行くまで待ってやろう」

「助かるね、さて」

 真羽はイツキの方を振り向く。イツキはばつが悪そうな顔をする一方で、真羽は笑みを浮かべる。

「久し振りだね。

「先日会ったばかりじゃないか。何ですか、その不気味な笑顔は」

はこれが終わったら、きっちりと精算してもらうとしようかね」

「面白そうだから見返りはいらないと言ったじゃないか」

「すまん、気が変わった」

 イツキは頭を抱える。

「ああ、本当にこれだから魔女は困る。情というものがないのかね」

「あるさ。だからこそ、手を貸してやった」

「私が赤貧な事はご存知でしょう。一体、そんな人間から何を精算してもらおうと言うのでしょうか?」

「いい加減に君の裸体を見せてもらいたいな、と思っていた事を思い出したんだ。君は興味深いからな。一体どうなっているのか、是非とも調べたい」

「駄目です。もしそんな事になったら警察に通報しなければ」

「でもそんな事したら困るのはお互い様だろ」

 イツキは顔をしかめて、顔を背ける。

「やれやれ、相変わらずの傍若無人さだ。いっそ悪魔にでも転職すればいいのに」

「何か言った?」

「いいえ、何も」

 そう言いながら、イツキは透が土門の方へと駆け寄っているのを見ていた。


「土門君、何でここに?」

 透は驚いたように、真羽と一緒に居た土門に言った。

「色々あってな、今はそこの櫻子さんって人と一緒にいる」

「ひょっとして、春坂の魔女?」

「ああ、そうだ。魔女は只のあだ名でも何でもなくって、本当に魔女だったってオチらしい」

「そう、だったんだ」

 透は目を丸くする。真羽が引っ越して来たのは四、五年前である。だが、真羽の方から透の方へは特に接触は無く、また、透は透で日々の生活が忙しかったので、噂くらいは知っていたが、ついぞ噂の真相を確かめようという気も起きなかった。

 結局、透は身近にこちら側の存在がいながら放ったらかしにしていた事になる。

「安心しろ、多分良い人だから」

「そ、そう」

「なあ、滋丘」

「ん、何?」

 しかし、数秒経っても土門からは何の返答もなかった。

「……いや、何でもない」

 透は首を傾げる。

「変なの」

「そんな事よりさ。ちょっと頼みがあるんだ」

「頼み?」

「ああ。お前もあいつに因縁があるんだろうけどさ、ここは、すまん、俺と櫻子さんに任せてくれないか」

「え、何を言ってるの? いいえ、真羽さんは兎も角貴方は――」

「無関係じゃねえんだ」

「え」

「野球部の件、あいつの差金だってよ」

「何ですって?」

「俺も良く分かってないけど、あいつは他人の気持ちを操って衝動的な行動を取らせたり出来るんだと。それに野球部の連中が、湯浅がやられた。全部が全部あいつのせいじゃないだろうし、只の自己満足みたいになっちまうけど、俺はあいつにその分の清算をつけさせたい」

「土門君」

「滋丘、それでもお前は俺が無関係だと言い張るか」

「でも、危険」

「俺も馬鹿じゃない。ちゃんと手はあるんだ。頼む、信じてくれ」

 そう言った土門の顔は、いつぞや見たイツキの様だと、透はそう感じた。

「……うん、分かった」

「すまん、恩に着る」

「いいって、それより約束して。絶対勝つって、それも刺し違えるとか無しで」

 透は小指を差し出した。

「分かってる。滋丘、お前こそ無事で帰ってこいよ」

 土門はそれに応えるために指切りをした。

「じゃあ、ここは任せた」

「ああ」

 透はイツキを呼び寄せると、緩やかな坂道を上っていった。

「話は終わったかの」

 土門を見ながら、真人は薄っすらと笑みを浮かべて言った。

「それにしても勿体無い。滋丘の娘が狙いだったのだがな」

「俺じゃ不服か?」

 土門は言った。その声は落ち着いている。

「悪くはないのだがな、折角本命があるというのに、わざわざそうでないものを狙う道理はあるまいて。まあよい、終わり次第滋丘の娘を追わせていただくとしよう」

「さっきから聞いてりゃ舐められたもんだ。うらぶれた怨霊風情が、私に盾突いた事を後悔させてやる」

 真羽は不敵に言い放った。

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