4章・2節

 野球部の部員である湯浅ゆあさを始めとした部員数人が暴力沙汰を起こし、野球部は停部処置になった。

 湯浅は普段爽やかであり、スッキリした人物で人柄も良く、男女問わず慕われていた。にも関わらず、その湯浅が暴力沙汰を起こした事を聞いた時、誰もが信じられないといった表情をした。

 ただ人間というのは薄情なもので、湯浅は何か裏で後ろめたい事に手を染めていたんじゃないか等、根も葉もない噂が流れてきて、土門は心底辟易した。

 どういう理由があったにしろ、湯浅が原因で野球部が停部措置になった事実には変わりはないのだが、土門としては殊更湯浅を責める気も無く、湯浅に対して怒りを感じてもいなかった。

 野球部が停部になって以降、放課後に土門がやる事となったら、専ら勉強になっていた。元々進学するつもりでもあったし、勉強は嫌いではなかったから、特に苦ではなかった。それが功を奏したのか、以前のテストでは学年上位にも入ったし、模試も志望校でB判定をもらった。

 ただ、やはり少し物足りない感じがした。フィジカル的なエネルギーを持て余しているのだと土門は次第に分かってきたが、だからといって街に出て遊ぼうという気持ちもあまり起きなかったし、そもそも遊び方というのをあまり知らなかった。今だって、偶々好きな画家の絵が市立美術館の特別展で展示されるから来ただけだ。以前、友人から少しは遊びを学んで将来恋人が出来た時の備えをしておけと言われたが、そもそも女というものが須くそんなおしゃれなデートやイケているデートを望んでいるわけではないだろう。例えば、はそんな事を志向するようなタイプには見えない。

 ああ、そういえばその頃くらいだったか、土門は空を見上げる。前々から何となく気にはなっていたのだが、時間が出来て心に余裕が出来たのか、兎にも角にも滋丘透の事をもっと知りたいと思うようになった。

「結局ぎりぎりになっちまったな」

 市立美術館を出た土門は空を見上げる。既に夕陽は西に沈もうとしており、夜の世界へと移り変わろうとしていた。さっさと帰ろうと、土門は最寄りのバス停へと足早に向かう。


 ――土門君を巻き込みたくない。これは、私の問題だから。


「何だよ、私の問題って」

 土門は呟く。だが呟いた所で、考えた所で、何も解決などしない事を少年が良く分かっていた。

「失礼、そこの少年」

 土門はゆっくりと振り返る。美術館広場の噴水の前、そこには着物に外套がいとうを纏った六、七十程の男が立っていた。黒い帽子から覗く髪は白く、杖をついているその男は、柔和な笑みを浮かべている。

「少し道を尋ねたいのだが、よろしいかな」

「ええ、構いませんが」

「おお、有難い。志賀アート美術館に行きたいのだが、ご存知かな」

「はい。ですけど、あの」

「ん、もう閉館時間ですか? 確か、十九時までやってる筈なのだが」

「いえ、少し言いにくいのですが、もうそこは廃館になってます」

「ほお、なんとそうだったのか。やれやれ、無駄足だったな」

 老人はそう言って俯く。

「あの」

「ああいや、有難う。いやガイドブックを見てもそれらしきものが無かったから実に困ってたんだ。成程、廃業していたのか。それは残念だ」

「何かすみません」

 特に自分が悪い事をしたわけじゃないのに、何故だか土門は申し訳ない気持ちになった。他所から来た人間に対して、地元の人間として申し訳ないと思ったからだろうか、土門はその奇妙な罪悪感に対してそんな事を考えた。

「君が謝る必要はないだろう。別に君のせいじゃないのだから」

「いや、確かに可笑しいですね」

 思わず土門は苦笑する。

「ところで何かお礼をしてあげたいのだが、申し訳ない。生憎これといったものを持ち合わせていなくてな」

「いいですよ別に。ただ廃館の事を教えただけですし。それじゃ」

 土門は踵を返してその場を後にしようとする。

「ああそうだ。いい事を思い付いた」

 とん、と男は杖で地面を軽く叩く。

「君、気になる娘の事を知りたくはないか」

「え」

 土門は振り返ると、老人と目が合った。

 そういえば、何処かでこの老人を見た事がある気がする。土門は記憶の糸を手繰り寄せる。確かまだ停部前の部活帰りだったか。その目を見た時、土門はふと思い出した。

「何言ってるんですか、お爺さん」

「隠さずともよい。知りたいだろう」

 滋丘透の事を。

 土門は、心臓を直接手で掴まれるような感覚を覚えた。

 乾いた風が広場を吹き渡る。土門は、老人を見たまま立ち竦む。

「何、少々占いに造詣があってな。それでどうだ。悪い話ではないだろう」

「いや、折角の申し出で申し訳ないですけど、遠慮させてもらいます」

 やっと体が硬直から脱し、土門は老人に背を向けて足早にそこを去ろうとする。

 この老人と関わるべきではない。気味が悪いし、何より自分や透の事が知られているという事がその感情に一層の拍車をかけていた。

「近い内に彼女に災難が襲いかかる。滋丘透を助けたくないかの。それなら、まあよいが」

 妄言だ。老人の呼びかけを無視して、土門はその場を後にした。

 気にする事などない。もう会う事もあるまい。そう言い聞かせていたのに、何故か老人の存在は土門の心をざわつかせた。

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