3章・5節

 姫子とはお互いに情報のやり取りを行いつつ、今後の方針についての話をした。即ち、タルタロスの調査と平行して、タルタロスを狙う金髪の男を倒すという方針。それで透への危険が減るならと姫子もそれに同意した。

 イツキはいつ探っていたのか、既に男の居場所を把握しており、それを二人に告げた。そして、結局動くなら早目にと、その日の夜に決行する事になった。

 月が横に細くたなびく雲に隠れる。月の隠された地上はしかし、夜の住人が跋扈するのを良しとしない街灯の灯りによってその明るさを保たれていた。

「自分から提案しておいて何なのですが、本当によろしいのですか?」

 北から南へと縦断している市のメインストリート、そこから少し脇へ逸れた道を歩いていたイツキは透に言った。

「何を今更。前々から準備してた分も含めて、もう十分過ぎるくらいの準備が出来てしまってるわ。でも一応答えておきましょう。無論よ、今更辞める気はないわ」

「承知しました。それでは、私も全力を尽くすといたしましょう」

「あら、今まで全力じゃなかった?」

「いえいえ、無論今までも全力でしたとも。透、一応確認ですが、姫子女史は別行動でよろしかったのですか?」

「ええ。ぞろぞろ行動するより、そっちの方が都合が良い。逃げられた事も考えてね。それとも、貴方じゃあの魔術師に敵わない?」

「まさか。相手は確かに腕はいいが、所詮は魔術師です。どうとでも出来ましょう。それより心配なのは、もっと面倒な相手が出てきてしまった場合です」

「それなら大丈夫。最初に伝えたと思うけど、姫子さんとは一定の距離以上離れないようにこまめに連絡を取りながらやっていくから。それに、私は只のんびりしてたわけじゃないわ。。イツキ、むしろ心配なのは、この夜襲の成果が上がらない事じゃないかしら」

「そうですね」

 透の自信に溢れた笑みに、イツキは笑い返した。


 かつて南福寺なんぷくじと呼ばれていた禅宗系の廃寺が市内の外れにある。山を背後にしたその寺は以前――当然の事だが――住職がいた。しかしある時にその住職が失踪を遂げて以来そこは廃寺となっていた。当初は檀家の人が手入れをしていたが、跡を継ぐ僧侶もおらずその内檀家の人も別の寺に鞍替えするなどで寄り付かなくなり、遂に廃寺となってしまった。

「ビンゴ。姫子さんもだけどイツキ、貴方凄いわね」

 少し高台にある公園から、双眼鏡で廃寺の敷地を伺っていた透は言った。境内の中に金髪の男がやってきて建物の中に入ろうとしている。

「お褒めに与り光栄です。というより、私も内心驚いております。まさか、こんな曰く付きの廃寺を根城にするとは」

「元檀家さんには悪いけど、気味が悪くて誰も近付かないから丁度いいんでしょうね。それにね、形骸化しかけているとはいえ、この朝比奈の良い土地は殆ど滋丘の管理下なの。だから、こういう所しか無かったんでしょうね」

「滋丘家も大概ですね。昔は時の藩主すらも気を遣っていたとか」

「それは昔の話よ。今となっては、世間に対して何ら影響力を持ち得ないわ」

「話が脱線してしまいましたね。それで、どうしますか?」

「うん。これから姫子さんを呼んで、って言いたい所だけど、さっきから電話掛けても繋がらないのよね」

「お風呂でも入っているのかもしれませんね。いやいや、想像すると鼻血が」

「イツキ、今度お仕置きね」

「いえ、申し訳ありません。冗談はさておき、すぐには出れない事情があるのかと。予定変更しますか?」

「いいえ、姫子さんの事は気になるけど、変わらず予定通りに行く」

 透はきっぱりとした口調で言った。市街地での戦いは避けたいから、やるならば今が透にとっての絶好のチャンスだった。金髪の魔術師はいつここを出るかも分からないのだから、姫子を待つ事でタイミングを逃してしまう事を透は何としても避けたかった。

「分かりました。では、先行します」

「ええ。頼りにしてるわ」


 人の手入れのすっかり無くなってしまった寺は所々にその廃墟の兆しを見せ始め、板張りの建物の床はその事を如実に示す様に埃にまみれていた。

 日本のしきたりを知らないのか、あるいはその廃寺の惨状にとてもマナーを守る気が起きないのか、アーサーは土足のままの建物の縁側に佇んでいた。

「春の季節にでも来れば、ここも綺麗だったのだろうがな」

 一糸纏わぬ裸同然の桜の木を見て、アーサーは呟いた。そのまま境内へと降りていく。

「さて、そろそろ来る頃合いだが」

 境内の中心辺りまで来てアーサーがそう呟いた時、鐘の音が鳴った。鐘の音はしかし、寺にある重い音ではなく、教会で聞くような高い音であった。

 まるで目当ての獲物が罠にでもかかったかのように、彼は微かに口角を上げてその静かな喜びを表現する。この鐘の音はアーサーが廃寺に仕掛けていた魔術で、この寺に侵入者が現れた時に自動的に鳴る一種の警報装置であった。

「ようこそ。こそこそと調べ回っていたのだから、その内仕掛けて来ると思っていたよ」

 アーサーは背後の境内に向かって話しかけた。

 そこには、イツキが立っていた。

「どうも。既に想定済でしたか」

「あのお嬢さんは兎も角、君の方は私を野放しにする程、優しくはないだろうと思ったからね。しかし何者だ」

「無論只の使い魔ですよ」

「だが君には元があるだろう。その由来を是非とも教えていただきたいものだがね」

「貴方の真名を包み隠さずに教えてくれたら、考えてやってもいいが」

「それは出来ない。だが、アーサー、とだけ名乗っておこう。君の名は?」

「イツキと言う」

「ふむ、イツキ、か。いや、実に日本的な名だな」

「はあ、そうですか。そいうえばこちらも一つ尋ねておきたい事がありました」

「何かな。答えられる範囲でなら」

「朝比奈高校の烏は貴方の仕業かな?」

 それを聞いたアーサーは首を傾げる。

「烏? 何の事だ」 

「成程、何も知らないのか。それが聞ければ十分だ――」

 イツキは一歩を踏み出した。

 来るか、アーサーは咄嗟に手を突き出す。既に目前には短刀が振り下ろされていた。一歩でも遅れていたらここに無残な骸を晒していただろう。

 だが、防げる。アーサーは薄っすらと笑みを浮かべる。

 ふと、背後で音がした。

 微かに聞こえた吐息。それは恐らく女のものであった。

 何かが空を裂く音がした。それが自分に対して投擲されたものだと、アーサーは瞬時に悟った。

 しかし、アーサーがその顔に浮かべた笑みを消す事はなかった。

「出番だ」

 アーサーの手から赤黒い光弾のようなものが発され、イツキはその衝撃で後ろに後退する。そして、は、その背中に達する前に弾かれて境内の砂利に突き刺さった。

 アーサーはイツキに注意を払いつつ首を後ろに傾ける。そこには、透が立っていた。

「ちっ」

 透は舌打ちする。どうやら自らが放った得物が防がれた原因を探っているらしい。アーサーは口を開く。

「もう姿を隠さなくていい、出てこい」

 アーサーが言った。すると、彼の傍からまるで浮き出てくるようにその姿が現れた。

 その中年くらいの男は、まるで幕末時代劇にでも出てくる様な侍の姿をしていた。右手に握られた刀、インバネスコートを上に羽織り、紺の着物に身を包んでいる。その男の髪は総髪だが癖毛のためか所々パーマがかかったようになっていた。髭は刈り揃えられていたが、その飄々とした顔はどことなくくたびれた印象を与えた。

「いいんですかい?」

「無論だ。第一、姿を見せなければ攻撃も出来ない。先程は、一瞬だけ姿を出してみせたのだ。だから攻撃を弾けた」

「ほーそうだったのか。これはまた一つ賢くなってしまった」

 そう言って、男は笑った。

「誰」

 右手はウエストバッグの中に手を入れ、男を睨みながら透は言った。

「俺の名前か? 俺は竹蔵権之助だけくらごんのすけという」

「軽々しく名を明かすな」

 アーサーが釘を差すが、竹蔵と名乗った男はそれに笑って答える。

「そう言わないで頂戴よ旦那。武芸者ってのは何者だと訊かれたら名乗るのが礼儀みたいなんだからさ」

「武士道か。騎士と同じで、厄介な人種だ」

「ごもっとも。しかしこれは辞められんよ。礼儀を尽くすのは心地がいいからね。さて」

 竹蔵は透を見る。透は思わず怯み、一歩後ろに後退る。

「私はこっちの嬢ちゃんを相手にすればいいのかな」

「ああ、生け捕りにしろ」

「相承った」

 竹蔵は透に向かって歩き出した。

「やば」

 透は踵を返して脇目も振らずに走り出した。それを追うように、竹蔵も走り出す。

「ちっ」

 イツキは二人を追いかけようと、地面を蹴った。不敵に笑うアーサーを軽々と越え、門を越えようとした時であった。

 門の上に人影がぬっと現れ、イツキに斬り掛かった。

 イツキはその衝撃で境内に吹き飛ばされる。彼の落ちた所の砂利が空高く舞い上がり、そしてぱらぱらと音を立てながら落ちていった。

「堪忍なー。坊や」

 おっとりした声がした。その声の主をイツキは見つめる。

 そこにいたのは六条院紅葉であった。彼女は以前のように薄い笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。

「私倒さなんと、あの娘の元へは行けまへんえ」

 イツキは顔をしかめ、忌々しいといった目で六条院をにらみ付けた。

「坊や、ちょっと怖いよ。でも、坊やの必死そうな顔も悪くないわな」

 六条院は薙刀を構える。

 イツキは歯軋りする。六条院を振り切れたとしても、すぐに追い付かれて妨害をされるだろう。

「なら、信じるしかない」

 イツキは深呼吸をして、手に持っていた短刀を六条院へと突き付けた。

「ふふ、やる気なったか」

「来なさい」

「言われずとも」

 六条院は思い切り横に跳躍して透に打ちかかった。


 透は力の限りかつ迅速に息を吸い、そして吐き出す。最早呼吸法がどうかなどと意識していられないほど、後ろから迫り来る脅威から追い付かれないように必死であった。

 スピードを落とさないように道の曲がり角をコンクリート塀を蹴って曲がり、目的の場所へとひた走る。我ながら恐ろしい事をしていると透は思う。多分、今自分は自己最高記録を更新しているのではないだろうか。

 竹蔵は、時代劇の侍などのイメージからは想像出来ない程の身軽さで走ってくる。その追い縋ってくる脅威から、透はいつぞや見た侍の漫画を思わず連想してしまった。

 角を曲がった。視界の中に、目当ての鳥居が見える。

 よし、透は全速力で駆ける。あの中に入りさえすれば――。

 背後に、身の毛がよだつ程の殺気を感じた。思わず透は振り向く。

 そこには、刀を振り上げて今にも斬り掛かろうとする竹蔵がいた。

 やば、透は咄嗟に足に全ての魔力を集中させる。

 数えて十分の一秒もなかったであろう。透と竹倉の間にあった筈の距離はあっという間に詰められ、透の頭上には振り下ろされる刀があった。

「Flieg《翔べ》!」

 透は汗を振り乱しながら間一髪でその凶刃を躱し、大きく跳躍した。

 風の抵抗を受けながら、彼女は鳥居を飛び越え、その先にある参道に着地する。そのまま彼女は脇目も振らず境内に向けて再び走り出す。

「やれやれ、やってくれるじゃねえの」

 鳥居をくぐりながらそう漏らした竹蔵はしかし、その顔に笑みを浮かべていた。


 透は境内の中心に立ち、その入口の方をじっと見据えていた。時折風が境内を吹き抜け、さああ、と寂しい木々の音が辺りを満たしていく。

 やがて、そこに刀を肩に担いだ竹蔵が石段を登ってきた。

「そこで立ち止まってるって事は、もう鬼ごっこは止めというわけか」

 その陽気な声に透は答えず、ずっとその男を見据えていた。

「そんで? わざわざここで止まるって事は、何か俺を倒す秘策でもあるんだろう」

 辺りを見回しながらも竹蔵は呑気そうに言った。

「ええ、勿論よ。侍さん」

 そう言いながら、透は自分の心を必死に落ち着かせていた。大丈夫、この中でなら私の方が上。落ち着いてやれば勝てる。

 なのにどうして。

 こんなにも足がすくむのだろう。

「その前に一つ、聞いておきたい事があるわ」

「何かな」

「貴方、

 風につられて木々がせわしく声を上げる。

 竹蔵はその場に佇んだまま、相変わらず人を食ったような笑みを浮かべていた。

「まさしく、俺は生きた人間じゃねえ。あんま自分で言いたくねえが、死人って奴だ」

「やっぱり」

 死霊魔術ネクロマンシー。死体や死霊を利用して様々な神秘を起こす魔術。

「元の肉体なんぞとうの昔に朽ち果ててる。今ここにあるのはあの異人さんがゴーレム、だったかホムンクルス、だったかの技術を元に練り上げた屍肉さ。つまり、かつて存在したであろうという武芸者を模しただけの只のゾンビ、ってわけだ」

「そんな事も出来るのね、あの男」

 しかし、何故侍なのか。その透の疑問に気付いたのか、「ああ」竹蔵は口を開く。

「何で俺みたいのをやっこさんが喚び出したのか、って事かい。そりゃあね、俺も興味があってあの御仁に聞いてみたんだが、何でもここの土で作るものだからここに縁のある者が望ましいんだと。で、その適正者である俺が喚ばれてしまったわけだ」

「へえ、そういう事」

「質問は以上か? じゃああんまり焦らさずに、そろそろお披露目といこうじゃないの」

「ええ、もう十分。貴方が死人と分かった以上、何の遠慮もする必要なんかないわ。すぐに土に還してあげるから、かかって来なさい」

「そうか。では、参る」

 男が刀を下に構えたまま徐々に距離を詰めていく。

 ゆらゆらと、何処からか飛んできた葉が刀の先端に当たって二つに分かれた。その時だった。

 刀が一閃した。音が後から付いてくるかの如き速さの凶刃を、しかし、透は見事に避けきってみせた。

 竹蔵は目を見開く。恐らく、逃げないのだから避ける自身と根拠があるのではあろうと踏んではいたのだが、実際にその様を目の当たりにして驚きを隠さずにはいられなかった。

「よし、大丈夫だ、いける」

 透は自分でも驚くように呟いた。

 彼女はこのうら寂れた神社にを築いていた。テリトリーというのは、魔術師や陰陽家が築く陣地のようなもので、その空間内の霊脈を自分の都合のいいように作り変える事である。規模によるがその恩恵は決して小さいものではなく、例えば本来自分が持ちうる魔力の倍以上の力を扱えたり、自分に備わってはいない不可思議な能力を一時的に再現出来るようになる。透の場合、それは身体能力の大幅な向上として利用されていた。

 竹蔵は口角を上げ、刀を構え直した。

 刺突が繰り出される。透と竹蔵との間には五、六メートル程の間隔があったが、そんな距離などまるでさして問題などないとでも言うように一瞬でその距離を詰められた。

 透には、しかし、その動きの軌道がしっかりと把握出来ていた。その動きに対処するまでに考え、そして実行するまでの猶予があった。

 透は跳躍して避ける。それと同時にウエストバッグから取り出した、シンプルな槍を象った紙、つまり贋作使魔フェイクファミリヤを数枚竹蔵に投げ付ける。それは、各々不規則な曲線を描きながら白い光線となって竹蔵を襲う。

「へっ」

 笑いながら、竹蔵はそれらを難なく叩き落とし、再び透へと襲いかかる。

 透は竹蔵の刀を避け続け、時に魔力を纏った拳で弾きながら何度も攻撃を試みたが、竹蔵も同様、それらを全て防いでみせた。

 竹蔵の刀が下から振り上げられる。透は、その刀が来る方向とは逆方向に避け、丸い玉を竹蔵に投げ付けた。それは、竹蔵の目の前で弾け、小さな飛沫が生じた。

「うえ」

 竹蔵は思わず顔をしかめ、一瞬だけ目を瞑った。辺りが激臭にまみれたからであった。鼻を覆いたくなるほどの刺激臭だったが、尚も竹蔵の両手は刀にあり、その領域に立ち入らんとする狼藉者を斬る体勢だけは崩さなかった。

「やってくれるじゃないか。流石にこれは面食らった」

「効いたならよかった」

 にい、と笑う透。無論、その激臭はあくまで相手を怯ませるだけのものだ。本命はもっと別の所にある。

 竹蔵の上空から、音もなく襲いかかるものがあった。それは、龍であった。人を軽々と呑み込める程の大きな龍もどきが、竹蔵目掛けて、突進していた。

 喰らえ。私の数日分の青春を喰ったとっておき。透は心の中で叫ぶ。

「おお、成程」

 そう、竹蔵は呟き、腰を低くして上に向けて刀を振るった。

 龍の体は、突進していくそばからその刀の餌食となり、やがて、顎から上と下とで真っ二つに別れて境内に倒れ伏した。

「嘘」

 透は呆然として呟いた。龍の体は紙が風で舞上がる様に散っていき、後には、怯えた様子の小さな白蛇だけが残された。 

 透はこの数日、今いる五方いつも神社に陣を敷く傍ら、霊獣の性質を帯びつつある白蛇を捕まえ、時間をかけて龍の式神を組み込んだ。白蛇だったのは、性質的に龍に近かったからだ。傑作とは言えないまでも、今の自分の能力を最大限に発揮した渾身の式神であった。その筈であったのに、たったの一撃で斬り伏せられてしまった。

 相手はあくまで剣の達人。刀の腕は化物でも、化生の類への対処法など知らない筈。

「たかが剣客、とか思ったかい」

 図星を突かれ、透は唇を歪ませる。

「剣客商売なんて碌でもない営みなもんだから、さ。そういう手合にも因縁付けられたりすることがあったんだよ。んで、だ、それで死ぬほど痛い目あったから、ちゃんとそういう知識も学習したわけだ俺は」

「何それ、最悪」

「残念だったな、嬢ちゃん。そんなわけで俺にはそんな珍奇な飛び道具は効きゃしないぜ」

 進退窮まったか。透は自分の胸の鼓動が張り裂けんほどに鼓動しているのを感じる。目眩めまいがする。いけない、相手は目の前にいるのに。しっかりしろ、しっかりしろ。

「やれやれ」

 途端に張り詰めていた空気が和らいだ。

 眼の前の竹蔵は、刀を構えるのを止め、まるでくつろいでいるかのようにその場に仁王立ちする。

「嬢ちゃん、とりあえず深呼吸しろ。ゆっくり、ゆっくりでいい」

「な、何で」

 何で相手にアドバイスするのか。透にはその意図が全く理解出来なかった。

「何でって、当たり前だ。そんな生まれたての仔馬みてえにビクついてる奴を斬っても、仕方ないだろ。そんなことしたら俺の面目丸潰れだ。何とか郷土史に残るくらいには後世に名が残ってるってのによ、そんなこと出来るか」

「意味が分からない」

「まあいいだろ細かい事は。ほら、まだ何か手があるんだろう。それまで待ってやるぜ」

 竹蔵はそう言って呑気そうに欠伸あくびをする。まるで敵意というものが感じられないその態度に、透は思わず全身の力が抜けてしまう。

「はあ。何か馬鹿みたい」

 透は大きく深呼吸をする。さっきまでの反動からか、やけに夜気が美味しく感じられた。

「お陰様で落ち着いた。でも侍さん。私に機会をくれた事を後で後悔しないでね」

「ほお、そりゃ楽しみだなあ」

 透は考えた。目の前の剣の達人を倒す方法を。そして、様々なシミュレーションをした結果、透はその結論に至った。

 ああ、あの間合いに入るしかないな。

「どうかしてる」

 透は小さく呟いて笑った。気が違えている。殆ど素人同然の小娘が剣豪の懐に入るなんて。何て愚かしいことだろう。落語の中にだってこんな愚かな人間は登場しないだろうに。

 だが、馬鹿げているがこれがここで考えられる一番の最良な方法だと透は理解していた。

 何故なら、ここは只一つその馬鹿げた話を覆すための装置があるから。

 竹蔵が徐に刺突の体勢をとる。

「そろそろいいかな。流石にずっとは待ってやれん」

 透は少しだけ腰を引き、前屈みの姿勢を取る。

「勿論。いつでも来なさい」

 少しの間だけ間があった。

 それは、逆袈裟に斬り上げられた。峰打ち、しかしまともに当たれば只では済まない、神速の刃。

 来た、透は脇辺りに食い込みかけた刀身の腹辺りを左手でがっしりと掴んだ。

 竹蔵はほんの僅かな一瞬だけたじろぐ、その隙を透は見逃さなかった。

 声を力の限り張り上げ、魔力を込めた右手を相手の腹に叩き込む。

「ぐっ」

 竹蔵は思わず呻く。そして、まるでそれが合図であるかの様に、彼の体は弾丸の如く後方へと吹き飛び、神社を囲っていた透塀へと突っ込んだ。

 彼の突っ込んだ周辺の透塀は派手な土埃を上げ、粉々に砕け落ちる。

「はあ、はあ」

 透は右手で脇を抑えながら、前方の竹蔵が突っ込んだ辺りを見据える。

 竹蔵は、よろめきながらもゆっくりと立ち上がった。

「なんっ、ていう奴だ。刀を自分の手で掴むなんざ、止められる確信があってもな、普通出来ねえぜ」

 竹蔵は言い終わると同時に、口を抑え、そして血を吐いた。

「あーあ。参ったねこりゃ」

「どう、恐れいった」

「おうよ。まさかこんな時代にこんな手練てだれに会えるとは思ってもみなかった。しかも女の子ときた。だが、これしきのことで――」

「これしきのことで、何かしら」

 その時ふわりと、軽やかにその場に降りてきた人影があった。白い絹のような髪をなびかせながら、彼女は透の方を振り向く。

「ごめんなさい。邪魔が入って遅れてしまったわ。でももう大丈夫よ。後は私が片をつけるから」

 それは、姫子であった。彼女は徐に刀を構えた。

「ほお、神降ろしの巫女、か。これはまた珍しいのを見たもんだ」

「私は坊主じゃないけれど、成仏したいのなら手を貸してあげるわよ」

「おっと、冗談じゃない。まだやりたいことが一杯ある。セカンドライフって言うの? 兎に角第二の人生を謳歌したいんでね。今回はここらでお暇させていただくよ」

「逃がすとでも?」

 姫子は踏み込む。しかし、竹蔵の一歩手前で足を後ろに退いた。

「助かる。もしそのまま後一歩踏み込んでいたら、刺し違えるしかなかった」

 姫子は刀を下段に構えたまま、黙って竹蔵を見続ける。竹蔵の方も、お返しとばかりに姫子の方を見つめる。

「……君子蘭、いや、夜香蘭、か」

「何、何の事?」

「まあまた会うだろう。そん時は改めてよろしく頼むよ。別嬪べっぴんさん」

 そう言い残して、男は穴の空いた透塀をくぐって行ってしまった。

 緊張の糸が一気に途切れたのか、透はその場に力なく座り込む。

「大丈夫? 透ちゃん」

「ええ、これしきの事なら問題ありません。傷も既に治りかけてますし」

「大事なくて良かったわ。それにしても凄いわね、透ちゃん」

「ありがとうございます。あの、き使うようで申し訳ないのですが」

「イツキ君の援護ね。でも透ちゃん、一人で大丈夫?」

「はい。この中なら何とでもなります。私を信じて下さい」

「そう、分かったわ」

 そう言って姫子は神社を後にした。そうして一人になった後、透は自分の掌を見つめる。

「私、やったんだ」

 ぐっと自分の掌を握り締める。一応の勝利を噛み締めながら。


 南福寺では、依然イツキと六条院が争っていた。アーサーは特に何をするでもなく、まるで自分は無関係だとでも言うようにその様子を呑気に観察している。

 イツキは六条院が薙いだ薙刀をかわし、大きく後ろに後退する。

 そうして、イツキは不敵な笑みを浮かべる。

「何? 何が可笑しいの?」

「いいえ、別に」

「ああ、ひょっとして。誰かこちらに向かって来てるんちゃいます?」

「さて、それはどうでしょうか?」

 六条院はアーサーの方を振り返る。

「アーサーさん。ここは打ち捨てましょう」

「何故ですか?」

「何故も何も、あかんからです。どうも誰かこっちに来てはるみたいやし、このままやと最後に阿呆を見るのはこっちの方やで」

「成程。はあ、では一旦退避ですな」

 そう言うと、アーサーの体は黒紫のもやに包まれていく。すかさず、イツキはそこに刺突を試みた。しかし、それは六条院に弾かれてしまう。

 そうしている内に、靄に包まれたアーサーの体はやがて完全に消えてしまった。

「怖い子。隙あらばだなんてほんまに抜け目ないなあ」

「つくづく鬱陶うっとうしい御仁だ。何故彼に協力する?」

「協力? せやなあ、別にこれといった目的もないし。まあ、おもろそうやから、や」

「彼は最後は貴方を排除するかも」

 イツキがそう言うと、六条院は可笑しそうに腹を抱えて笑う。

「そうかもしれんけど、そんなん分かっとるよ、坊や。さっき言うたやろ、おもろそうやから、って。せやからあの異人さんが腹の中で何考えてようと私にはあまり関係あらへん」

 そうやって少しの間笑った後、「ほんならね、またね」と言い残して六条院は寺の塀へと跳躍し、街の闇の中へと消えていった。

「やれやれ、面倒な事になった」

 一人残されたイツキはぽつりと呟いた。

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