6章・4節

「姫子さん!」

 姫子が帰宅するなり、透は姫子に駆け寄った。姫子はよろよろと覚束ない足取りで玄関を上がり、透を見た。

「透ちゃん」

「大丈夫ですか。体調悪そうですけど」

「ごめん。心配かけちゃったわね」

「いえ、そんな」

「とりあえず、少し休ませてもらうわ」

 姫子はそう言って居間へと入っていった。

「あの、そっちは居間――」

「いいえ、こっちでいいのよ」

 居間にはイツキがいた。彼は姫子を見る。

「随分とお疲れに見えますが、ホットミルク等は如何ですか?」

「ええ、お願いしてもいいかしら」

「かしこまりました」

 イツキは冷蔵庫の方へと向かおうとするが、姫子がイツキをじっと見つめている事に気付き、振り返った。

「どうされました?」

「何も、聞かないのね」

「……そうですね」

 ただそう言ってイツキは冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出した。


「ありがとう、イツキ君。美味しい」

 姫子は言った。手には黒いカップに注がれた白い液体が湯気を立てている。

「ただ温めただけですが、そう言っていただけると嬉しいですね」

 イツキは言った。透は、居間の入り口辺りで心配そうにして立っていた。

「タルタロスについて、私が知っている限りの事を話すわ」

 唐突に姫子は告げた。

「ごめんなさい。意地悪で教えなかったわけではないの。只ね、踏ん切りが付かなかった」

「姫子さん?」

「透ちゃん、もしかしたら貴方にとっては思い出したくもない事を思い出させるかもしれない。それでも、聞いてくれる?」

 弱々しい口調だったが、芯の通った声で姫子は言った。その目に一瞬たじろぐ透であったが、すぐに頷いた。

「はい。聞かせてください」

「トオル!」

 イツキは狼狽えた様に言った。

「どうしたの、イツキ?」

「いえ、何と言いますか、その、姫子さん」

「イツキ君、ひょっとして」

「あえて話す必要の無い事は話さなくてもよろしいのではないでしょうか」

 少しだけの沈黙が流れる。やがて、姫子は口を開く。

「ねえ、イツキ君。貴方は少し心配性なのよ。貴方の中では、透ちゃんはまだあの時の子供のままなのかしら」

「あの時? イツキ、どういう事?」

 透はイツキを見ると、イツキは反射的に顔を背けた。

「答えて、イツキ」

 透が少し語気を強めて言うと、やがて観念したかの様にイツキは軽いため息をついた。

「トオルが覚えていないのは、それはそれでよかったと思ったのですが」

「覚えていない?」

「ええ。学校で会った時、貴方は私の事をまるで初対面かの如く見ていた。ですが、違うのです。貴方と私は、昔会った事があるのです」

「え」

 透は目を見開いた。会った事がある? イツキが自分と?

「いえ、横槍を挟んでしまい、申し訳ございません。姫子さん。ええ、私は今のトオルなら大丈夫だと思います。ですからどうか、お話いただければと」

 イツキは伏し目がちに、静かに告げた。


「そもそもタルタロスとはどういうものなのか、透ちゃんは知っているかしら?」

「いえ、名前の元になった逸話しか知らないです。何故タルタロスなのか」

「タルタロス、本来はギリシャ神話における地獄であり、また、神そのもの。その名を冠しているのは、只の思い付きや偶然ではないわ。何故なら、これは巨人を異界に閉じ込めるための牢獄だから」

「じゃあ、門の向こうの災いって」

「ええ。巨人の事よ。でも、その中にいる巨人というのは、只力が強いだけの大男トロルとかそんなものじゃない。だからといって、ギリシャ神話や北欧神話に伝えられている巨人でもない。門の向こうにいる巨人というのは、この国にかつて存在した異形達」

「巨人がこの国に? ダイダラなんとかとか、そんなのですか?」

「それとは似て非なるもの」

「そんな話、聞いた事がありません」

「そうね。確かにそんな話は今は存在しないわ。だって、無かった事にされたのだもの」

「無かった事?」

 透は怪訝な顔をする。

「透ちゃん。極々当然の事かもしれないけれど、神話や歴史というのはね、メインとしては過去に残された文献や言い伝えを元にして作られているの。勿論、近年はフィールドワークや科学的なアプローチから本来の歴史を明らかにしていく手法があるけど、未だ歴史の大部分は文献や言い伝えに依るものが殆ど。これが何を意味するのか、分かるかしら?」

「神話や歴史は作られたもの……文献を残す勝者は、自分に都合の良い事実だけを語らせる。つまり、今伝わっている神話や歴史に語られていない者、存在しなかった事にされた者もいる可能性がある、という事でしょうか」

「そう。臭いものには蓋、ってわけじゃないけど、不要な物を検閲し削ぎ落とす。それで辻褄が合わなければ辻褄が合うように再構築を行う。そうやって成立したのが今の神話や歴史なの。歴史はともかく、神代に関する記述は特にこの再構築の作用が働いているわ。勿論、例外もあるわけだけど」

「巨人はつまり、削ぎ落とされた者達」

「そう。辛うじて残ったのは各地に点々とある巨人伝説くらい。それだって比較的無害なものや、神様にすげ替えられたものばかり。神と敵対した巨人達は、徹底的に隠蔽された」

「異界にいるのは、そんな巨人の一人、というわけですね」

「ええ。タルタロスに押し込められた巨人は一柱はしらだけの筈だけど、それで十分よ。一柱でも一つの都市を焦土にするのは容易いでしょうし、下手をすれば、国全体に未曾有の災厄をもたらす可能性だってある。前回の被害が百も満たないのは春之助さんのお陰」

「え、ちょっと待ってください」

 背筋がぞくりとする感覚に透は襲われた。それが意味する所に心当たりがあったからだ。

「待って、待って待って下さい。え、あれって」

 夢だよね? 透は自分に語りかける。現実と食い違うから、これは夢で合ってる。

 だけど、何でこんなに鮮明に覚えてるの? 夢って、現実の記憶を何の脈絡も無く繋ぎ合わせるものだって聞いた事がある。じゃあ、あの青い炎は? 人が倒れていったのは?

 お爺ちゃんが力尽きたのは?

「透ちゃん」

 呼ばれて、いつの間にか俯いていた透ははっと顔を上げる。

「大丈夫かしら?」

「は、はい。続けて下さい」

 その言葉に姫子は静かに頷く。

「透ちゃんは知ってるかもしれないけど、滋丘の先祖がここに来たのは四、五百年以上も前、戦国時代と言われているわ。何故ここに根付いたのか、理由は二つ考えられる。一つは単純にここが霊地として非常に優れていた事を何かのきっかけで知ったから。これは有力な説ね。魔術師であれ陰陽家であれ、資源が豊富な所がいいに決まってるもの。わざわざ農家が痩せた土地で作物を育てる道理はないわ。でも、もしかしたら真相はもう一つの可能性もあるかもしれない。つまり、滋丘家は巨人の監視のためにここにやって来た」

 透は黙ってそれを聞いていた。正直な所、当事者である透にもその辺りの事情は知らなかった。あるいは、祖父の春之助は知っているかもしれないと透は思ったが、既に祖父はいないので、今更どうしようもなかった。

「いずれにせよ、滋丘家は巨人を監視するようになった。そして数十年前に、春之助さんはこの地の霊脈の微妙な乱れを観測した。それが、休火山であった巨人の目覚めの兆候であると把握するのに時間はかからなかった。それで何とかしないと、そう思って春之助さんは色々手立てを考えたわ。そんな時、彼は知り合いの魔術師からこんな事を聞かされた。『異界へ通じる門を作る事が出来る、そんな代物があるらしい』って。それを聞いた春之助さんは各地にそれを探し求め、そしてダイダロスを手に入れた。元々、異界へと通じる門というのは条件さえ満たせば何処にでも出現しうるもの。ただし、滅多に発生しないだけでなく、ほんの短期間しか現れないから、殆ど無いに等しいものなのだけれど、ダイダロスはそれを制御する事の出来るアーティファクトだった。春之助さんはそれで以て朝比奈に異界へと通じる門を作ったのよ」

「それが、タルタロス」

「ええ。タルタロスを以て目覚めかけていた巨人を異界の向こうへと押しやった。本来ならそれで事は終わる筈だったのだけど、急いで作っていた事もあったためか門は不完全で、十分に封を出来なかった。そして六年前、タルタロスが何かの拍子に開いてしまった」

「それで、どうなったんですか?」

 透は声を震わせながら言った。頭がきゅうと締め付けられている感じで、聞くのがとても辛かったが、彼女はそれでもその先を聞くのを止められなかった。

「巨人が現世に這い出てきたわ。出てきた所は市内北西部、つまり現在は火星と呼ばれている所。巨人はそこにあった町を破壊し、焼き尽くした」

「いや」

「大勢の人が亡くなった。そしてそこで、春之助さんは命を落とした」

「やっぱり、そんな馬鹿な!」

「透ちゃん」

「おかしい、矛盾してる。だって私はお爺ちゃんをこの家で看取った。私には災厄に遭ったなんて記憶はない。そんな実感が、ない」

「トオル」

「何よ、イツキ」

「何故かは分からないが、貴方からはあの時の記憶がごっそりと抜け落ちている」

「そんな筈は。だって、私は」

「記憶の改竄かいざん

「え」

「多分、記憶が改竄されているのだと思います。恐らく――」

「嘘」

 トオルは膝をつく。

「認められない。あれが夢じゃないなんて。だって、まるで空襲に遭ったみたいじゃない」

「……事実よ、透ちゃん」

「何でそう言い切れるんですか、姫子さんは、何で」

「だって、私もその災禍の中にいたもの」

 透は一瞬言葉を失った。その顔は凍り付いている。

「嘘だと思う? なら、そこのイツキ君にも聞いてみなさいな」

 透は徐にイツキの方を向いた。

「イツキ」

「透、事実です。私も、あの中にいましたから」

 透は頭を抱えて蹲る。

「トオル」

 イツキが心配そうに近寄るが、それを透は制止した。

「いいえ、大丈夫よイツキ」

 そう言いながら、透はゆっくりと立ち上がった。

「なんかね、少しは自分の知らない衝撃的な事実ってやつを覚悟してたんだけど、これは流石に、思わぬ所から頭を殴られた気分だわ。ほんと、何なんだろね」

 そう言って透は笑みを浮かべる。それから透は姫子の方を向いた。

「姫子さん。祖父は、どうやって亡くなったのですか」

「それは」

「恐らく姫子さんは知らないかと思いますので、私がお話します」

 割り込む様にイツキは言った。

「ハルノスケは、門の中へ巨人を押し込むために巨人の前に立ちはだかりました。あんなものの近くにいればそれだけで気がおかしくなってしまいそうなものなのに、彼は一歩も退かなかった。ハルノスケは、巨人の動きを縛り、その場所で門を無理やり起動させました。門はともかく、巨人の動きを止めるには途方もない程の魔力を必要です。だから、私も出来る限りのサポートを行いましたが、とても賄い切れるものでもない。だから、ハルノスケは自身の生存に必要な全てを魔力に変換して注ぎ込みました。結果として、巨人は門の向こう側へと押しやられましたが、ハルノスケは間もなく還らぬ人となりました」

「そう、だったのね」

「そしてトオル。ごめんなさい。貴方が聞いたというハルノスケの遺言ですが、貴方はハルノスケの遺言を直接聞いてはいません」

「遺言は、嘘だったって事?」

「いいえ。遺言は嘘ではありません。確かに私がハルノスケから遺言を受け取りました。それを、貴方に伝えたのです。本当は、直接聞きたかったのでしょうが」

「ううん。ありがとう、イツキ。貴方が居なければ、私はお爺ちゃんの最期の言葉を受け取る事も出来なかった」

「いえ、勿体無いお言葉です」

「でも、どうしてなんでしょうか」

 透は怪訝な顔をする。姫子は、その透の言葉に、少しだけ目を背ける。

「どうしてそうまでして門を開こうとする人達がいるのでしょうか。巨人を手懐けて世界征服でも?」

 馬鹿な事を言っていると透は分かっていたが、他に取り立てて思い付くものが無かった。

 姫子が口を開く。

「異界よ」

「異界?」

「ええ。勿論、巨人を使って世界を引っ掻き回したいっていう破滅願望の持ち主もいるのかもしれないけど、おおよそ考え付くのは異界への道を開くこと。タルタロスの門の目的は確かに異界という牢獄に厄介な者を閉じ込める事にあった。だけど、裏を返せばそれは異界への道を開くという事」

「じゃあ、異界へと赴く意味は?」

「透ちゃん。異界では非常識こそが大手を振ってまかり通る常識なのよ。彼処ではね、この世界では起こりえない奇跡が簡単に実現出来るの。まるで、アラジンの魔法のランプに出てくる魔人が起こす奇跡みたいにね。だけど、そもそも異界への門を開くなんて事自体が奇跡の代物。それこそ、神代でしか出来ないような秘術よ。だけど、それが出来るものがあると知ったら? 人間は、何かどうしようもない現実を抱えている事がある。それを覆したくって異界という一縷いちるの望みにすがるの。アーサーという魔術師もそう。法水という男も、具体的には分からないけど、何かのっぴきならないものを抱えている。私は」

 姫子は途端に俯いた。その姿勢はまるで、謝罪しているようであると透は感じた。

「タルタロスには、キュクロプスという付属物があった。これは、春之助さんが巨人を監視するために用意した、異界へのもう一つの扉。異界への干渉は限定的にしか出来ないけど、異界へのアクセスは出来る。これなら誰も傷付かない、誰も嫌な思いをしないと思った。だから、私は」

 姫子は必死に首を振った。まるで、自分が許されようと思ってしまった事を必死に否定するように。

「ごめんなさい。貴方達を裏切る様な事をしてしまった。貴方達の思いを踏みにじる様な事をしてしまった。私は吉備真人にまんまとおだてられて」

「吉備真人」

 心なしか、透はイツキが忌々しげに呟いたように感じた。

「成程。貴方は吉備真人の眼を見ましたね」

 姫子はイツキの方を見た。

「彼を、知っているの?」

「ええ、一応は。あれの眼を見てしまったのなら、普段の貴方から考えられない様な行動を取る理由も分かる。あれの眼は、人の生体活動を停めたり、幻覚を見せたりするものではありません。あれの眼は、人の気持ちを昂ぶらせてしまうのです。衝動的な行動を起こしてしまうレベルまで」

「ああ、迂闊、だったわ」

 姫子は昨日の出来事を反芻する。確かに、真人に肉薄した時に彼の眼を見てしまった。男の眼は、喜怒哀楽が入り混じった複雑な眼だった。常に喜びと怒りと哀しみと楽しさが一緒くたになった感情が籠もっている、とでも言えばいいのだろうか。そんな眼であった。

「目に見える脅威などたかが知れている。一見するとそれと分からないもの程手に負えない事はない、などと、何処かの魔女が何時いつぞや嘯いていました。奴の眼は地味な効能ですが、確実に人を破滅に導く事が出来る。それも、奴の存在を匂わせる事なく」

 その言葉で姫子は少しだけ心が軽くなった気分になったが、すぐに自己嫌悪に陥った。

 叶うなら、門を開けて奇跡を起こしたい、あの子とまた会いたいと思う気持ちがあった事には変わりはないのだ。それは真人からキュクロプスの事を告げられるよりも以前から。

「やっぱり私は最低な女ね」

 姫子は誰にも聞こえない様に、只自分に言い聞かせるためだけに呟いた。しかし、透はきりりとした表情で彼女の元へと歩いていく。

「姫子さん、自分を卑下しないで下さい」

「透ちゃん?」

「貴方の突発的な行動はその、吉備真人という人物がトリガーを引いたからです。誰の心にだって、多少倫理的でなくても、もやもやした気持ちはあると思います。確かに私はまだ小娘ですけど、人間がそんなに綺麗な生き物じゃない事くらいは知っています。貴方は、自分に対して潔癖症過ぎるんです。あまり自分を責めないで下さい。もしこれ以上自分を責めるんでしたら、私が貴方をぶちます。巫山戯るな、ってぶちますから」

「なっ」

 姫子は目を丸くした。そして、間もなく耐えきれなくなった様に笑い出した。

 透は困惑した顔で姫子を見た。

「って、これって笑うとこなんですか?」

「ごめん。ごめんなさい。何でぶつのかなって思って。よく分からなくて面白くて」

 尚も姫子は笑った。

「ほんと、極端な人」

 呆れるように透は笑った。


 透がシャワーを浴びてから居間に戻って来た時、姫子は居間でソファに座ったまま寝てしまっていた。透は姫子が使っている部屋から毛布を持って来てやり、姫子にかけてやる。透は姫子の顔を覗き込んだ。彼女はすやすやと規則正しい寝息を立てており、透き通った様な肌は相変わらずであったが、少し目に隈が出来ているようであった。

 ふと、玄関の方で音がした。

「何かしら」

 怪訝な顔をしながら透は姫子を起こさないように居間を出ると、部屋着のラフな格好のまま外に出る。

 周りを確認してみるが、特に変わった形跡はない。

「気の所為かしら」

 折角だから夜風にでも当たろうかと思った透は、不意に、木に白い物体が結び付けられている事に気が付いた。恐る恐る近付きながらそれを取ると、それは和紙であった。

 首を傾げながら透がその和紙を広げると、そこには綺麗な行書体で文字が書かれていた。

 

 あんさん達にちょっかいかけるんはこれで止めや

 せやから私の心配はせんとき

 あと、和歌やのうて堪忍な。何も思い付かんかった


 和紙の最後の方に六条院紅葉、とあった。透は眉をひそめて、改めて周りを見回したが、やはり何者の気配もなかった。

「相変わらず、何を考えてるか分からないわね」

 透は和紙を丁寧に折りたたむ。和紙からは、ほんのりと花の香りがした。生憎透は花の事が分からないので、それが何の花のものなのか分からなかったが、とても心が豊かになるような、そんな香りだと彼女は感じた。

 夜の微風が吹いてきて、透の体に当たる。

「気持ちいい」

 若干冷たくはあったが、透には却ってそれが心地よく感じられた。

 今この瞬間だけ見ると、いつもの日常そのものであった。

 町は変わりなく、いつもの日々が続いている。

「何とか戦線異常なし、と。ま、仮に私が死んでも町はいつも通りよね」

 それから、少しだけ透はため息をついた。

「思い出しちゃったな」

 透は目を閉じる。


 そうだ、あの夢は、夢なんかじゃない。

 これは、私の体験した事だ。

 きっかけは些細な事からだった。閉めていた門が不安定な兆候を示し始めた時、祖父はそれを調査するために今は火星と呼ばれている市内北西部のあの場所に行ったんだ。

 私はどうしようもない子供で、好奇心のままに祖父の後を付いて行ってしまった。

 そして、そこを吉備真人に付け込まれ、祖父に門を開けさせてしまった。

 私は幼かった。この事実を受け入れるには幼過ぎたのだ。だから、この出来事を乗り越えるには、この記憶を封印するしかなかった。

 そうでなければ、滋丘透はきっと壊れてしまってたから。

 祖父はあの災禍で死んだのだ。そして、私はそれをイツキから告げられていた。


「お母さん」

 透は少しだけ寂しそうに呟いた。

 母はもういない。母は災厄の中で自分を助けてくれた。母は私を父に託した後、祖父と共にその災厄を止めるために門へと赴き、そして、命を落とした。

 母は父に愛想を尽かして出ていっただなんて、私の嘘だ。私が私を守る為に都合良く作り上げた記憶。父は、父さんは私が作り上げた嘘を否定せず、肯定した。本当の事を思い出して私が壊れてしまわないように、母が生きているかもしれないと言う希望を持たせ、真実を隠した。たとえ、それで自分が私から謗られる事になろうとも。


「何て大馬鹿。これじゃグーで殴られたって文句言えないわ」

 分かったような口して父を罵って、それで自分の心を落ち着けて。

 透は拳を強く握り締めた。皮膚が裂けて血が出るくらいに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る