第四章 キャンス王国と邪龍棲まう祠

第1話 ヤマトのいない旅



 かの英雄、ヘラクロスには二人の友あり。


 一方、名をカガクと言う。面妖な術使いであった。鉱石を砕き、叡智の炎に放てば、たちまちその炎を操ってみせた。


 鍛冶師としても彼は有能であり、彼の作った鎧、武器はヘラクロスの冒険に対しても遺憾なく発揮された。


 一方、名をキュールと言う。聡明な女性であった。彼女の慈愛に満ちた表情と何事にも動じない丹力は、ヘラクロスやカガクを何度も助けた。


 彼女は強き男ヘラクロスや、妖術使いのカガクと違い、教養があった。文字を書き、言葉に詳しく、彼女はヘラクロスやカガクの言った言葉、彼らの伝説を物語として残そうとした。


 ヘラクロスもカガクも、彼女の行動に感動し、彼女に記してもらうためにも、次々と偉業を成し、そしてそれを彼女に嬉々として語った。彼女は笑みを浮かべ、まるで小さな子どものようだと、微笑んだ。


 彼女は物語に彼ら二人を英雄として書き残してゆく。


 それこそが、この物語『ヘラクロスの冒険』の起源である――。


 この物語が誕生したきっかけとなる女性、キュールとの出会いは、ヘラクロスとカガクが邪龍を滅ぼす日であった――。


 『ヘラクロスの冒険 第4章』冒頭より抜粋。






 「へぇ、これはまた立派な壁だねぇ」


 壁を見上げる老婆は横にいる男性に背中を摩られていた。久々の外に出て一週間以上経った。


「大丈夫ですか? コルキス様」


 横の男性は背中を摩りながら老婆コルキスを心配する。


「大丈夫だよ。そもそも私一人でも良いっていったのにあんたがついてきたんじゃないかい」


「そうでしたね。私も少々身体を動かしたくなったのですよ」


 コルキスと共にいる男性は思わず笑みを溢しながら答えた。目の前の老婆は確かに自分がついていかなくても一人でこの壁の前までたどり着くことが出来たであろう。


 アリエス王国の国王兼星術師にして、国民に不死身と評される女であるコルキス様であれば、このような旅余裕であっただろう。


「さてっと、どの辺だったかな」


コルキスは壁の周りをごそごそとし始めた。


「この辺じゃなかったか」


 コルキスは首を傾げながら壁沿いに歩いてゆく。


 男もその横についてゆく。


「コルキス様、何をお探しで?」


「ん? 抜け道」


 老婆だと言うのに無邪気な笑みを浮かべるコルキス。男は彼女が夢の中では小さな少年の姿をしていたのを思い出した。


「この巨大な壁に抜け道などあるのですか?」


「あぁ、知っているのはせいぜい私と、スタージュン夫妻と、リザベラとセバスの二人、まぁ計五人ほどだね」


「はぁ、それは……コルキス様は、なぜその五人の一人なのでしょうか?」


「まぁ、ちょっとした腐れ縁さ」


「奇妙な腐れ縁ですね。王すら知らぬ道を知る貴族と、隣国の王ですか」


「さて、探すよ。ヤマトが名乗った時にピンときたんだ。なぜスタージュンの名があるのか。色々気になったんでね。会ってみたくなってねぇ、それにミッドガルドにも」


「ミッドガルド……というのは?」


「大馬鹿者の名さ」


 コルキスはそう答えながら曲がった腰でのそりのそりと壁沿いを探る。


「おっ、見つけたよ、あんたもこっちきな。プッシ」


「はいはい。今向かいますよ」


 コルキスが呼んだ男プッシはすぐにコルキスの近くまで向かう。


「何もないではないですか」


「まぁ、見ておきな」


 コルキスが何度か地面を蹴る。すると、そこがボコりと崩れて穴が開く。


「おぉ」


 プッシは出来た穴を見て感心した様子を見せる。


「じゃ、通るよ」


 コルキスはその穴に身を屈んで入ってゆく。プッシもそれについてゆく。


「この穴はどこに通じているので?」


「先ほど話したスタージュン卿の家だよ」


「よろしいのですか? いきなり侵入して」


「私の顔を見ればすぐ理解してくれるよ。それまでしばらくは真っ暗な道だ。心が負けないようにしな。何もない道を渡るってのは、みんな不安になっちまうもんだからね」


 そういうとコルキスは静かにただまっすぐに穴へと進んでいった。




 進んでしばらくすると、少し風の音が変わったのをプッシは気づいた。


「コルキス様。これは」


「あぁ、そろそろだね」


 コルキスは手を前に出してゆっくりと進む。すると、真っ暗で何も見えないが、手に何かが当たった感触がした。


「よし、目的地についたね」


 そういうとコルキスは頭上を叩く。木を叩いたような音がする。その後、コルキスはそっと頭上の木を押すと真っ暗だった視界に光が入ってくる。


「済まないが、押し上げてくれ」


「畏まりました」


 プッシはコルキスを持ち上げて外に出してやる。自分もその後に続いて外に出る。


 綺麗な部屋であったが、さまざまな者が置かれており、明らかに物置であった。


 プッシは自身の服とコルキスの服についた土埃を払う。


「あらあら、お客様ではないですか」


 誰かが降りてくる音がしたので、プッシは警戒したが、降りてきたのはとても大人しそうな女性であった。


「お久しぶりだね」


「あら、コルキス様。お久しぶりです」


「いやぁ、あの頃に比べて皺も増えて、随分といい女になったね」


「ありがとうございます」


「スタージュン卿はいるかい?」


「えぇ、いますとも。お呼びしましょうか?」


「あぁ、任せる。彼に取り繕ってもらって、ちょいとミッドガルドと話す場所が欲しくてね」


「国王様と……ですか?」


「あぁ、先日あんたんところの息子が私の国に来たんでね」


「息子……。ヤマトがそちらに!?」


「あぁ。面白かったよ。ヤマトとコブラと、それにキヨもいたよ」


「キヨ……えっ!? ひ、姫様が?」


 スタージュン夫人は目を丸くして驚いた。コルキスもその様子に驚いた。


「あら、知らなかったのかい?」


「えぇ、任務の際はコブラとヤマトの二人での任務だったので……」


 驚いた様子であったスタージュン夫人はその後安堵の息を漏らして胸をなでおろした。


 キヨ姫が生きていた驚きと、自分の義理の息子であるヤマトの無事を確認できた安堵の気持ちに整理がつかずに吐いた溜息であった。


「あ、あの三人は元気そうでしたか?」


「あぁ。とってもとっても元気そうだったよ」


 自分の試練を突破した三人を思い出して思わず失笑する。


「それはよかった。そうだ。主人が戻るまで、少しゆっくりしていってください。おつきの方も、湯にでも浸かってください。長旅だったでしょう?」


 そういうと、スタージュン夫人は二人を案内する。


「ふふっ」


 スタージュン夫人はヤマトの無事を知り、思わず微笑む声が漏れてしまう。


「今頃、あいつらはどこにいるんだろうねぇ」


 コルキスも、そんな夫人の笑みを見て、今も旅を続けている三人の事を考えた。






 コブラ、キヨ、アステリオスの旅は難航していた。決して食不足というわけでもない。衣食住は安定していた。しかし故に、みながみな堕落していたのだ。


「アステリオスー、ごはんまだ?」


「今用意しているからねぇ」


「よし! 魚釣った! これも焼いてくれ」


 皆が、旅を満喫していた。満喫していたのだ。故に旅が遅くなってしまっている。


「はい。ごはんできたよぉー!」


 アステリオスの言葉にコブラとキヨもそれぞれの作業を止めて、アステリオスの元へ向かう。


「いただきます」


 三人は両手を合わせてアステリオスが作ったご飯を満喫した。満喫した。


「いやぁ、絵がはかどるわぁ」


 キヨはアステリオスが作ったご飯を頬張りながら自分の描いた絵を見つめる。


 キヨは既にジェミ共和国を出てから六枚の絵を描きあげた。今までの旅よりも倍以上の進捗具合である。


 コブラは絵を見ているキヨの皿にある焼き魚をこっそり一匹盗む。キヨは自分の絵に夢中で気づかない。


「コブラ?」


「悪い悪い」


 アステリオスがコブラに説教している隙にキヨはコブラの皿から焼き魚を一匹奪う。コブラはすぐに気づき、恨めしそうにキヨを睨む。キヨは勝ち誇った顏で魚をコブラの目の前で頬張った。


 コブラはさらにキヨから魚を奪おうとしたが、キヨはそれを防ぐ。その二人の様子を見ながら自分のご飯をゆっくりと食べるアステリオス。


 食事を終えて、みんなそれぞれの活動を開始する。


 コブラは騎士団長コブラから預かった十手を使いこなすために演武を行う。目の前に架空の敵を想定して十手を振るう。


 毎日繰り返すとわかる。この十手は対剣士に適した武器である。相手の剣を受け止め、そのままズラすことで相手から武器を奪ったり、武器ごと相手を転倒させるものだ。


 さらに相手の四肢や首を地面に固定する力も持っている。


 短く軽いが故に、扱いやすい。身軽な自分にとってこれほど良い武器はない。


 過去一度、ヤマトから剣を借りてみたことがあった。その時は、剣をまともに持てず、ヤマトに笑われたものだが、これならそうはならない。


 演武中、ヤマトを敵として据える。奴の剣筋、剣を奪った後も奴ならキドウから習った武術がある。それも想定して、この武器を操る。


 コブラ=ジェミニクスがこの武器を使い続けた理由がよくわかる。これはコブラのために用意された武器だ。


 キヨはそんなコブラの演武を見ながら筆を走らせる。描いている絵はコブラとヤマトの戦闘である。コブラが一人で舞っているのに、キヨにはヤマトと闘っているように見えるからである。


「キヨ。ちょっといいかい?」


 絵を描いているとアステリオスに後ろから声をかけられる。


「何?」


「ようやく完成したんだ。はめてみてくれないかい?」


 アステリオスが差し出したのは、キヨ姫がキヨに託し、キヨがアステリオスに加工を頼んでいたティアラだった。


「出来たの!? ありがとう!」


 キヨは興奮してすぐにアステリオスからそれを受け取る。腕輪へと加工されたティアラを彼女は早速腕に装着してみせた。綺麗な光を放つそれが取れないかどうか確認するために何度もぶんぶん腕を振り回した。


「うん! これなら安心。サイズもぴったり! ありがとうアステリオス!」


「僕も頑張りがいのある仕事だったよ」


 アステリオスは満足げに額を腕で拭いた。その様子にコブラも気づいて演武をやめてキヨたちのもとにやってきた。


「あっ、てめえ俺の絵を描いてやがったのか」


「えぇ、中々恰好よかったよ。お兄様」


「いい加減やめてくれ。気持ち悪いから」


 わざとらしくにやけるキヨの表情にコブラは悪寒を感じて震える。


 その後、コブラはキヨの右腕にある装飾品に気付く。すると、キヨと同じようなニヤケ顏をした後、キヨの前で膝をつく。


「先ほどは無礼な態度、申し訳ございませんでした。姫様」


「やめてよ。気持ち悪い」


 コブラの行動にキヨは悪寒を感じた。


「ふふっ、二人とも仲がいいねぇ」


 アステリオスが思わず微笑みながら二人のやりとりを見つめると、コブラは不敵に笑う。


「まぁな」


「ねぇ、コブラ、次のキャンス王国まで後どの辺なの?」


「さぁ? とにかくこの地図通りに歩くしかないしなぁ」


「ヤマトは今頃どうしているんだろう」


 アステリオスが不安そうに声を漏らした。


 その言葉にコブラとキヨも表情が暗くなる。


 三人はしばらく沈黙した。彼らがジェミ王国から旅に出て、もう既に14日の歳月は過ぎていた。つまり、それまで、彼ら三人がヤマトと接していない日々が続いていた。


「どうしているのかしら。ヤマトの奴」


 キヨは自身の描いた絵を指で撫でながら声を漏らす。


 その絵には十手を持っているコブラと、それをキドウに教わった武術で対抗しようとしている絵であった。


「しらねぇな。勝手に出ていったんだ。むしろせいせいするぜ」


 コブラは舌打ちをした。しかし、同時に今ここにヤマトがいれば、きっと自分たちを叱り、無理やりでも国までの進行を進めたであろう。ここまで次の国までかかったのは初めてである。


「ヤマト、今頃どこにいるんだろうね。一人旅だし、とっくにキャンス王国にはついているかな」


 アステリオスは食器を鞄に詰めながら話した。


「はぁ、しゃあない。明日は真面目に進行するか。速く着かないとヤマトの奴に追いつけない」


「そうね。じゃあ今日はお開きとしましょうか」


「そうだね。僕も大きい一仕事を終えたし、寝てしまおうか」


 三人はたき火を弱めて、寝袋に入る。その後はみな言葉を発さずに眠りにつく。


 しかし、その全員が抱いたのは、今ヤマトはこの暗い森で一人で眠っているのだろうか? という不安であった。


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