第17話 キヨとキヨ
キヨ=オフィックスは走った。コブラから聞いていた。王室の場所までもうすぐだった。
アステリオスや『ラビリンス』の皆のおかげで騎士たちはいない。彼女は自分と同じ顏の少女、キヨ=ジェミニクスの元へと向かう。
走りながら、彼女は不安を拭うために、コブラに返してもらった自分の絵が入っている懐に手を添える。
一度は姿を見ただけで、嫉妬で影の中に飲み込まれてしまった事実がキヨを不安に駆られる。
面と向かって、キヨ=ジェミニクスと話すことが出来るだろうか。
「けど、ここで勝たなきゃいけない!」
彼女が走ってゆくと大きな扉を見つける。
扉のドアノブを掴むも、緊張で手が止まる。
キヨは生唾を飲む。けれど、負けないように強く深呼吸して扉を開く。
扉を開き、広い王室に入ると、キヨ=ジェミニクスが玉座に座っている。
「来ましたか。貴方が、コブラ様が仰っていた。私と同じ顔の、キヨ=オフィックス様ですね」
座っていたキヨ姫はそっと立ち上がり、玉座から、キヨがいる場所までにある段差をゆっくりと降りる。その所作がとても丁寧で美しく、王女の貫禄があった
キヨの目に映ったのは、やはりキヨ姫が着ているドレスであった。
赤く染まった鮮やかなドレスは、かつてキヨがアリエス王国で見つけ、もし王族のままであったならば着ていたのではないか。と想像した自分がもっとも綺麗と感じたドレスだった。
自分が望んだが、一瞬しか纏うことが出来なかったドレスを、彼女は着こなしている。
「私も、改めてお会いできて光栄です。キヨ姫様」
キヨは腿も映ってしまうほど、短いチュニックの左右を摘まんで挨拶をする。
「……とても様になっております。元は私と同じ姫というのは正しいようですねキヨ様」
少し皮肉を含めるように、キヨに近づきながら話すキヨ姫。互いに手を伸ばせば届くほどの距離まで近づき、キヨ姫は足を止める。
「良いのですか? 姫は玉座でどっしりと座らなくて?」
「良いではないですか。今私を見ているのは貴方のみなのですから。キヨ様」
キヨ姫は一切キヨから目をそらさない。曇りのない目にキヨの方が負けて反らしたくなってしまうも、それをぐっとこらえてキヨ姫を睨みつける。
「そう。随分と肝の据わった姫なのね。この距離ならば、私が貴方の首を掻っ切ることも出来ると思うけれど」
「自分と同じ顔を斬ることが出来るほど、貴方が狂っているとは思えませんよ。キヨ様」
「本当に肝が据わっていますこと」
「それは貴方もですよ。キヨ様。外の世界で強く生き続けるなんて私には到底できませんわ」
クスリッと笑いながら、言うキヨ姫。その笑みさえも、自分と同じ顏であるというのに自分にはない可愛げがあるような気がしてくる。
「いえいえ、キヨ様にもできますよ。私に出来たのですから」
キヨの言葉を聞き、キヨ姫は少し眉を細めた。キヨは言葉を続ける。
「そう。私も出来るとは思わなかったわ。小さな身体で、人々を導くなんて。けれど、やるしかなかった。貴方もそうでしょう? キヨ姫」
「えぇ、私も、父と母を失い、お兄様も血筋上、王位を継げず私が継ぎました」
「そして今に至る。私もよ。私も、追い出された人達を救うのに必死だった」
「私はそんなキヨ様を尊敬します」
「私は王としての責務を全うした貴方を尊敬するわ」
折れてはいけない。そして否定してはいけない。目の前の自分を、違うものを選んだ自分を、自分が得ることができたかもしれぬ自分を見て、折れてはいけない。否定してはいけない。
キヨ姫も分かっているのだろう。冷静に話しているが、お互いに言葉を辞めることはない。
「……貴方の絵を見たわ」
「そう」
「とても豪快で、小さな絵だったのに、まるで本当に滝を見ているかのような……そのような迫力を感じました」
「私も、貴方の絵を見たわ」
キヨの言葉を聞いてキヨ姫は目を丸くした後、何かに納得したように微笑みながら息を吐く。
「コブラ様が優れた盗人であるのは事実であったようですね」
「……大きな紙に、とても丁寧に、鮮明に描かれていた。まるで目で見たものをそのまま切り取ったかのようなとても忠実な表現。よほど練習をしたのね」
キヨ姫はキヨの言葉を聞いて、感情がこみ上げてくるのを感じ、耐えるように下唇をぐっと噛む。しかし、耐えきれず。噛んでいた下唇の封が切れる。
「貴方の! あの小さな絵から放つ迫力は! 私の絵にはない! 城の外に出たこともない。山も! 滝も! 生きた獣も見たことのない私には! 貴方のように優れた絵は描けない!」
キヨ姫は耐えられずに叫んでしまう。誰もいない広い部屋にキヨ姫が叫んだ声が反響する。その言葉を聞き、キヨもまたこみ上げてくるものが口から溢れそうになるので下唇を噛んで、顔を震わせる。
「私は貴方のように! 広大な絵を描けない! それは紙がないからじゃない! 私には、貴方のように繊細な絵を描くことはできない。それは、貴方が穏やかで、集中力と目で見たものを捕らえる力があるから。貴方は城で王としての責務をしながら、ここまで絵と長い時間向き合う集中力を私は改めて羨ましく思う!」
キヨも負けじとキヨ姫に叫ぶ。キヨ姫が言葉を返すよりも先に、彼女は続ける。
「けれど、貴方の言う通り、私は貴方にないものがある」
「滝や山などの壮大な自然と触れ合う機会かしら」
キヨ姫が問いかける。キヨは首を横に振るう。
「いいえ。私にあって貴方にないもの。それは、絵を見せる友だちよ」
「友だち……」
キヨ姫は思いもよらなかった言葉を言われたからか、目を丸くしてキヨを見つめる。
「人に絵を見せる。絵を描くことは自分との対話だと私は思う。そういう意味では貴方の絵は貴方の見たものをそのまま表現している素晴らしいものよ。私は、自分を見つめ続けることは出来なかった。追われたみんなのため。亡き父や母のために、頑張った。貴方は、コブラとヤマトと出会うことがなかった私。そうなのよね」
キヨの言葉を聞き、キヨ姫は今までふわふわしていたものがかっちりとはまった感覚に落ちる。目の前の少女は、自分と顔がそっくりな『ドッペルゲンガー』だ。とずっと思って話していた。『ドッペルゲンガー』に負けてたまるかと、話していた。
しかし、キヨの言葉でなぜか納得してしまう。自分は、この人から生まれた。この人が抱いたものを孕んで自分が存在しているのだと目の前の髪もボサボサ、纏っている衣類もボロボロ、肌そのものは綺麗だが、擦り傷なども目立つ。王国の姫として恥ずかしくないのかと問いたくなるほどの荒れた姿の少女が、自分の分身であることをキヨ姫はなんの違和感も抱かない事実に思わず微笑んでしまう。
「わ、笑わないでよ。急に」
突然笑ったキヨ姫に思わずキヨは動揺してしまう。そんな動揺している彼女がなんだか可愛く思えてしまったキヨ姫はさらに声を出して笑ってしまう。
そうだ。今の彼女は、まだ兄が騎士団長じゃなかった頃の、兄にからかわれていた時の自分だった。
「申し訳ございません。キヨ様。お話を続けてください」
キヨはキヨ姫を言い負かすつもりでいたのにも関わらずキヨ姫が笑うので、なんとも言えぬ空気になり、一度仕切り直すために軽く咳込む。
「ヤマトとコブラと出会って旅をしてから、私は、集落に戻ってみんなに見せたい。今描いた絵をコブラやヤマトが見せる機会も多くて、みんなに見せることを意識して描くようになった。貴方が感じた迫力は、私が誰かに見てほしいと思って描いた想いだと、私は思う。キヨ姫、貴方は私も羨むほどの強かさを持った女性よ。けれど、故に誰かに何かを伝えようと言う意思を排除している。だからこその端正な絵だけれど。私がずっと背負っていて苦しかったものを、貴方はまだ背負っている」
キヨは真剣な顔でキヨ姫を見つめた。その目に抱くのは、目の前の自分を救済することだった。その目を見て、キヨ姫は噛みしめるように目を閉じる。
私はきっと、彼女にこの目をさせるために存在していたのだろうとキヨ姫は感じた。
――もし、自分が王族でなかったなら、兄と一緒に旅に出ることが出来るのならば、彼女のようになれるのだろうか。一緒に滝を見て、一緒に山を登って、そして……一緒に鬼ごっこを出来たなら。
キヨ姫は優しく微笑みながらキヨを見つめる。
「キヨ様」
「何?」
「コブラ様のことはお好きですか?」
「えっ、何? 急に」
「まあまあ。考えてみてください」
キヨ姫に言われて腕を組んで熟考し始めるキヨ。
「んー、いいお兄ちゃんって感じ」
「そうですか……私は、王子にするのも良いかもと思えるほどの男性でしたが」
「はははー。それはないない」
「貴方は私なので、あるかもしれませんよ?」
キヨ姫は意地悪く笑う。キヨは否定するために手の平をぶんぶんと振るう。
「ないない! 絶対にない!」
「うふふっ。そうですね。今のは私の冗談です。いくらコブラ様が素敵な男性でも、兄と同じ顏の男性を恋人にするのは抵抗があります」
ふふふっ。と楽しそうに笑うキヨ姫にキヨは急にどうしたのだろうかと戸惑いながら、笑っているキヨ姫を見つめる。
彼女の言葉を意識してしまい、一度自分とコブラが恋仲になる想像をするが、気持ち悪くて吐き気がして、うげぇと舌を出した。
「キヨ様」
一通り笑い終えたキヨ姫が、優しい笑みを浮かべながらキヨを見る。キヨもそんなキヨ姫を真剣に見つめる。
「どうか私の想いも背負って、旅をしてください。絵を描いてください。恋をしてください。そして、いつか。貴方が描いた絵を私に見せてください。と言っても、貴方がこの町を去れば、いなくなってしまうのだけれど」
明るく笑うキヨ姫の目尻は涙で濡れていた
「ううん。私、貴方のために絵を描くわ。私の中にいる。姫としてあろうとした私のために、絵を描く。だから、その時は感想の一つでも頂戴」
「……ありがとう」
キヨ姫は目尻にある涙を拭う。その後、一歩だけ、さらにキヨに近づくと、彼女は頭に乗せていたティアラをそっと取る。
「ちょっと」
キヨは突然の行動に思わず静止させようとするもキヨ姫の指がキヨの唇に触れる。
「キヨ? 貴方はもう少し淑女である意識を持ちなさい。これでもつけて」
キヨ姫はそっとティアラをキヨの頭に乗せる。キヨは恥ずかしくてあたふたしているが、あまり頭を動かすとティアラが落ちてしまうので、もどかしい感情に襲われる。
「ふふっ、そんなに恥ずかしがらないで。良く似合っているわ。貴方はきっとよく動き回るから、頭に乗せていたら落ちてしまうでしょう。身に着け方はなんだっていい。貴方が私のために絵を描いてくださるのであれば、私は貴方のために、貴方が王国の姫であるという事実を常に刻んであげましょう。野を駆けようが、山を越えようが、座る玉座がなかろうが、貴方は美しき姫である。それを私が証明し続けましょう」
キヨ姫がそういってほほ笑むと、そっとキヨの汚れた頬を優しく撫でる。土埃のついた手拭いを見て、自分もこのように汚れてみたかったと。自分の代わりに彼女が存分に汚れてくれるのだと、嬉しさがこみ上げてきた。
「では、キヨ。コブラ様と、ヤマト様によろしくお伝えください。大丈夫です。彼らは貴方には言わないでしょうけれど、貴方のことを尊敬し、大切に思ってくださっています。この後の旅も、ぜひ頑張ってください」
その言葉と同時に、キヨの足元から影が広がる。キヨはすぐに納得した。これは試練を達成した証なのだ。一度影の町へ落ちた時とは違う。暖かい感情に包まれる。
「では、さようなら。旅人となった私」
「……。さようなら。王女となった私」
二人は互いに手を触れあい、キヨは影の中へと沈んでいった。
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