3章・3節

 四時間目の授業を告げるチャイムが鳴る前の時間、透はうとうとしている所を今泉につつかれた。

「あ」

「夜寝てないの? お寝坊さん」

「いいえ寝てたよ。ぐっすりと。確か十二時前には寝てた」

 透は記憶を反芻しながら答えた。寝てた筈。確か。

「ふうむ、六時間睡眠はしてるのか? にしては随分眠そうだね」

「思春期特有の疲れだよ。よく分からないけど」

「本当に良く分からん。ま、本当にやばそうだったら保健室行きなよ。私付き添う」

「ありがとう、遥。でも多分、昼過ぎた辺りから本調子出るから大丈夫」

「そう、ならいいけど」

「ねえ、透」

「ん、何?」

「唐突かつリアルタイムニュースなんだけど、学校に美少年がおる」

「え」

「え、ではない。いるんだよ美少年が。ああ、でも男子は美少女とか言ってたか。ま、性別はどっちでもいっか別に。って、どうしたの? やっぱ疲れてる?」

「いや、疲れてないし何でもないんだ」

 透は頭を抱えながら言った。昨日あれだけ言い聞かせたのに、と内心毒突きながら。


「やあ美少年、また来たのか」

 昼休みのチャイムが鳴って間もない時間。人気のない中庭にいたイツキは女生徒に声をかけられた。それは、透の同級生の高橋であった。しかし、イツキはさも聞こえていないかのようにさり気なくその場を後にしようとする。

 イツキが逃げようとしたのを速やかに感知したのか、彼の去ろうとする方向へと高橋は十八番おはこの瞬発力を活かしてすぐさま回り込む。イツキの背後には、同判してきたのであろう女生徒の南条が立っていた。

「つれないね。別に苛めようってわけじゃないんだ、少年」

 ショートカットのその女の子はそう言って不敵な笑みを浮かべた。

「今日は、あのおっとりしたお姉ちゃんはいないのかな」

 辺りをきょろきょろしながら、イツキはおどおどしたように答える。

「ごめんね。怖いお姉さん方しかいなくて」

「い、いえそんな。えと、僕、何か悪い事したかな」

「ねえ、いい加減無理しなくてもいいよ、少年。君の演技は違和感に違和感が足されたかのような濃厚な違和感しかない。何も包み隠さずに素の君に戻りなよ。楽になるよ」

「えと、どういう事かさっぱりです。僕はただ、姉に届け物しようとここに来ただけで」

「へえ、それはまたよく出来た弟君だね」

「えへへ」

「なわけあるかい」

「あ、はは?」

「大体、可笑しいんだ。君は見た感じ小学生か、あっても中一くらいが関の山。じゃあちょっと間の抜けた愛しいお姉ちゃんがいくら心配でも、学校にいなくてはならない」

「えっと、今日は学校は休みで」

「へえ、じゃあ君、何処の学校かな?」

「ああ、秋吉小学校」

「ほほーう、秋吉小学校とな。でもあれ、可笑しいなー。私の弟があそこ通ってるんだけど、こんな見目麗しい子がいたら、絶対あいつ私に話してる筈なのに」

「過大評価ですって。僕みたいなの、そこら辺に一杯いますから」

「それはどうかな。ねえ君、お名前なんて言うのかな。教えてほしいなー」

「え、ええと」

「教えられない。ありゃりゃ、教えられない事情があるのかな」

 悪戯っぽい笑みを浮かべて高橋はイツキを見る。

「えっと、えっと」

 尚もわざとらしく困った子供のような仕草を見せるイツキ。高橋は尚も彼に問い質そうとするが、彼女の頭にチョップが叩き込まれた。

「おい、高橋。流石にやり過ぎ」

 見かねたのか、南条は高橋をたしなめる。

「えー、だって」

「だってもくそもない。傍から見たら、女子高生が小学生を虐めてるようにしか見えん」

「ふぇーい、分かりましたよ。ちぇ、もう少しだったのに」

 そう言って、高橋は不貞腐ふてくされる。

「というわけでごめんね、坊や」

「いえいえ、気にしていませんので」

「ところで坊や、透ちゃんに届け物かな」

「ええ、そうです。彼女もああ見えて案外呆けて、え」

 イツキは顔をらせる。イツキが南条を見ると、彼女は口に手を当てて何か考えるようにしている。

「ふむ、滋丘家は知る人ぞ知るそっち関係の名門。となると、君はひょっとして」

「おーい、すまんお二方」

 男の子の声がした。三人が振り向くと、そこには土門が立っていた。

「おお、。どしたの」

「あー、その子だけどさ。俺の知り合いなんだわ。ってなわけで、折角相手までしてくれて悪いが返してくれ」

「ええ、どうしようかなー」

 そう言って高橋がイツキの肩に手をかけようとしたが、イツキはそれをすり抜けて土門の方まで走っていってしまった。イツキは土門に抱き付く。

「お兄ちゃん!」

 一瞬、土門は戸惑った顔をするが、すぐに「よしよし」と頭を撫でながらイツキの手を引いてその場を後にしようとする。

「ちょ、どもん! ちょっと待った」

。いい加減覚えろ」

 そう言い残して、土門はイツキを連れて行ってしまった。

「ちぇー」

「ま、仕方ない。諦めよう、高橋」

「相変わらずストイックだな、南条さんはよ」

「人生何があるか分からんからな」

「へいへい、ご高説なこって」


「助かりました。ちょっと困っていたものですから」

 体育館裏まで来た所でイツキは言った。

「いや、別にいい。何となく見ていられなかっただけだから。それじゃあ、俺はこれで」

 土門がその場を後にしようとするのを、イツキは制止した。

「ああ、待って」

「どうした? 誰かに伝言か」

「僕の名前はイツキって言います。あの、良かったら名前聞きたい、です」

「何だ、そんな事か。俺は土門誠」

「つちかど、まこと」

「ああ、そうだ。折角だから聞いてみるけど、君はここに何しに来てるんだ。訳ありそうだから嫌なら答えなくてもいいけどさ、俺も実はちょっと興味ある」

「そう、ですね」

 イツキは土門の事をじろじろと見る。

 土門は思わず目を背けた。何故かは分からないが、彼は目の前の子供がとても蠱惑こわく的に思えたからだ。押し倒してしまいたい、支配したい。目の前の子供を見ていると、心の中からふつふつとそんな薄暗い欲望が湧き上がってくる感覚に陥り、土門は自分が疲れているのではないかと思った。

「な、何だ、何か付いてるか」

「いいえ、何も付いてないですよ。そうですね、先程のお礼もありますし。少しだけなら」

 イツキは周りを見回して誰もいない事を確かめてから、口を開いた。

「僕は、いえ、私はこの学校について調べています」

「この学校について?」

「ええ。土門君、この学校について何か変わった事を聞いた事はないかな? 七不思議のような、そんな話」

「変わった事、ね。いや、そういう話は聞いた事はないな」

 口調というか、雰囲気が変わった、と土門は感じた。これが本来の彼なのだろうか。

「そうですか。じゃあやっぱりここには何もないのか」

 土門は首を傾げる。

「一体、何を調べてるんだ」

「怪談系の話です。私は昔からそういうオカルト系の話に興味がございまして。聞けばこの高校は江戸時代の藩校が起源になっているとか。それだけ古い高校でしたら、何やらおどろおどろしい話の一つや二つあるのではないかと思った次第にございます」

「はあ」

 土門は怪訝な顔をする。そんな事のためにわざわざ学校に侵入するだろうか。場合によっては通報沙汰だというのに。

「ですが、どうやら徒労のようでした」

「そうか、それは残念だったな」

「いえ、そうはいっても束の間の学生生活を垣間見る事が出来ましたので、これはこれで満足です」

「はあ」

「先程の事、改めて感謝いたします。では、私はこれにて」

 そう言って、イツキはその場を後にした。

「ん、男だったのか」

 イツキの後ろ姿を見送っていた土門は呟く。不思議な奴もいたもんだ、そんな事を考えながら、土門は本来の目的である昼食を取るために急いで購買部へと向かっていった。

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