泰平の階~106~

 条行討伐のために出陣した斎興は新莽を副将とし、彼の兵力を配下にする一方で、和芳喜と少洪覇にも書状を出し、参軍を要請した。


 『国軍の編成が間に合わなかった……』


 先にも触れたが、今の斎国の悩みの一つは、国軍を持っていないことであった。大将軍である斎興の直轄軍と言っても良いかもしれない。新莽が有する兵力はあくまでも新莽個人の兵力であり、斎興が直接指揮できる兵力はわずか千名程度であった。だから諸侯より兵力を借りなければならないのである。


 たとえば泉国の樹弘のように、有力な勢力に頼らずに仇敵を倒すことができれば苦労はなかった。樹弘はが相房を倒す時に主力となったのは、かつての泉国国軍の将兵や泉公を慕う庶民達であり、それがそのまま国軍となることは容易であった。


 ところが斎治、斎興達は、有力な諸侯の力を借りることで条高を倒した。国主が変わったとしても、諸侯達が私有の兵力を手放すはずもなく、この国特有の藩制度を維持せざるを得なかった。それ対抗するための国軍創設であったが、実現するにはあまりにも時間が足りなかった。


 斎興にとって幸いであったのは、新莽は斎興に対して協力的であり、和氏も少氏も斎興の要請に快く応じてくれたことであった。和芳喜は、長兄であり和長九に千名の兵を授け派遣してくれ、少洪覇は自らが五百名の兵を率いて駆けつけれてきた。


 『これで新莽軍を含めて五千名か……』


 兵力としては十分だろう。しかし、問題はどう攻めるかである。


 先の戦いでは、新莽軍が勢いをもって一気に攻め立て、瞬く間に栄倉を陥落させた。それは新莽軍側に時流に乗った騎虎の勢いがあったからであり、本来栄倉は攻めるのが難しい邑なのである。


 『劉六がおれば……』


 きっと驚くような奇策を披露してくれるだろう。斎興は改めて劉六の偉大さを思い知り、自分が武勇だけの人間であることを突き付けられた。


 だが、戦場における知恵者は何も劉六の専売特許ではなかった。劉六に及ばなにしろ事態を打開できる知恵者が陣中に存在していた。和長九であった。


 「栄倉に通じるには七つの山道しかありません。それは裏を返せば、敵も栄倉から出るにはそれらの山道を使うほかありません。そればらば山道を徹底的に封じて栄倉を囲めば、敵は食料を調達する術を失います」


 和長九は、栄倉をひとつの城郭に見立てて、それを囲んで兵糧攻めにしてしまうというのである。時間はかかるであろうが、有効な作戦ではあろう。斎興は新莽に諮った。この中で最も栄倉の地理に精通しているのは新莽である。


 「良き作戦かと思います。栄倉にも兵糧庫はありますが、食物を育てる田畑はほとんどなく、家畜を買う場所も広くありません。自給自足ができませんので、大軍を養うのが困難な地です」


 栄倉という邑は、攻め難い土地ではあるが、籠城に適した場所ではなかった。それは条国の時代から栄倉を戦場とすることを想定していなかったことを意味していた。


 「ではそうしよう」


 新莽のお墨付きを得た斎興は軍を広く展開させて、栄倉へと繋がる七つの山道を封鎖した。さらに念のため、他に抜け道などないか探させることにして、斎興は敵の出方を見守ることにした。




 慶師から討伐の軍が進行してくることは、諏益も予測はしていた。そのための準備をしなければならなかったのだが、その間もなく斎興軍が来襲してきたのである。


 諏益も栄倉の急所を理解していた。七つの山道を封鎖され、兵糧攻めにされては難戦は必至である。そうならないために一年余り籠城できる兵糧を運び込む計画であったが、それを実施する前に、諏益の想定外の速さで斎興軍が到着してしまったのである。


 『奴らが我武者羅に攻めてくれれば勝機はある』


 諏益としてはそれを期待した。斎興軍には副将として新莽がいるようである。新莽が過去の成功体験から慶師を激しく攻め立ててくれた方が、天然の要害を利用して敵の数を減らし、逆撃することも可能だった。しかし、斎興軍は諏益が恐れていたように栄倉を囲み、兵糧攻めを仕掛けてきたのであった。


 「私の食事は一日一食で良い。兵士達にはしっかりと食わせてやって欲しい。それと斎興と交渉して栄倉の市民を外に出してやりたい。彼らを過酷な戦いに巻き込みたくない」


 まだ幼くあっても条行は状況を正確に理解していた。そのうえで将兵と民衆に配慮できるだけの感情と知性を持ち合わせていた。


 『この方が早く条公となられていたら、条国の命脈は今も続いていただろう』


 諏益としては今日まで撫育してきた甲斐があったと感涙する思いであった。諏益は決して条高のことを敬していないわけではない。しかし、どう考えてみても今の条行の方が国主として父である条高より相応しいであろう。あるいはそのようになるために条高は諏益に条行の撫育を頼んだのではないか。


 『条高様、行様は立派に成長させております』


 ともあれ諏益としては条行の言葉に理を認めつつも、異論を挟まずにはいられなかった。


 「市民の件については交渉いたしましょう。しかし、主上の一日一食というのは賛同致しかねます。それでは主上のお体に障ります。主上が倒れられては、そちらの方が将兵を動揺させます」


 「分かった。食事の件は任せる。だが、内容は兵士達と同じもので良い」


 条行は聞き分けがよく諏益の言を受け入れた。


 諏益は市民の退去させるために斎興軍へ使者を送った。使者は条行の書状を携えており、そこにはこれより栄倉を出る者は害のない市民であるから見逃して欲しいと書かれていた。


 一読した斎興は、新莽らに諮ることなくこれを拒否した。


 「それほど市民が大切なら降伏すればいいではないか。無害な市民とか言いながら、実は武装を隠した兵士であって、我が軍の後背を奇襲するつもりであろう」


 条行には斎興軍を詐術にかける意図はなかったが、斎興の懸念は戦場においては尤もであった。諏益は諦める他なく、厳しい籠城戦を強いられようとしていた。

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