第7話 盗人と騎士と王女

 キヨは太陽の日差しで目を覚ます。まだ寝ぼけている目を擦って部屋のあたりを見渡す。


 部屋がなにやら異変を感じた。まだ頭が回転しきっていないのか、その異変の正体に気付くまでしばらくかかった。いつも朝、見つめている壁。そこには自分の父が治めていた王国・オフィックス王国の誇り高き国旗。それを毎日眺め、亡き父と母に祈りを捧げるのが日課なのだ。


 しかし、今日それを行おうとしても、国旗が飾られているはずの壁はただの土壁になりさがっていた。


 キヨは異変の正体に気付いた。思わずベッドから起き上がる。まさか床に落ちたのではないかと部屋中を漁るが、そんなものは出てこなかった。キヨは動揺する。あまりに唐突の出来事に呼吸が荒くなる。自分の心の支えとして存在していた国旗が消失したのだ。彼女はとてつもない不安が襲い掛かってくる。


「お姉ちゃん! 外! 外に来て!」


 扉が突然開かれ、集落の少年ユウがキヨに対して叫んだ。キヨは自分の国旗がなくなり、それどころではなかったのだが、自分は王族の娘。この集落の治安を護り続ける義務がある。と一呼吸して冷静さを取り戻す。


「……どうしたの? ユウ」


 落ち着いた声でユウに訊ねるキヨ。ユウに寄り添って、彼の頭を撫でる。ユウは慌てた様子で答えた。


「あ、あの剣士が! あの剣士が!」


 あの剣士と言う言葉でキヨはヤマトと呼ばれていたオフィックス王国からやってきた騎士団の男をイメージした。きっと彼のことだろう。ユウは慌ててしまっていて、全ての内容を話す余裕はなさそうだった。


「わかった。今から行くから」


 キヨはユウの頭に手を置いて軽く撫でてやる。その後、急いで着替えて外に出て行く。


 外へ出たキヨが見た光景に彼女は思わず呆然としてしまった。村のすぐ近くにある大木に登って、ヤマトがキヨの家に飾ってあった国旗を掲げているのだ。


「貴様ァ!」


 キヨは思わず剣士に対して怒鳴りつけた。ヤマトを見に来ていた野次馬の人たちもヤマトに対して罵声を浴びせる。


「やはり貴様もあの騎士団の人間か!」


「我らの国旗を汚すな!」


 そんな言葉もヤマトは気にするそぶりを一切見せない。むしろ下卑た笑みさえ浮かべている。


「はっはっは! 我々の要求はただ一つ! そこにおわす元王族の娘、キヨ=オフィックス姫をこちらへ渡せ! 彼女は我々の旅に非常に役立つだろう!がっはっはぁ!」


 ヤマトは自ら持っている剣を群集の中にいるキヨに対して向ける。野次馬の視線がキヨに集中する。


「この国旗は、君の宝物らしいな。キヨ=オフィックス。これを返して欲しいなら、我々と来い!」


 キヨは困惑した。昨日話していたヤマトがこんなことをするような人物には見えなかった。裏切られたような気がしてさらにキヨは激高した。これでは、城内で裏切ってきた奴らと同じではないか。キヨは目の前の男に絶望した。怒りで身体が震える。


「その旗を返せ!」


 キヨは思いっきり地面を蹴って飛んだ。一気に自分のほうへ迫ってくるキヨにヤマトは流石に慌てた。ヤマトは彼女の身体能力を見縊っていたのだ。


「しまった! コブラ! パス!」


「はいよ!」


 ヤマトは国旗を木の下に落とした。それを木陰に隠れていたコブラがキャッチしてそのまま走り去っていく。


「出てけ! 無法者は出てけ!」


「この恩知らず!」


 ヤマトとコブラに対して集落の人々の怒号が響く。ヤマトもキヨの攻撃を避けるために木から飛び降りてコブラと共に森の中を逃げていく。


「あの二人……」


 キヨは後悔した。自分があの二人を連れてきてしまったことで、町の皆を不安にさせてしまった。あまつさえ自分の宝も奪われてしまった。これほどの屈辱はない。


「キヨちゃん! ここの食料もあいつら二人に盗まれているわ!」


 一人のおばちゃんがキヨに報告した。その言葉を聞いて集落の人々はさらに動揺し、怒りを露にした。


「あの食料泥棒共を捕まえてくれ!」


「キヨおねえちゃんお願い! あの悪い剣士さんやっつけて!」


「あいつらはオフィックスから来た上に俺たちをさらに苦しめた! 大罪人だ!」


「キヨちゃん。あの国旗は宝物だろう? 取り返しにいきな」


 周りの人々がキヨに追いかけることを促す。彼女は一瞬動揺したが、まだ遠くへ行っていないはずだと判断してキヨは二人を追いかけて森の中へかけてきった。


「絶対に捕まえろよ!」


「あの二人を八つ裂きにしろー!」


「キヨおねえちゃんがんばってー!」


 みんなの言葉が後ろから聞こえてきて、自分はなんとしてでも彼らを捕まえなければならないと心に誓った。




 走ってどれくらいのときが経っただろうか。随分と遠いところまで、逃げてきた。ここまでくれば集落からの行動範囲を離れている。コブラは予定通り、そこで足を止めて、周囲を確認する。


「よし、到着」


 大きな滝が流れている涼しい川沿いにたどり着いたコブラは大きな包み袋を一度地面に下ろした。ヤマトもそこに追いつく。彼は膝に手をつき、息を荒げている。


「ははっ、何疲れてんだよ。騎士団さんよ」


「あんな……。全力で逃げた経験がないものでな……。はぁ……はぁ……。」


 ヤマトは腰につけていた水筒から水を口に流し込む。


「あとはあいつが追いかけてくれば完璧だが」


 コブラはそういって袋から林檎を取ってかじる。それを見つけたヤマトはコブラに怒鳴りつける。


「おいコブラ! それまさか集落から奪ってきたんじゃないだろうな!?」


「あぁ、シナリオでは奪うように予定していたんだし、本当に奪っても問題ねぇだろ」


 ニカっと笑い悪びれる様子もなく林檎をかじるコブラに対してヤマトは呆れて大きなため息を漏らす。


「コブラ、貴様というやつは」


「まっ、どっちにしても俺らはあの集落にとっては『嫌われ者の剣士と盗人』ってことになるんだ。なら事実にしたっていいんだよ」


 ヤマトはコブラのそんな態度にげんなりした。しかし、一瞬漂った殺意に思わず剣を身構える。コブラもそんなヤマトの表情を見て、警戒する。


 森の影から突然鋭く尖った石が飛んでくる。それをヤマトは剣ではじき返す。その瞬間、キヨが姿を現し、片手に持った小刀でヤマトに襲い掛かる。ヤマトはその攻撃を受け止める。


「くっ! 想像よりも来るのが早いな」


「貴様! 私の国旗を返せ!」


「あいにく、それはできない!」


 ヤマトは何とかキヨの攻撃を受け止めて、後ろに飛んで距離を取る。しかし、キヨもその間合いにさせることを許さず、さらに距離をつめてくる。キヨは短刀でヤマトの腹部を思いっきり狙う。しかし、ヤマトも訓練を続けた剣士である。その攻撃をすべていなす。


 ヤマトは攻撃をいなすことはあってもキヨに攻撃をしてくることはなかった。その態度にキヨはさらに腹を立て、ヤマトに一撃でも当てようとこれでもかと彼にもう攻撃を仕掛ける。


 コブラはそんな二人を見て、自分は闘う必要がないと判断すると、近くにある岩にもたれかかり、持っていた林檎をまたかじって観戦することにする。


「ありゃ、王女っていうか。もはや獣だな。おーい、ヤマトー、あともうちょい右! そう、右!」


 軽い調子でコブラは言った。キヨはその態度にさらに腹を立ててコブラのほうを襲撃しようかと考えたが、ここでコブラのほうへ行けば、確実にヤマトに隙を与えることになる。


 キヨは悔しくも、ヤマトへと攻撃を続けるほかなかった。ヤマトもキヨの猛攻をただ防ぎきるのに必死でコブラの腹の立つ行動に叱咤する余裕など微塵もなかった。


「よし、その辺!」


 コブラの叫び声を聞いたヤマトはキヨの攻撃から後退して、森の中へと入ろうとする。


「待てっ!」


 キヨはすぐにそれを追いかけると、地面からいきなり突き放されたような感覚に襲われて、気付いたことにはさっきまで林檎をかじっていたコブラが低く見えた。彼女はすぐに自分の置かれている状況を理解した。


「貴様ら! ふざけるな! このような! 卑劣め!」


「そりゃどうも」


 キヨは思わず吠えた。彼女は罠にかかったのだ。縄でできた網がキヨを捕らえている。ヤマトはその様子を確認して剣を下ろした。


「確かにその短刀でその縄網切れるけど、切って降りた瞬間に俺たちがお前を捕まえるからな」


 コブラも彼女の真下に移動した。キヨは今まさに短刀で縄を切ろうとしていたところだった。それすら見破られていることに彼女はさらに憤りを感じる。


「貴様ら! なぜ私の国旗を奪った!」


「いやぁー欲しくて。あれないと他国行ったときに俺たちがオフィックスの人間だって証明できないだろ?」


「それだけの理由であそこまでしたのか!」


 キヨはまた吠える。昨日まで見た彼女と違って感情的でコブラは少し驚く。


「まぁまぁ、落ち着けって。こうするしか方法はなかったんだって」


 コブラはキヨをなだめるように言うが、キヨは話の全貌がまったく見えなくてコブラを睨みつける。この様子にヤマトはコブラには任せてられないと、彼に下がるように胸を押して、じっとキヨのほうを見つめる。


「キヨ=オフィックス姫。ここは一つ冷静になって聞いていただきたい」


 ヤマトがとらわれているキヨを相手に膝をついて忠誠を誓う動作を行う。キヨが幼い頃に、騎士の多くが父に対して行っていたものだと思い出し、少し冷静さを取り戻す。ヤマトはそれだけでは足りないと感じたのか、腰に携えた武器を全て遠くへ放り投げた。キヨはその態度に、一度ゆっくりと呼吸をする。


「……いいでしょう。お話ください」


「実は、このような行動に出たのは、長老様からの依頼されたこともあったことをご理解ください」


「ちょ、長老?」


 キヨは戸惑いを隠せなかった。ヤマトは言葉を続ける。


「はい。キヨ様がこの集落に囚われている。本当は外の世界に行きたくて、それを実行する身体能力と知性も持ち合わせているにも関らず。自分達の存在と、今は亡き父ヤクモ=オフィックスが護ってきた国への責任。それが彼女個人の夢を潰している。と長老から話をお聞きしました。そこで我々はあなたを仲間に引き入れるべく、かのような無礼を働きました。どうかお許しください」


 誠実に語るヤマトの言葉にキヨは動揺したままであった。怒りと驚きでどういう表情をしていいかわからず、ただ呆然とヤマトの話を聞いた。


「まぁ、要は外の世界見てこいって言われて追放されたわけだ。お前は。俺たちと一緒さ。だからきっと今から戻ってもお前の居場所は用意されてないと思うぜ」


 コブラもキヨに対してそのような言葉を放つ。まだ呆然としているキヨに対してコブラは言葉を続ける。


「それにほら、あれ見ろよ」


 コブラが指差すほうにキヨは視線を映す。凄まじい音を鳴らしながら、巨大な滝が流れていた。キヨは怒りのあまり、今この瞬間まで、この光景の存在自体に気づいていなかった。ちょうどここも集落のように森の木々がなく、水が太陽の光を反射させて煌びやかな景色を作り上げていた。


「今日の朝早くにお前を捕まえるために罠張るところ探していたらここを見つけたんだよ。好きだろ? こういうの。お前、絵に描いていたし。あの絵よりも豪快な滝だ。俺も見た時は興奮したぜ」


 キヨは恥ずかしさと驚きでコブラのほうを睨みつける。コブラが部屋に入り込んでいた事実と、画材のみで、書かれた絵は隠していたつもりだったのに、彼に実物まで見られていた事実に思わず顔が赤くなる。


「あんたあれを見たの!」


「あぁ、結構綺麗な絵だったな」


「ほぉ、キヨ様は絵を嗜んでいるのか」


「おぉ、ヤマトも見たいか。ここにたくさんあるぞ」


 コブラはニヤニヤしながら袋から二、三枚木でできた板を出してそれをヤマトに渡す。


「ほぉ、これは中々……」


「なんであなたがそれを持っているの!?」


「え? だって、お前の部屋からほとんど盗んできたし、あっ下着もあるぞ」


 キヨは短剣で縄網を切り、落ちるときにコブラに向かって落下して思いっきり彼の顔面に蹴りを入れる。コブラは唐突だったのでこれを直撃、その場で倒れてしまう。


「どうしてあんたが私の衣類も持っているの!」


「先ほどの逃亡は、全て演技だったってことですよ。町の人も含めて」


 ヤマトはコブラのデリカシーの無さに呆れながらキヨに説明する。昨日の食事時に、コブラは子どもたちにこっそり今回のことを提案したこと。それを町の住人にも広めたこと。ヤマトが聞かされたのはみなの話が盛り上がっていた後だったということ。


「まっ、可愛い子には旅させろ。ってことだな。あぁー鼻血止まんね」


 顔から鼻血が出ているコブラはそういいながら川のほうへ向かい鼻を水につける。綺麗な川の流れにコブラの顔から赤い液体が流れ出る。


「もちろん。私は強制しないつもりです。このように君の荷物はここにありますが、それを持って、集落に帰ることも可能です。彼らもそれが貴方の本当に望んだ答えならば、納得も致すでしょう。ですが、ここは長老や集落の人たちの意思も尊重されるのが、国王の娘なのではないですか?」


 ヤマトはまたも頭を下げてそう答える。キヨは村の人たちが自分のためにそこまでしてくれたのかと考えて思わず嬉しくなった。それに、目の前に広がる滝の光景に目を奪われて体の内側から湧き上がる何かを感じる。


 これから、彼らと旅をしていけば自分にはどんな光景と出会えるのだろう。『ヘラクロスの冒険』に出てきた太陽が沈む地平線。喋る草木、煌めく星々が流れてゆく光景。自分が想像している光景を彼らと、その目に焼き付けることができるのだろうか。


 まだ見ぬ景色を思い描くその瞳は純粋さを感じさせる。少女は、幼き日に城内から外の世界を見つめていた時の目と、同じ目に変わっていた。彼女は穏やかな表情を浮かべた。父や母、集落の皆のことを考えた。自分のこれまで書いてきた絵の事を考えた。これから旅で出会うであろう景色を夢想した。彼女は、自分でも不思議なほどに答えは一つしかなかった。


「しょうがない。集落のみんなの頼みなら、あなたたちと旅をしてあげましょう」


「本当は嬉しいくせにー!」


 向こうで顔を洗っているコブラが大きな声でそういった。


「ありがとうございます。キヨさ――」


 また頭を下げようとするヤマトを静止させるキヨ。


「仮にも仲間になったんだから、これ以上の敬意は不要よ。前にも言ったけど、キヨでいいから。私もあなたのことヤマトって呼ぶから。あんたもね! コブラー!」


 コブラはこちらを見ずに手だけで聞き届けた意図を伝える。まだ鼻血が流れているみたいだ。そういうとキヨは袋からまだ何も描いていない木の板を探してそれを取り出し、絵の具を取り出す。コブラの隣に移動して足を水につけて「冷たい」と微笑みながら言うと、彼女はその滝の光景の絵を描き始めた。


 キヨの木の板には綺麗な水色を塗り、下部にはコブラが流して残っている赤を少し足していく。それを見て、キヨはクスクスと一人笑った。


「なぁ、ヤマト」


 集中して絵を描き始めたキヨを見つめていたヤマトにコブラは声をかける。


「どうしたコブラ」


「俺、お前の言うとおりに『星巡り』をしようと思う」


「ほぉ、それはありがたい。ちょうど今、この状況でお前が逃げ出したらどうしようか。なんて考えていたところだ。理由を聞かせてもらえるか」


 コブラは少し恥ずかしそうに一度目をそらして後、絵を描いているキヨのほうを見ながら語る。


「集落のガキ共見ていたら、オフィックスで懐いてくれていたガキ共を思い出した。いつもモルカを出してくれた喫茶店の姉ちゃんも、周りにバレないように干し肉くれた肉屋の爺ちゃんも。もしかしたら俺のこと待っててくれているのかなぁなんて考えてな」


 コブラの言葉を聞いて、ヤマトも自身の育ての親であるスタージュン夫妻のことを考えた。彼らは今もなお自分の帰りを待ってくれているに違いない。国の大勢の人が自分を忌み嫌おうと、彼ら二人だけは自分を待っていてくれているはずだとヤマトは強く願った。


「それにもう一つ。こいつだ」


 コブラは勝手にキヨの荷物の入った袋を漁って一冊の本を取り出す。ヤマトも一度見覚えのある絵本だった。


「それは『ヘラクロスの冒険』か」


「あぁ、元々あんな壁で覆われた国真っ平ごめんだったんだ。どうせならここに載っているヘラクロスのように楽しい旅でもしてぇって思わねぇか? それをガキ共に話してやんねぇとな!」


 子どものような笑みを浮かべる。コブラを見てヤマトは少し安心した気分になった。国中に迷惑を働く盗人だと聞いていて、粗暴で野蛮だと思っていたが、この者も結局は一人の少年なのだとヤマトは感じた。


「よし、じゃあまずは今日の飯でも獲るか! 川魚でもしとめて!」


そういってコブラは川に向かって走っていった。


「ちょっとコブラ! 風景が乱れるでしょう!」


 川へ入っていったコブラに対してキヨが怒る。そんな光景を見てヤマトは、追放されたかも知れない自分の身を嘆いていたが、コブラの言うとおり、この旅は存外悪くないものになるかもしれないと心が躍ったのだった。


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