2章・3節

 家では引続きイツキによる家の調査が敢行されていた。透はやはり学校を休めないので、大人しくいつも通り学校に行っていたが、少しそわそわしてあまり勉強に手が付けられず、古文の時に唐突に当てられてうっかり恥ずかしい思いをする所であった。その時、透は苦々しく思った。何故昔の文というものはこんなにも主語がはっきりしない文章なのだろうか、と。もっと主語がはっきりした文章であれば、こんな不意打ちであっても焦る事なく簡単に答えられたであろうに。

「ただいま」

『お帰りなさいませ』

 家に帰り着いた透が誰も居ない玄関で帰宅の挨拶をすると、イツキの声が頭の中に響いてきた。カタガミの儀を交わした両者の間には、転移の他にいつでも繋がる専用の電話回線のようなものがあり、念じればいつでも相手に呼びかける事が可能である。単に念話テレパシーと呼ばれるそれはしかし、相手が拒否すればそのメッセージが届く事はない。

「で、どうだった」

『成果はなかったです。これは思いの外大変ですね』

「そう。まあ仕方がないわ。根気強くやっていきましょう」

 透はそのまま二階に行こうと階段に足をかけた時だった。

「ん?」

 居間にある電話が鳴っていた。祖父が亡くなって以降、めっきり鳴る事のなくなった電話。それは相手を急かすように、無機質な音を周囲に鳴り響かせた。

 透は居間へと入り電話の受話器を取った。

「はい、もしもし。滋丘です」

「もしもし。ああよかった、繋がったか。その声は透さんか」

 人の良さそうな温和な男の声。透は少しだけ安堵した。

「はい、そうですが貴方は」

「ああ、すまない。私は白崎文也しらさきふみやという者だ。覚えているかな?」

「いえ、あの……すみません」

「いや、気にしないでくれ。そうか、まあそれもそうだ。最後に会ったのは君が七歳くらいの時だったからね」

 そう言って白崎と名乗った男は電話越しに笑ったが、透は申し訳ない気持ちになる。祖父は付き合いも多く、かつてこの家には様々な人が出入りしていた。しかし、透にはその一人一人の顔を覚えるような記憶力もなく、ましてや名前は尚更であった。

「ひょっとして、祖父に何か用でしょうか? それでしたら、生憎なのですが」

「知っているよ。春之助は、その、亡くなったのだろう?」

「はい」

「こんな事を言っても何にもならないと思うけど、お気の毒に」

「いえ、大丈夫です。もう昔の事なので。あの、祖父に用じゃないのでしたら一体」

「ああ、そうだったね。透さん、私は君に用があって電話をかけた」

「私に?」

「うん。生前、春之助が残したものがあってね。それを君に渡さなくっちゃいけない。今は高校生だっけか。そうなると忙しいだろうけど、何処かで時間を取る事は出来ないかな」

「渡したいもの、ですか?」

「うん、私が渡したいのは春之助から渡された箱だ。実のところ、私も中身は分からない」

「分かりました。それでは、明日か明後日の十九時は如何でしょうか? 少し遅いかもしれませんが」

 その時間であれば、多少何かがあっても学校から帰り着いている時間だ。薙刀の方は休めばいい。元から、時間の都合が付けやすいという事で選んだものだ。

「そうだな。では明日でいいかな」

「分かりました」

「すまないね、色々と気を遣ってもらって」

「いえ」

「念のために、誰か連れてくるといい。その方が君も安心するだろう」

「は、はい」

「それじゃあ、また」

 透は受話器を置いて一息ついた。祖父の知り合いからの電話。もし、滋丘の当主を継ぐのであればこれからそうした人付き合いも出来なければならないだろう。

 果たして、自分は祖父の様に出来るのだろうか。ふと、透はそんな不安に駆られた。

『トオル? どうしました?』

「いえ、電話があったの」

『ご友人ですか?』

「いいえ。白崎文也さんってお爺ちゃんの知り合いから。イツキ、知ってる?」

『いえ、存じ上げません。ですが、この時期に電話ですか』

「渡したい物があるって言ってたけど、何? 何か引っかかるのかしら」

『いえ、大した事ではないのです。ただ先日の金髪の外国人の件からさほど時を経たずしての連絡ですから。ひょっとして、その白崎さんとやらもタルタロスに関心があるのかと』

「それって、白崎さんが曲者って事?」

『まさか、そこまで仰っていません。気を悪くされたのであれば、謝ります』

「いいえ、言いわよ。イツキ、私は白崎さんに会うわ。もしかしたら、タルタロスについて何か掴めるかもしれない」

『承知いたしました』

「イツキ、もし万が一手荒い事になったら、悪いけどよろしく頼むわ」


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