第15話 タウラス民国の喧嘩祭り

 その歓声の中にいるヤマトとミノタウロスは互いに睨みあう。カナノの「よーい!」の声が響いた瞬間、全員が息を飲み、静寂に包まれる。


「どん!」


 カナノの声が響いた瞬間に観客が一斉に吠え、ミノタウロスが同時に突進をしかける。


 ヤマトは慌てずに流道の構えに入る。ミノタウロスのタックルを横に避けて、その後、肩を一気に押す。ミノタウロスがよろけて倒れる。


 ミノタウロスが倒れたことにより、観客の声はさらに湧く。ミノタウロスは静かにその場から立ち上がる。ミノタウロスが放つ拳に隙を見て避け続ける。流道といえど、一度はミノタウロスの身体に触れる。彼の身体は触れ続けると、熱でキヨの腕のように火傷してしまう。何度も仕掛ければこちらが負けてしまう。ヤマトは勝機を掴めないか必死に考える。


 ミノタウロスの猛攻に避けることしか出来ないヤマト。ミノタウロスは攻撃のテンポを一度変えるために止めて、蹴りを放ってくる。


 ヤマトは咄嗟の攻撃にこれを避けることができず、両腕で盾を作ってこの蹴りに対応する。腕から重い音が響き、ヤマトは飛ばされて地面を転がる。追撃を恐れてヤマトはすぐに立ち上がる。ミノタウロスは倒れていたヤマトに対して拳を放つ寸前であった。ヤマトは慌ててこれを飛んで逃げる。ヤマトがいた場所の地面にミノタウロスの拳がぶつかり、舞台の床には皹が入る。地面に拳をぶつけた振動でミノタウロスの動きが少し遅くなる。


 その隙を見てヤマトはミノタウロスの肩に向けてドロップキックを放つ。一点に放たれるヤマトの全体重の乗った蹴りにミノタウロスの身体はよろける。ヤマトも落下する際に受け身を取ってミノタウロスから距離を取るように転がる。ミノタウロスが立ち上がる前に追撃を行おうとヤマトは体勢を整えた後、ミノタウロスに突進する。ミノタウロスはこれを片手で防ごうとする。ヤマトの肩とミノタウロスの手に双方がぶつかった衝撃が伝わる。


 それと同時にミノタウロスの手から放たれる熱にヤマトは咄嗟にその腕から離れようとするが、ミノタウロスはヤマトの肩を強く握る。熱さで肩が焼け、ヤマトの悲鳴が会場に響く。ヤマトは痛みを耐える前に歯を食いしばり、自身の肩を掴んでいるミノタウロスの手首に思いっきり蹴りを入れる。彼の腕に蹴りは決まり、その痛みで手が離れる。


 その隙にヤマトはミノタウロスの脚に向かって思いっきり蹴りを入れて、浮いたその脚をさらに手で掴んで思いっきり上に持ち上げる。


 ミノタウロスの胴体は再び大きく地面に叩きつけられる。しかし、その直後、ミノタウロスの捕まれていなかった脚がヤマトの胴体に思いっきり蹴りを放つ。あばらのあたりを直撃したミノタウロスの蹴りに、ヤマトは肺から何かがこみ上げてくるのを必死に耐えた。


 しかし、耐えているその時間がまずかった。ミノタウロスは立ち上がり、強く握って繋げた両手でハンマーのようにヤマトの頭を強く叩く。頭が揺れてよろけてしまう。その間にミノタウロスはヤマトの腹部めがけて一度膝蹴りを入れて顔にめがけて一気に殴りぬける。あまりの威力にヤマトの身体は会場ギリギリまで飛ばされていく。ヤマトの鼻から流れる血を見て観客の男たちは興奮し、女たちは小さな悲鳴を上げた。ヤマトは脚がふらふらに鳴りながら立ち上がり、片方の鼻を塞いで、鼻の中にある血を勢いよく飛ばす。口の中も切れて血の味がする。肺の当たりも異様なほどに痛い。


 けれど、それは相手も同じ。この短時間の間にお互いに激しく攻撃をしているからか。ミノタウロスのほうも身体から湯気のようなものが出てきている。身体から熱気が漏れている。上に動きがぎこちなくなってきている。


「ミノタウロスのほうも限界みたいだな」


「ん? どういうこと」


 二人の様子を見て、コブラがぼそっと呟いた。その言葉をキヨが聞き逃さなかった。


「いや、俺とキヨとの連戦で普段負傷しないところも負傷している。続いている戦いだ。俺とキヨの絡め手に加えて、ヤマトの何度も地面に叩きつけるあの技。ミノタウロスが回復が間に合っていない。あのままじゃあオーバーヒートを起こしかねない」


「オーバーヒート?」


 キヨが復唱した言葉にコブラはしまった。と思い、慌ててキヨから目線をそらす。オーバーヒートという言葉は先日にアステリオスから聞いた言葉だったのだ。カラクリであるミノタウロスは稼動し続けることにより、熱量をあげ、エネルギーの酷使を続けると動力になっている銅力が暴発しかねない。それをオーバーヒートということをアステリオスが話していたのだ。参加者最大の喧嘩祭りでの乱戦を含めた四日間という長期戦闘。さらに、普段なら破損しない部分をキヨとコブラとの絡め手戦法によって軽症を受け続けて、負担が大きくかかるヤマトの転倒させる闘い方。確実にカラクリとしてのミノタウロスに負担が出てきている。


 カラクリも道具だ。剣も何度も使い尽くせば錆び、劣化してゆく。ミノタウロスも同義である。


 ミノタウロスが両腕を顔の高さまで上げて足を狭めてじっと止まる姿勢に変わる。それを見たタウラス王国の者たちがなにやらざわつき始める。この姿勢にコブラも驚いてしまう。


「あれ……父さんの構えだな」


 いつの間にか横にいたクロノスがぼそりと呟いた。コブラは横のクロノスにビックリして一瞬距離を取る。「どうしたの?」とクロノスが言うが、コブラは静かに元の位置に戻る。クロノスは父さんの構えと言ったが、この時コブラがイメージしていたのはこのクロノス本人だったのだ。脳内で浮かべていた人物が突然隣に現れたら驚くのも仕方のないことである。


「おーっと! なんとなんと! 互いに満身創痍も近付いてきたこの喧嘩祭り! クライマックスを迎えようかというところで! 最強の怪物ミノタウロス。なんと! 絶対王者ウラノスやその息子クロノスが愛用するパンチングポーズをし始めた。この忠実な構え! これは年老いた戦士共は戦々恐々とするのではないかぁー! 貴方たちを追い詰めたあのウラノスと瓜二つの構え! 怪物ミノタウロスのこの構えは切り札か、はたまたハッタリかぁー!」


 カナノの叫びに観客はみな歓喜の声を湧かせる。横で見ているクロノスの憧憬の表情に、この構えはクロノスよりもウラノスの構えに忠実で近いのかとコブラは感じ取った。


 それはその構えを前にしているヤマトも感じ取っていた。一切の隙がなくなった。こちらから攻め入ることは不可能とヤマトは悟った。


 となれば、こちらも流道で攻めるしか他なかった。ヤマトはしっかりと立ち上がり、構えに入る。両手をそっと前に、右腕のほうをより前に出して静かに深呼吸をする。ミノタウロスも構えに入ってから暫く動かない。両者が放つ殺気に観客たちも息を飲む。


 曇り雲が二人の上を通り、日陰に入った瞬間。ミノタウロスが動いた。その巨躯では想像出来ない速さだった。ヤマトは慌てず、もう一度深呼吸をする。走りながらもミノタウロスは構えをやめない。隙がない。キドウの言葉を想いだし、よく相手を見る。ヤマトはこの間だけは一度も瞬きをせず、ミノタウロスの所作を細かく目に刻む。ミノタウロスの右腕が微かに動く。この一瞬だ! ヤマトは一度軽くミノタウロスに向けて前にジャンプする。ミノタウロスの胴体がすぐそこまで迫っている。彼の懐に入り、殴りぬける直前の腕の袖を思いっきり掴む。そしてミノタウロスの胴体に背中をくっつける。ミノタウロスの熱に背中が焼けるように痛いが、ここを耐えきらねば勝つことができない。ヤマトは今持つ全力でミノタウロスを持ち上げる。


「どっせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 ヤマトの怒声が会場に響く。走った威力も手伝ってミノタウロスの身体が流れるようにヤマトの背中を通って場外に向かって背中から身体を叩きつけられる。ヤマトはミノタウロスの袖を離して距離を取る。ミノタウロスの身体から蒸気がもわもわと出てくる。そして動かない。ヤマトは背中から焼けるような痛みが走るが、いまだ油断ならぬ状況にぐっと歯を食いしばり耐える。


「カナノ! カウント!」


 祭司であるクミルの声が響き、カナノは慌ててテンカウントを取る。


「ファイブ! フォー! スリー!」


 会場中が息を飲む。そのときだった。ミノタウロスの胴体から脚が飛び出てきたのだ。会場の人間たちが悲鳴を上げる。カナノもカウントを止めて驚く。コブラは腕を組んで全てを悟り、ヤマトはその光景に唖然とする。


「どどどどど、どういうことでしょうか! 私カナノ! 見てはならないものを見てしまったようです! 怪物ミノタウロスの胴体がはじけ飛んだと思った刹那! な、中に! ひ、人! 人が入っていました! ど、どういうことだ!?」


 カナノを中心としたタウラスの人々がみな驚き、呆然としている。胴体をこじ開けて一人の少年はふらふらとミノタウロスの中から脱出する。ミノタウロスの熱気はその中にいるアステリオスをも苦しめたのだろう。虚ろな表情をしながら身体中から汗が流れていた。


「あ、あいつ! アステリオスじゃねぇか!」


 叫んだのは、アステリオスの義父だった。彼の言葉の後に口々に「本当だ」「あのもやし野郎だ」「変なもんばっか作ってる軟弱者だ」と声が次々と放たれる。


「へ、へへっ。そうさ。僕だよ。お前たちを倒して回ったのは、ミノタウロスは僕が作ったカラクリさ。お前たちが馬鹿にした。カラクリ……さ」


 嘲笑うように笑ったアステリオスは観客たちへの言葉を言い終えるとそのまま倒れてしまった。


 カナノがどうしたものか悩んだ末にテンカウントを取ろうとするも、その間、タウラス王国の男たちの怒声がアステリオスに向けられた。


「ちょっとみんな! とりあえずカウント取らせてよー!」


 カナノの言葉などアステリオスに怒りを持つ男たちには聞こえない。


 己の身体ひとつで闘うのがタウラスの男だ! 貴様武器を使って勝てて嬉しいか! 卑怯者だ! よくも俺たちをコケにしたな! さまざまな罵詈雑言が響き渡る。


 観客席にいたコブラはアステリオスの苦労と努力を知っていたからこそ、彼らの言葉に苛立ちを覚えて舌打ちをした。キヨは怯え切っている。クロノスはどうしたものか戸惑っている様子だった。


 壇上のヤマトが、アステリオスを守ろうと、彼らの言葉を止めに入ろうとしたときだった。


「うるせぇぞ! てめぇら!」


 遠くの方から会場全てを包み込む怒声が響き、みなが一瞬黙る。全ての者を圧倒する獣のような叫び。その叫びに恐怖を抱く男は多く、自然と身体が萎縮し、アステリオスへの罵詈雑言の言葉が詰まってしまう。


 叫んだ男は堂々と会場に向かって歩いてくる。その男に道を作ろうと男たちも彼に道を譲っていく。男はヤマトと、倒れているアステリオスの間に立つと、会場の周りの観客を一度見渡す。


「この喧嘩祭りの先代チャンピオン。ウラノスだ! つっても、この国で俺を知らない奴はいないだろう」


 突然の出来事に、皆が息を飲む中、ウラノスは慈悲深い表情でアステリオスを見つめた後、観客たちを睨んだ。そして彼は高らかに叫ぶ。


「いいか! このアステリオスは身体に恵まれなかった。しかし、誰にも認められないカラクリの才能があった。みなはこいつを軟弱者と謳うが、俺はどうもそこが引っかかるね。こいつは、カラクリの才能を使って、わざわざ! 俺たちの土俵に上がってきてやったんじゃねぇのか! この国のルールに従って、自分が持つ力を使って、お前らに勝てるカラクリを作った。それのどこに弱さがあるってんだ! えぇっ!?」


 怒鳴ったウラノスの声に誰も口を挟むものはいなかった。彼は言葉を続ける。


「むしろ、よくもまぁ諦めずに自分の道を突き進んだと、俺は評価したい。この中にいないのか? 最強を目指すのが我がタウラス王国の男の流儀! だが、俺に勝てないからと甘んじていた奴。自分じゃない誰かがミノタウロスを倒すだろうと他力本願だった奴! こいつは、アステリオスは誰よりも小さく、誰よりも弱かったが、最強であることを諦めなかったぞ! ミノタウロスは喧嘩祭りの毎に強くなっていた。その意味がわからねぇ馬鹿はいねぇだろ!」


 ウラノスの叫びに全員が押し黙った。その間に祭祀であるクミルがカナノに耳打ちしている。


「う、ウラノスさん。演説ありがとうございます。もうこの場にミノタウロス……いや、アステリオスを馬鹿にするものはいないでしょう。テンカウントも終えてよろしいでしょうか」


「おっ、すまねぇな。いいか皆のもの! 新たな力の形を示してくれたアステリオスとそして、俺たちタウラスの男が勝てなかったミノタウロスを打ち破った旅の者! ヤマト=スタージュンに盛大な拍手を送ってやってくれ!」


ウラノスの言葉に観客のみなが拍手を送った。


 アステリオスに戸惑っていた人々の中から何人かが「かっこよかったぞ! アステリオス!」「すげえカラクリだなぁ!」と賞賛の声も混じっていた。


 コブラはその光景を見て、部屋で卑屈になっているアステリオスを思い出す。そして、今彼が気絶してしまっているのを惜しく感じる。真っ直ぐに頑張った人間をしっかり評価しない奴しかいないなんてありえない。お前が一番憧れた男が、お前を評価したんだ。コブラは今すぐにでもアステリオスに伝えたいと思った。


「それでは! これより、札の授与式を行う! ヤマト=スタージュン。無事儀式・喧嘩祭りを達成したことを祭祀クミルがここに証明しよう」


 クミルがアステリオスから預かっていた札をヤマトに渡す。


 ヤマトは傅き、礼儀を尽くしてクミルから札を預かる。彼の頭にはこの喧嘩祭りで勝利するきっかけを頂けたキドウに対する感謝で溢れていた。この光景を見守っているキドウもまた、自分の闘い方が証明された瞬間に立ち会い、感動を涙を流した――。


 これにて、四日に渡るタウラス王国での星巡りの儀式は終了したのだった――。

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