6章 偽りと真実

6章・1節

 人に話しかけるのってとても勇気のいる事なのに、

 あの時公園で、貴方は何の躊躇もなく一人ぼっちの私に話しかけてくれた。

 恥ずかしくて言わなかったんだけどね、

 私とっても嬉しかったんだよ。


       *


 夜も深くなり、明かりの付いている民家の方が少なくなって来た頃、姫子は市内北西の外れにある人気のない坂道を歩いていた。

 あの場所に行くのはもう何度目だろうか、坂道を歩きながら姫子はふと考えた。あの災厄以来、こちらに来る事はなくなってしまっていた。いや、そもそも行く必要も感じなかった。行った所で、

 考えている内に、姫子は坂道を登り切った。

 眼前に広がっていたのは、不自然にくぼんだ広大な荒れ地。まるでその一帯だけ別の惑星になってしまったかのように異様な空間が広がっていた。

 ――通称、火星と呼ばれる空き地。冬に移り変わる季節もあるかもしれないが、それにしてもそこには生命の気配を思わせるものを何一つ感じさせなかった。

「火星、か」

 姫子は抑揚の無い声で言った。乾いた風が吹き抜けていく。街路樹から落ちた枯れ葉が道路を舞い、うら寂しい音を奏でる。

「可笑しなものね。もう六年経つのに、未だに野放しのままなんて」

 その荒れ果てた土地は、小さな町が丸ごと入る区画であった。市内から少し外れているとはいえ、見晴らしも良く少し歩けばバスも通っている。住宅地としては比較的好立地の場所であった。そのため通常であれば、新築や建設中の住宅、駐車場、そしてそこの住民達の生活を支えるための医療機関や商業施設等が立ち並ぶ筈であった。

 しかし、その土地は今の今まで放置され、野ざらしの状態であった。

 かつて、奇妙な事態が起きた。

 その土地の一部は元々他の土地と同じ様に住宅が立ち並び、人が住んでいた。しかし、それが一夜にして消え失せたのだ。その土地に住んでいた者達のいくらかは行方不明のまま処理された。いくらかは行方不明になったという事は、裏を返せば行方不明にならなかった者達もいるという事になる。しかし、奇妙な事にそこから生還した者達はその中の出来事を聞かれた時、口を揃えてこう言った。

 何も覚えていない、と。

 結局、どうして町が無くなってしまったのか、中で何があったのか、その一切は不明のままになってしまった。やがて人々は最低限の後始末を付けた上で、後はもうその件について誰も触れないようになった。誰もがその事を口にするのを忌避し、周辺の住民の中には気味悪がって引っ越しをする者もいた。原因の判明しない不可解な事象の前に敢えて開発をしようと考える者もいなかったし、また、何かの祟りを恐れてか、オカルト掲示板等の類でもその話題が上る事はほとんど無かった。

 そこは一瞬にして、禁忌の土地アンタッチャブルと化してしまったのである。

 慰霊碑は建てられていない。それは具体的に犠牲者がいないためとも言われているが、一方で、もしかしたらこの神懸かり的な出来事からある日行方不明者が戻ってくるかもしれないという願望も込められているのかもしれない。

 しかし、姫子は。知ってはいたが、もしかしたら、という淡い希望が生きる糧になるのであればそれも悪い事ではないと思った。

 姫子は広大な荒れ地を沿うように歩いていき、近くの広場へと入っていく。そこには簡易の献花台が置かれていた。数える程だが、真新しい花もあった。姫子はその前に立つ。

「葉月ちゃん」

 胸に手を当て、姫子は目を閉じる。

 忘れもしない。忘れられる筈もない。

 半身の様な存在。一日たりとも忘れた事などない。

「いつか貴方は言ってたよね。私がいなくても生きていけるくらい強くなれって。だからね、私、強くなった。貴方がいなくても生きていけるくらい強くなったよ」

 その言葉に応えるかの様に風が吹く。その風は姫子の絹の様な髪の毛を揺らした。

 イツキから連絡があった時、姫子は二つ返事で了承した。その時のイツキの声は半ば諦め気味の声であったが、姫子が了承した時、驚きの声を上げていた。しかし、それは姫子にしてみれば願ってもいない事であった。それは、自分を助けてくれた滋丘春之助への恩返しでもあったし、また、朝比奈の地へ赴く事へ踏ん切りの付かなかった自分に対するきっかけになったからだ。

 姫子は目を開ける。献花台の奥には変わらぬ荒涼こうりょうたる世界が広がっている。

 呪われた土地。その一角はかつては山であり、今はその部分が抉り取られてその土色の山肌を露わにした状態であった。これはこのままなのだろうか、と姫子はふと思った。雑草の類も碌に生えないのはただ土地に栄養がないからだ。霊脈の流れは多少歪んではいるが、実生活に影響を与える様な事象は起きないレベル。人とは忘却する生き物であり、それが良くも悪くもあるが、この件に関しては未だその忘却の習慣が適用されてはいない。もしかしたら、この土地が祭り上げられる事もあるかもしれない、と姫子は考え、笑った。

「流石に馬鹿馬鹿しいわね」

「月隈姫子、か」

 はっとして姫子は後ろを振り返った。

 そこには、真人が立っていた。

「お爺ちゃん、何の用かしら」

 姫子は真人に言った。真人は人の良さそうな笑みを浮かべたまま黙っている。

「ごめんなさい、用がないなら他を当たりなさいな。それともその態度は」

 姫子はいつの間にか手にしていた刀を真人の喉元に突きつける。

「祓ってほしい、という事かしら」

 喉元に刀を突き付けられながらも、真人はその笑みを絶やさなかった。

「先祖が歩き巫女の家系だったの。怨霊か普通の人間かの区別くらいは付けられますよ」

「そう慌てるな。君にとっていい話を持ってきたのだ」

「話? 貴方の様な者から聞く事などないわ」

文乃葉月ふみのはづきにも関連する事だと言っても?」

 少しだけ静寂が流れた。吹いてくる風は相変わらず乾いている。

 姫子はゆっくりと刀を引いた。

「ひょっとして、タルタロスの事を知っているの?」

「ああ、無論だ。何故なら、私もあの災厄の中にいたからだ」

「そう、それは災難だったわね」

「そうだな。中は酷い有様だった。地獄絵図とは正にあれを指すのだろう」

「中の様子を覚えているのね」

「ああ。私が只の人間ではなかったからかもしれない」

「そう。それで、話を聞かせてもらおうかしら」

「ああ、分かった。では話して聞かせよう」

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