4章・3節

「残る候補地は北上山とたちばな山」

 居間のテーブルに広げられた地図を見ながら透は言った。地図は市内周辺のもので、あちこちに丸と罰点印が付けられている。

「あと一応、市役所もですね。可能性がゼロとは言い切れない」

「確かに、そうね」

 イツキの言葉に、透は頷く。タルタロスの調査は特に邪魔が入る事もなく、順調に進んでいた。アーサー一味のについては姫子の方に調査を任せているが、何処かに引き籠ってしまったのか、一向にその痕跡は発見出来なかった。

 タルタロスの調査は透とイツキによって行われていた。

「凄く個人的な我儘を言えば、先ずは市役所近辺から当たりたいわ」

 山はこれまで意図的に避けていたと言えば、透は否定出来なかった。山は単純に広いので、どの地点が門が開かれる特異点であるかを特定するのは時間がかかると考えられたからである。それならば別の調査のしやすい候補地を調査してしまいたいと今まで街にある候補地を調査してきた。

「私はどちらでも構いませんが、どうします?」

「そうね。じゃあ一旦は市役所近辺を調査してしまいましょう。山はやっぱり少し手間だろうし、それなら、後方の憂いを断ってしまいたい」

「分かりました。では、今度は市役所ですね。その後はどうしますか?」

「比較的規模が小さい橘山、そしてその後北上山と予定中。どうかしら?」

「良いかと思います。特に異論はありません」

「よし、じゃあそれで。市役所は今日中に調べてしまいましょう」

「はい」

 透は調査の準備のため、地下室のアトリエへと入っていく。

「ここも整理した方がいいかしら」

 散らかっているアトリエを前に改めて透は思った。祖父に限らないが、魔術師というのはシンプルという言葉と縁がない生き物のようで、一般的な魔術師のアトリエというのは散らかっているものだと祖父に聞いた事がある。

 しかし、透は常々これに疑問を感じていた。散らかっていると物を無くしてしまうし、目当ての物を探すのも大変だ。第一、思考が落ち着かない。

 今は昔と比べて知識が付いた。何が必要で何が必要ないものなのか、加えて、この散らかっている物達の使う頻度なども判別出来るだろう。

「よし」

 透は決心した。タルタロスの件が終わったら整理をしよう、と。

 アトリエで必要な物を取り出し、居間へと向かう。

「ねえイツキ……あれ?」

 イツキは居間にはいなかった。

「イツキ。何処にいるの?」

 念話で語りかけた。すると、『外に出てみて下さい』とだけ返答が返ってきた。

 透は首を傾げながらも言われた通りに外へと向かう。靴を履き玄関のドアを開けると、庭の中心辺りにイツキが立って空を見上げていた。

「ねえ、どうしたの?」

 透の声に、イツキはくいと顔を動かして空を指し示す。訳も分からず、透はその指し示された方向を見上げた。

「別に、何ともないようだけど」

「すみません。あれをやってみて下さい」

 そう言ってイツキは自分の目を指し示すと、「そういう事ね」と透は頷く。

「Ecce《真実を映せ》」

 透は呟いた。そうして現れ出でた光景を目の当たりにして、透は息を呑んだ。

 そこにあったのは、宙に浮かび上がった大きな魔法陣であった。

「何、あれ?」

「分かりません。私もさっき気付きましたから」

 イツキは淡々と答える。

「でも、こんな街中で堂々とあんな物を展開するなんて、まともな思考をしてると考えない方がよさそうね。って、ちょっと待って、あの方角って」

 透はぞくりとした。その方向には、いつも透が行っている場所がある。

「高校の方角ですね。どうします?」

「ちょっと待って」

 透は携帯を取り出して電話をかける。しかし、電話は一向にかからなかった。

「姫子女史に、ですか?」

「ええ。でも電池切れか、電波が届かない所だって。待ってても仕方ないから、私達だけで行きましょう。誰だか知らないけど、これ以上この街で好き勝手やらせない」

 心臓が嫌に速く鼓動している。透は立ち眩みもするような気分で家から必要そうなものウエストバッグに詰め込み、自転車に跨り、学校の方へと向かった。 


 よりにもよって、何で! 透は愛用のミニベロを走らせながら誰にともなく激昂げきこうする。そして、異変が発生している場所に近付くにつれ、その発生地が学校なのだと嫌でも思い知らされる事になった。

 イツキには先に様子を見に行かせていた。そろそろ、何か掴んでいるのではないのかと思ったが、イツキからは連絡は来ない。

 学校近くまで来た透は自転車を学校近くの公園に停め、校門へと走る。

「イツキ、聞こえる」

「ええ、すぐ側にいますので」

「え」

 透は後ろを振り返り、思い切り後ろに飛び退いた。そこにはいつの間にかイツキが立っていた。

「驚かさないで。びっくりしたじゃない」

「申し訳ありません」

「それより何か分かった」

「あまり、ですね。ただ、人除けの結界が張られてます。が、入る者は拒まず、といった具合で物理的に弾くようなものは何もありませんでした」

「罠、か」

 ひょっとすると、またあの金髪の魔術師の仕業なのかもしれない、そう透は推測した。極力目立たないように行動しているかと思ったが、方針を変えて来たのだろうか。

「入りますか? 外から確認した限りは人影はありませんでしたが」

「あまり信用ならないわね、それ。中に入ったら人外魔境、なんてありそう」

「確かに蟻地獄という可能性も否定出来ませんね」

「ま、考えたって仕方ない。入りますかって、勿論入るわ。罠なんて最初から想定出来てた。こっちだって即興だけど、出来る限りの準備はして来たの。だからイツキ、相手の鼻を明かしてやるわよ」

「ええ、無論です。それで、何処から入りますか?」

「正門から。入ったら相手の胃の中も同然だもの。忍び込む事にあまり意味があるように思えない。それに、気付かれてないかもなんて半端な期待して決断が鈍るくらいなら、最初から気付かれてる前提で動いた方がいいわ」

「分かりました。では堂々と正面から参りましょう」 

 高校の正門から二人は中へと入っていく。正面に入ると見える校庭辺りは微かな霧に包まれていた。

「まあ、思ったよりは普通ね」

 透は言った。透が確認した限りでは霧に包まれている以外は特に変わった所はなく、建物が損壊していたり何か奇妙な生き物が徘徊はいかいしている、などといった事はなかった。

「しかし静かというのも何とも奇妙ですね」

「どういう事?」

「トオル、今の所霧が出ているだけとはいえ、これは異常事態だ。だのに、誰一人として外に出ている者はおろか、窓から外を見ようとする者もいない」

「……イツキ、手分けして探しましょう。先ずは校舎の中」

 透は再び自身の内に湧き上がって来た胸騒ぎを抑えながら言った。


 校舎内へは難なく入る事が出来た。

 透とイツキは各々分担して校舎内を探し回った。職員室も、教室も、保健室も。

 しかし、そこにいるべき生徒も教職員も、誰一人として見つける事は出来なかった。

「どうなってるのよ、これ」

 が当たらなかった事に安堵しつつも、階段近くの壁に寄りかかった透は目の前の不可解な事態に思わずそうこぼした。

「これではまるで神隠しですね」

「こんな何百人も一斉に? 冗談、仮にこれやったのが神様ったって限度があるでしょう」

「しかし目の前の現象は正にそうだと語っています。いや、トオル」

 イツキは透の方を見る。

「学校といえば、何はともあれ体育館です。校舎にいないとなりますと、もしやそちらに集まっているのやもしれません」

「そうね。望み薄だけど、確認はした方がいいわね」

「私はその他の場所を回ってみます。幸い、念話テレパシーは可能なようですし、危険でしたらいつでもお呼びください」

「分かったわ」


 透は校舎の階段を降り、体育館へと駆ける。未だ気持ちが焦っている。大丈夫だ、とずっと自分に言い聞かせながら透は走った。校舎から体育館までは渡り廊下で繋がっていたが、その道中やはり誰とも出くわさなかった。

 透は体育館の入り口までやってきた。扉に付けられた窓はカーテンが降りており、中の様子を伺い知る事は出来ない。

「Ecce《真実を映せ》」

 透は唱えた。その瞳に映し出されたものは特に平常時のものと何ら変わらず、透はそのドアに何もトラップが仕掛けられていない事を確認する。

 念のため、と透は側に落ちていた手頃な石をドアノブ付近に投げてみたが、やはり当然のように石はドアにぶつかり、軽く跳ね返って地面に落ちた。

「よし」

 透はドアノブに手を掛ける。鍵はかかっていなかった。透は安堵する。もしもの時は破壊しなければいけないと思っていたがこれならその必要はないからだ。

 意を決してドアを開ける。

 質量のあるドアを開けて中を覗いた透は、その中の様子を見て落胆した。

「やっぱり何もない、わね」

 体育館の中はもぬけの殻であった。特に誰かがいた痕跡もない。

「ねえ、イツキ」

 念話テレパシーでイツキに語りかけると、『誰かいましたか』と返事が返ってきた。

「いいえ。体育館はもぬけの殻よ。そっちは」

『教職員と生徒はいませんでした』

「は?」

 は、の箇所を何故かイツキは強調した。

『失礼。今はこちらに集中したい故。一旦遮断します』

「え、ちょっと」

 透は呼びかけたがイツキからの返答はない。

「もう! ほんとにあの子って奴は!」

 透は憤慨し、体育館を後にした。


 体育館と校舎を繋げている渡り廊下から外れ、透はグラウンドの方に出た。

 グラウンドは元々それなりの広さを持っていたが、霧で奥がぼやけているせいか、実際の広さより一層その広がりを持っている様な錯覚を透に与えた。透は一応グラウンドを注意深く見回してはみたが、特にこれといったおかしな所は見られなかった。

 続いて校舎の方を見遣る。やはり、特に変化はない。

 異常事態の癖に気持ち悪い程の徹底的な平穏を感じる。異常事態なら異常事態らしく振る舞えばいいのに、一体、どういう了見なんだと透は眉をひそめる。

 透は上を見上げた。

「あれ」

 霧のせいで少しうっすらとしているが、屋上の上に誰かいる。透は目を細める。もしかして生徒かと透は思ったが、程なくそれは間違いである事に気付いた。

 透は双眼鏡を取り出してそこを見る。それは、男と女の子であった。男は二十代か、三十代くらいにみえる。ベストに紺色らしきスーツ、そしてその上に黒のコートを羽織っており、何処と無くエリートっぽい雰囲気を漂わせている。

 女の子の方は十一、二くらいに見えた。外国人なのか薄い金髪、あるいは銀髪でベレー帽の様なものを被っており、装飾の少ないシンプルなゴシック調の服を身に纏っていた。

 可笑しな組み合わせだと透は思っていたが、ふと、とあることに気が付いた。

 よく見ると男の方は以前、下校時にぶつかった男のようであった。透はあまり人の顔を覚える方ではなかったが、奇妙な本の事もあり、その男の顔の事を覚えていた。

 何故こんな所にいるのか。透は考えを巡らせる。ひょっとして、巻き込まれてしまったのだろうか。だが、それならばあの少女は一体何なのか? 何故二人は一緒にいるのか。

 その時、男が透の方を向いた。


「あの子は」

 法水京一郎のりみずきよういちろうは下でこちらを見ている女の子がいる事に気が付き、呟いた。

何時いつぞやの子ね」

 法水の呟きに答えるように、横にいた少女、クロエは言った。

「迷い込んだのかな」

「そう思う? だとしたら京一郎、貴方の眼は節穴ね」

「成程、では彼女もまた、こちら側に身を置く者というわけか」

「で、どうするの?」

「別にどうもしないさ。別に彼女に対して何かを仕掛けるのが目的ではないからね」

「そう、じゃあ無視という事ね」

「ああ。ただし、彼女が私達に危害を加えなければね」

 ふと、クロエが中庭の方を見遣る。

「どうした、クロエ」

「ごめん、京一郎。バグった」

「具体的には?」

「結界のセキュリティホールを突かれて、意図しないものが入り込んじゃった」

「そうか、困ったな。どうする?」

「即刻排除、と言いたい所だけど、もう少し様子見。まんまと引っかかった兎ちゃん達が何とかしてくれるかもしれないから」

 「あ」と思い出したようにクロエは言った。

「本当にごめんなさい、京一郎」

 「今度は何だい」と、周りの様子を眺めていた京一郎はクロエの方を振り向く。

「あいつらが開けたバグの穴を通って、関係ない子達まで入って来ちゃった」


 これ以上眺めていても仕方がないだろうと、透は双眼鏡をバッグの中に仕舞い込んだ。

 どうするか、透は考えた。あの二人の事は一旦保留にして、イツキと合流するか。それとも、このままあの二人の元へと行くか。

 しかし、透は間もなくいづれを選択するかという判断をする必要がない事を思い知らされる事になった。

 グラウンドから中庭へ行くための通りから、粉塵が舞い上がる。黙々と上がる粉塵の中から出てきたのは、

「イツキ!」

 透は叫んだ。イツキはちらと透の方を見た後、すぐさま粉塵の方へと意識を向けた。透が状況を掴めずにいると、粉塵が晴れ、中から黒い物体が現れた。

 それは、異様な姿をしていた。

 胴体から伸びた長い首の先には人間の様な口と奇妙な紋様、そして御札があちこちに貼り付けられていた。目はなく、鼻に当たる部分も存在しない。また、胴体からは細長い脚がいくつも突き出ており、その先端はいずれも人間の手の形をしている。背中に当たる部分からは蟷螂の様な鎌がいくつも生えており、それを羽の様に広げていた。

 ホラー映画、怪奇映画にでも出てくる様なそのクリーチャーは、優に体高五メートルを軽く超える巨体であった。

 怪物は背中の鎌をイツキ目掛けて振り下ろすが、イツキは持っていた短刀でそれを払う。

「トオル、離れて!」

 イツキは怪物から少しだけ距離を取りながら叫んだ。

「何なのよ、そいつ! グロテスクにも程があるでしょ」

「兎に角、何とかしなくては。トオル、くれぐれも近づかないでください」

 透は唇を噛んだ。これが自分では明らかに手に余る代物だというのは言われなくても理解出来たからだ。

「でも」

 だからといって、自分に出来る事が無いと諦めるのは早計だ。透は考えを巡らせる。

 学校の中は確かに異常事態だ。しかし、だからといってこれが自然発生しているものだとはとても考え難い。こんな醜悪な化物が現れた背景には、何かしらの意思が介在している筈だ。そう、例えば。

 透は校舎の屋上の方を見遣った。

 そこには、依然として少女と男の二人組がいた。二人はこちらを見下ろしている。

 透は彼らに直接問いただそうと走り出そうとしたが、止めた。

 駄目だ。もし仮に彼らだったとして、こんなものを呼び出せる連中に自分一人で敵うとは思えない。じゃあ自分に出来ることは? 透は再び考える。

 その時、悲鳴が聞こえた。透は咄嗟に悲鳴の聞こえた方向を向いた。

 化物のいる方向とは反対の方向、体育館の辺りに女の子が尻餅をついてその異形を見上げていた。

 そして、それを追うように男の子が走って来た。

「え、何で」

 透は思わず呟く。

 それは、土門であった。


 巨大な生き物とは別に、人型の物体が動いていた。それらはボロボロの甲冑に身を包んだ骸骨達で、刃崩れした刀や先が欠けた槍を持って土門達の方へと向かっていた。

「ええい、もう。次から次へと」

 透は考える間もなく、その間に立ち入ってウエストバッグから取り出した贋作使魔フェイクファミリヤを放つ。それらは槍となってその骸骨の兵達を串刺しにした。

「滋丘」

 後ろから土門の声が聞こえた。透は振り返らずに前を見据えている。

「すまん、助かった」

「ううん、気にしないで」

「これどうなってんだ。教室移動してたらいきなり学校がこんなんなっちまって」

「土門君。ごめん、正直私も良く分かってない」

「そう、か」

「兎に角この化物は私とイツキが何とかするから。だから土門君。その子をお願いね。事情は後で話す」

 土門は無言で頷く。

 ふいに、土門がその場に腰を抜かして座り込んでいた女の子の顔を見ると、女の子は、怯えきった表情をしてかたかたと震えている。

「大丈夫、絶対守るから」

「ち、ちが……うし、うしろ」

「うしろ?」

 怪訝な顔で土門は振り返る。うしろ、という声に反応した透も同じく振り向いた。

 しかし、既に手遅れであった。透は瞬時に理解し、贋作使魔フェイクファミリヤは取り出していた。だが、ここから投げ付けてそれに到達するには、あまりにも時間が短すぎた。

 骸骨の兵が、いつの間にか土門と女の子のすぐ真横にいて、それは刀を振り上げていた。


 どうしよう。何とかしなくちゃ、私が何とかしなくちゃ。


 ぱん、と高い音を立てて骸骨はばらばらに砕け散った。

「え?」

 透は目を見張った。

「ちゃんと周り見とかんとあかんよ、お嬢ちゃん」

 そこにいたのは、六条院紅葉であった。


「何で、貴方が」

「そらお嬢ちゃん、貴方が誰かはんに手招きされたように、私も誘われたさかい、ここにいるんや。何も不思議やないやろ」

 透は身構えるが、六条院は笑う。

「ああ、やめいや。今日はそんな気分やない」

「どういうつもり?」

「どういうつもりも何もあらへん。今はあのけったいなもん叩こうって思うてるだけや」

 六条院はイツキを襲っている醜悪なその生き物を指さして言った。

「ええやろ? あんさんかて、あれに迷惑しとるんやろし」

「……好きにしなさい」

「ええ、好きにさせてもらいます」

「紅葉、って言ったっけ」

 歩を進めようとした六条院は立ち止まる。

「何や?」

「あの、さっきはありがとう」

「ああ、どういたしまして。ま、無闇に人死ぬんはおもろないからね」

 そう言うと六条院は跳躍し、薙刀を以て自分より遥かに大きい化物へと斬り掛かった。


「下が混乱してきたわね」

「元からそのつもりだっただろう」

「そうね。あの無辜むこの学生達は予想外だったけど」

 ふと、クロエが塔屋から屋上の一角を見下ろす。

「いつからそこにいたの?」

「さっきよ、可愛らしいお嬢さん」

 そこに立っていたのは、月隈姫子であった。姫子は抜いた刀を握ったまま塔屋の上の二人を見上げた。

「このは貴方達の仕業かしら」

「ええ、そうだけど」

「そう、いい趣味してるわね。お嬢さん」

 姫子は下を見下ろしながら言うと、クロエは眉をひそめる。

「止めて頂戴。私にあんなグロテスクを愛でる趣味なんかないわよ」

「じゃあ誰の仕業なのかしら」

「さあね、大方怨霊とかの仕業でしょ。詳しくはあの不出来な式神に聞けばいいじゃない」

「口が利けなさそうだけど」

「そんな事を私に訊かれても困るわ」

「それもそうね。ではあれは一先ず置いておきましょう。それで、貴方達の目的は何?」

「調査と漁夫の利」

「調査と、漁夫の利?」

 表情を変えず、オウム返しに姫子は尋ねる。

「ええそうよ。後は自分で考えなさいな」

「そう。分かったわ」

 姫子は跳躍する。

 刹那、姫子の放ったその切っ先は法水とクロエの寸前にあった。

 しかし、姫子の握っていた刀は虚しく空を突いた。

 姫子は振り返ると、宙を跳んでいるクロエと彼女に掴まれた法水がいた。

「横着しないの。今度は助けてあげないわよ」

「それは困る。じゃあ、僕も頑張らないと」

「そうして頂戴。サポートはしてあげる」

 クロエと法水は着地する。姫子は既に刀を構えていて、着地地点目掛けて刺突を試みた。

 およそ人の身とは思えない、音速の如き速さ。生身の人間であれば、如何に達人と呼ばれる者でもそれは胸に深々と突き刺さっていたであろう。

 しかし、それは直線からほぼ直角に軌道をずらされていた。

 ずらしたのは法水が持っていた、何処からか取り出したサーベル。彼は刀を横に払う事でその刺突を防いでいた。

 姫子は即座に後ろに退いて刀を構え直した。一方の法水の方は刀を左手に握ったままではあったが特に構える姿勢も見せず、平常時と同じ様にそこに立っていた。

「私はここの維持と探査に忙しいから、自分で何とかなさいな」

 クロエは法水に告げた。

「本当かな、それ」

「あら、サポートは必要ないかしら。そのむすめを何とか出来るなら別にいいけど」

「ごめんよ、さっきのは冗談だ。サポートは切らないでくれ」

「反省したならよろしい。京一郎、そんな貴方に少しだけアドバイス。そいつは神憑き。加護は単純に身体の増強、平たく言えばドーピング、でも規格外。仮にドーピングが許される世の中になっても許されないレベルのドーピング」

「成程ね。神様ってのはつくづく凄いね」

「そうよ、凄いのよ。だから私の事ももっと崇めなさい」

「これが終わったらね」

 姫子から目を離さずに、法水は隣の少女に微笑む。

「どうしたんだい? さっきから構えたまま動かないみたいだけど、様子見かい?」

 法水の問いに、しかし姫子は答えない。

 少しの間、時が流れた。下から微かに争いの音が環境音となって届く以外には何も音がなかった。動きがないのに業を煮やしたのか、クロエがふわりと跳躍し、緩やかな放物線を描いて塔屋へと降り立った。

 それが事実上の膠着状態に陥っていた二人への合図となった。お互いに踏み出し、刀身同士が互いに火花を散らす。それまでとはまるで打って変わって、屋上は静音というものを許さないかの如き剣戟が響き合う演舞台となった。

 クロエはその様子を少し眺めた後、興味が無い様に手元に浮いた本へと意識を移した。


 イツキは石ころを拾い、手に魔力を込めコインを投げ付ける要領で化物の体にそれを何度も打ち込んだ。それに当たった部分はその度に弾け飛ぶが、間もなく再生しては何度もイツキに鎌を振り下ろし、口から毒の様な物を吐き、そして手の形をした足でイツキを叩きつけようとした。

「慣れないね、こういう手合は」

 イツキは引っ切り無しに繰り出される攻撃を躱しながらぽつりとこぼした。

 ふいに、視界の端に火炎が巻き起こる。イツキが見やると、そこにいたのは六条院であった。六条院はイツキの方を向いて何かを言っていた。イツキはその唇の動きを凝視する。

 ――ちょっとだけこれの動き止めてくれへんか?

 イツキは六条院がいる事への疑問を一旦脇に置き、六条院に分かる様に大きく頷いた。

 六条院は化物から距離を置き、薙刀を縦に持ったまま、目を閉じて瞑想を始めた。

 無防備な六条院から気を逸らすため、イツキは先程にも増して攻撃の手数を増やす。

「だいじょ、ぶ、よね?」

 女生徒が恐る恐る、唇を震わせながら言った。まだ顔に怯えの色はあるが、先程と比べてだいぶ落ち着いていた。

「ええ、大丈夫。必ず、ここから助け出してみせるから」

 透も不安だったが、女生徒を不安がらせないよう、はっきりとした口調で告げた。

「土門君は、ってか今更だけど落ち着いてるね」

「そうでもない。何とか冷静そうに装ってるだけだ」

 それでも並の胆力ではないだろうと透は思った。

「それにしても」 

 暑い。透はふと上を見上げて、一瞬時が止まってしまったかの様に唖然あぜんとする。

 グラウンドの上空を黄金色に輝く花吹雪か、あるいは葉吹雪が楽しそうに舞っていた。そしてそれが、いつの間にか宙に大きく飛び上がった六条院の薙刀を発生源としている事を透は間もなく理解した。

 六条院は下へと向かって加速を続け、その薙刀を化物の脳天と思しき箇所へと振るった。

 突如、化物の頭を中心として大きな爆風が巻き起こった。校舎の窓は瞬く間に割れてしまい、透もその風圧に耐えきれずに転がってしまった。

 体勢を立て直し、土門と女性徒を見る。二人はしゃがんでいたためか無事であった。

「もう、少しは遠慮しなさいよ」

 そう透は愚痴ぐちりながらその化物の方を向いた。ぐったりと項垂れた化物の頭にいた六条院は、何食わぬ顔で下の化物を見下ろしている。

 イツキは、少し化物から離れた所で立っていた。依然、化物から目を離してはいないが、警戒の色を薄め、ほっと安堵あんどの息を漏らしていた。

 透もそこに尻餅をつき、軽いため息をついてからはっと気付いた。

「そうだ、屋上」

 何も解決していないという事に透は気付いて立ち上がった。屋上へと向かおうとすると、ふと誰かが中庭に消えていくのが見えた。

「制服……まだ誰かいるの?」

 保護しなければ。透は足を踏み出そうとして、ふと振り返る。土門と女生徒をこのまま放っておくわけにはいかない。

「イツキ」

 透は念話テレパシーで語りかけた。

『承知しています。ここはお任せを』

「ありがとう」

 憂いの消えた透は駆け出した。校舎の脇を過ぎ、中庭に入る。

 噴水のある中庭の中心辺り。その傍らに人影があった。

 人影は女の子であり、服装からして朝比奈高校の女生徒だという事はすぐに分かった。きょろきょろと辺りを見回しており、どちらに行くべきか迷っている風に透には映った。

「待って、そこの人!」

 透は大声で言うと、女生徒は透の方を振り向いた。その顔は怯え切っていた。無理もない、と透は思う。突如こんな訳の分からない空間の中にいたら気が気でないだろう。

「安心して」

 良かった。ほっと透が安堵の息を漏らした時だった。

 目の前の女生徒は、力なくその場に倒れ込んだ。

 透は一瞬だけ、我が目を疑った。そうして理解した。

 目の前に骸骨の武者がいる事を。

 その刀は赤い液体で濡れている。

「な、何で……」

 透はわなわなと体を震わせる。そして、抑えきれなくなった様に口を開いた。

「巫山戯るなああああ!」

 透は我を忘れて叫んでいた。自分でも驚くような手際の良さで贋作使魔フェイクファミリヤを投擲する。

 それは再び刀を振り上げようとした骸骨を粉々に砕いた。

 透は全身が汗でびっしょりになっているのも構わず横向きに倒れている女生徒の元へと向かう。女生徒は右胸の辺りを刺されているらしく、その部分から血が静かに流れていた。

「しっかりして! ねえ!」

 透が女生徒に呼びかけると、女生徒は呻きを上げる。しかし、返事が返ってこない事からどうやら気絶しているらしい事が分かった。

 ふいに女生徒は横向きから仰向けへと体勢を変える。そして、さっきまで隠れていた顔が明らかになった。

「里中、さん……」

 透は思わず呟いた。それは透の知っている同級生だった。透は少しの間固まってしまっていたが、間もなく我に返って自分の上着に手をかける。

「何とかしないと」

 透は急いで自分の上着を脱いで、里中の体に巻いて止血を行う。続いて、透は刺傷部位に手を翳す。すると、透の掌から青緑色の淡い光が漏れ出した。魔力を注ぎ込む事によって細胞の活動を活性化させ、傷口を塞ぐのを目的とした治癒法。気休め程度にしかならないが、やらないよりはましだと透は魔力を注ぎ続ける

 一旦の応急措置を終え、透は少しだけ深呼吸をする。

 落ち着け。これをすぐに解決して、救急車を呼べば何てことはない筈だ。彼女は助かる。

 少しだけ安心した後、透は項垂れる。

 巻き込んでしまった。その事実は透の心に重くのしかかった。

「やめてよ。何で関係ない子がこんな仕打ち受けないといけないのよ」

「怪我をしたのね、その子」

 声がした。そこに立っていたのは屋上にいた二人組、法水京一郎とクロエであった。

「何なんですか、貴方達は」

 声を震わせながら、詰問するように透は言った。

「これは何ですか? 何でこんな事するんですか? 何が目的なんですか?」

 透は問いを投げる。しかし法水は沈黙し、クロエもそれに合わせるかのように沈黙した。

「答えてください!」

「……そういえば、君とは以前会ったことがあったね」

「そんな事どうでもいいです、答えになってない!」

「じき、異界化も解ける。その子は救急車を呼んでやりなさい。そうすれば助かる」

 救急車を呼べだなんて、そんな事は言われなくても分かっている。透はきっと法水を睨み付ける。そうじゃない、そんな事を聞きたいんじゃない。

 透は唇を噛み締め、ウエストバッグから小さな槍を取り出す。それは、瞬く間に透の身長程の槍となり、周囲の空気の流れを乱し始めた。

 偽神の法で生成したもの《フェイクファミリヤ》ではない。昔祖父が北欧に伝わる神話の槍をベースにして作成したマジックアイテム。槍には、投擲すれば狙いを定めた相手に必ず当たるという呪詛が付されている。レプリカとはいえ、一度投げれば今ある透の魔力を全て吸ってしまうだろうし、下手をすれば命まで落としかねない。だが投げれば最後、その槍は必殺の一撃となって彼らを襲う。透は抑えきれなくなった動揺と怒りと困惑とがごちゃ混ぜになり、一か八かの時に持ってきていたこの槍を今まさに放とうとしていた。

 トオル、大丈夫ですか? そちらの様子は?

 声が聞こえた。それは、イツキからのものであった。

 透ははっとした。そして、すんでのところでその投擲を止める。

「……ええ、大丈夫よ」

 透は目の前の二人を見た。少女の方は男の前に立ち、防御する素振りを見せていたが、透から敵意が消えた事を察すると、その警戒の姿勢を解いていた。

「今回はここまでよ、滋丘透」

 クロエは言った。自分の事を知っているそのゴシックの少女に驚いたが、すぐに滋丘家について知っている者なのだろうと予測が付いた。

「最後に自己紹介だけ。私の名前はクロエ。それでこの男の名前は法水京一郎。また逢いましょう。ご機嫌よう」

 クロエは言って、体の前に浮かせていた本に手を翳した時だった。

 ――それは、一瞬の出来事だった。

 校舎の屋上の辺りから、瞬く間も許さない程のスピードでこちらに突っ込んでくる人影があった。それは、紛うこと無く京一郎とクロエを狙った一閃。

 躱す暇などない。本来であれば、そこにあるのは無残に転がる二人の骸の筈であった。しかし彼らが地面に倒れ伏す事はなく、裂いたのは只そこに漂っていた大気だけであった。

 二人は、まるで最初からそこにいなかったかの様にその痕跡を消していた。

「姫子、さん」

 透は呟く様に言った。

 そこに立っていたのは、姫子であった。彼女は息を切らしており、その場に座り込む。

 駆け寄ろうとする透を姫子は止めた。

「だ、大丈夫。ちょっと疲れただけだから」

「でも」

「それより、そっちの子の介抱を」

「は、はい」

 透は里中を抱き起こして、口元に耳を近付ける。

 まだ少し息は荒いが、ある程度は落ち着いて来ているのが分かった。

 ふと、ゆっくりと霧が晴れていくのが分かった。それに合わせるように、微かに人の声が聞こえ始め、やがて、空は晴れ上がった。

「異界化が解けたみたい。ごめんなさい、私は一旦退散するわ」

 そう言って、姫子は人目を気にしながら、その場を後にした。

 その後、里中の事はすぐに駆けつけた土門が救急車への連絡等の後始末をしてくれた。お陰で、透は無断欠勤中の学校にいる事が発覚せずに済んだ。六条院はいつの間にかいなくなっていた。用が済んだから、何処かに帰ったのだろうと透は思った。

 疲れ果てていた透はイツキと合流し、帰途につきながらずっと考え事をしていた。

 ――多分、自分が後先考えずにあのまま彼らに宣戦布告していたら、間違いなくやられたであろう。透は唇を噛み締める。悔しいが、自分はその程度の存在なのだ。

 巻き込んでしまった。自分が半端者のせいで、何の関係もない土門達を巻き込み、そして里中に重症を負わせてしまった。

 でも。だけど、今更辞められはしない。

 タルタロスは、自分が何とかしなければ。

「やらないと。私が」

 透は、イツキにも聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

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