3章・4節

 透は家に帰るや否や、家にいたイツキを居間に呼び出した。

「ねえ、イツキ」

「はい、何でしょうか」

「私ね、確かに学校内の調査をするように言ったわ。タルタロスの事も兼ねて、あの男が一体何をしていたのかは是非とも調べておくべきだと思ったから」

「はい。それに私も同意いたしました故、学校内の調査と相成りました」

「でもね、イツキ。目立ちなさいとは私は言ってない筈なのだけど」

「はて、何の事やら」

 イツキはバツが悪そうに目を逸らすが、それに合わせるかのように透の眉間に皺が寄る。

「しらばっくれても無駄よ。学校内でちらほら貴方の事が目撃されているの。『校庭に美少女いなかった?』『いやいやあれは美少年でしょう。ねえ透知ってる?』ですって。ええ、ええ、知ってるわよ、知っていますとも。何せですもの」

「いやあ、美少年に美少女だなんて、私も捨てたものではないですね」

「ねえイツキ。カタガミって確か、従者は主の言う事に絶対服従だったわよね?」

 透はそう言って薄っすらと笑みを浮かべる。それと反比例するかの様に、イツキは顔を引き攣らせていく。

「いえ、申し訳ございません。本来そんなつもりではなかったのですが、つい、気が緩んでしまったと言いますか」

「率直に言うと?」

「若い子と絡んでみたかったのです」

「……はあ、もういいわ。それより、今後の事を話をしましょう」


「結論から言ってしまいますと、あの学校には特に何もありませんでした。タルタロスに関しても、確証はありませんが、可能性は薄いかと」

「そう。でも、私を襲ったあの男の使い魔らしき物がちょっと前から目撃されている」

「烏、でしたか」

「そうよ。今日、確かに一匹だけ奇妙な動きをしている奴がいたわ。私を監視するためという線もあるけど、私があの男に遭う以前から目撃されてたみたいだし、その線は薄い」

「しかし、私の調査の限りは彼処に何かあるようには思えませんでしたし、あの魔術師が何かを仕掛けたという痕跡もありませんでした。他には学校史を漁ったり、ネットを覗いたり諸々してみましたが、どうもこれといった収穫はありませんでした」

 あの学校がいい土地だというのは確信を得ましたが、イツキはそんな事を付け加えた。

「じゃああの奇妙な烏は一体」

「暴論ですが、只の偶然という説もあり得るかと。あくまで可能性の話ですが」

「偶然、ね」

 透は魔術師の男と出会った夜の学校での出来事を思い出す。

 あの男は人を殺める事に何の抵抗も無い様に感じられた。偶々自分が魔術に通じる人間でかつ彼を目撃してしまったから襲ったのかもしれないが、ではもし何かの手違いで彼を見てしまった生徒が出てきてしまったらどうなるのか?

 そういう結末に行き着く可能性は十分に有り得る。

「せめて、あれが単なる偏屈烏かどうかが分かればいいのに」

「ふむ」

 イツキは少しの思案の後、口を開いた。

「トオル、貴方様の不安を解消する術がございます」

「それって」

「ええ。お察しの通り、のです」

「ねえ、イツキ」

「はい、何でしょうか」

「オブラートに包まずに言ってほしいのだけど、倒すって事はつまり」

「平たく言えば殺すという事ですね」

 殺す、という言葉に透は胸を刺されたような気がした。喩えではない、そのままの意味。

「それは、避けられない事? あの男は話が通じないのかな」

「どうでしょう。少なくとも奴は何の躊躇いもなく貴方の命を狙いました。奴は高位にある魔術師です。つまり考えなしの人間ではない筈。そんな男が、あのような短絡的な行動を取るのは余程の堅い決意があるのではないかと推測出来ます」

「そう。でも、奴の狙いはあくまでタルタロスよね。じゃあ、奴に鉢合わせしないよう気を付けてタルタロスの件を解決してしまえばいいんじゃない」

「確かに不可能ではないかと思います。しかし、やはり下策かと」

「何で?」

 何で、と訊きながらも透は自分が愚かな事を言っている事には薄々感付いていた。ただ、もし言ってみた事がイツキの同意を得られれば、などと淡い期待を抱いてもいた。

 しかし、イツキがそんな甘い幻想に同意する事はなかった。

「まあ、奴だけならば何とかならない事もないかもしれません。ですがトオル、何もタルタロスを狙う曲者が奴だけとは限らないのです」

「それ、は」

「先日の六条院紅葉とかいう鬼については分かりませぬ。彼女は白崎さんを襲いはしましたが、特段タルタロス目当てで襲ったというわけではないみたいですから。故に彼女は置いておくといたしましても、やはり別の何者かが狙うという事は十二分に考えられます。何せ、遠く異国から嗅ぎ付けてやって来る者もいるくらいですから」

「そう、ね」

 透は言って下を向く。甘い事を言ってなどいられない。いられないのだが。

「何故そんなに躊躇するのですか? あの男は貴方を亡き者にしようとしていたのに」

「いや、それは」

 透は答えに詰まる。確かにそうだ。自分は命を狙われていたのだから、正当防衛としてあの男を倒すのは筋が通っている。

 だけど。

「透、人を殺すのは嫌ですか?」

 イツキの問いに、反射的に透は顔を上げる。

「当たり前よ!」

「たとえそれが自分の命を狙った者だとしても」

「ええ、そうよ。悪い? そんなに軽々しく殺すとか言わないで頂戴ちょうだい。イツキ、貴方の殺すは冷たくて重いよ」

「申し訳ございません。貴方を不愉快にするつもりなどなかったのですが」

「私の事、平和ボケした甘ったれた小娘とか思ってるでしょ」

「いいえ。トオルは優しい子だと思います。本当に」

 イツキは笑った。

「大丈夫です、トオル」

「え」

「私は、貴方に人殺しをしろと言っているわけではありません。貴方が誰かを殺す必要なんかないんだ。奴への引導は、私が渡しますから」

 イツキは、何時になく真面目な表情で言った後、またいつもの呆けたような、儚げなような、優しい笑みを浮かべた。

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