泰平の階~107~

 栄倉の戦況が膠着する一方で、尊毅も、赤崔心が籠っている砦を囲んでいた。だが、栄倉とわけが違うのは、尊毅は佐導甫と共に砦近くの邑で赤崔心と対面していた。


 「へへ、旦那方も随分と性悪でございますな」


 赤崔心は尊毅と佐導甫を目の前にして美味そうに酒を飲んでいた。すでに尊毅と赤崔心は通じており、今回のことも事前に両者が打ち合わせてのことであった。


 本来であるならばここで赤崔心は素直に尊毅に降り、先に赤崔心を心服させることができなかった斎興の名声を貶めるというのが尊毅の計画だったのだが、予想していなかった事態が発生していた。条行の決起である。


 「これは好機と言うべきではないでしょうか?大将軍は多数の兵を率いて慶師におりません。主上を掌中にして一気に権勢を握ることができますぞ」


 佐導甫の言うとおり、ここで赤崔心の軍勢を率いて慶師に乗り込めば、空白状態の慶師は尊毅のものとなり、斎治に対して大将軍の地位を求めることもできるかもしれない。しかし、尊毅はそのようなことをするつもりはなかった。


 「佐導甫殿らしくない雅さに欠けるやり方ですな」


 「しかし、坊忠を始め、主上の周りに侍る連中は害虫以下の存在です。これらを一掃し、尊毅殿が大将軍になってこそ武人達にとっての慶事となりましょう」


 「坊忠が害虫ならいつでも駆除できます。しかし、飼われている猛禽はそうもいかない」


 尊毅が敵視しているのは、斎興であり新莽であった。坊忠のような文官など眼中になかった。


 「尊の旦那。俺が懸念しているのは北定殿だ。流石の俺でも、あの旦那には頭があがらない」


 赤崔心は北定とも親交がある。まだ赤崔心が賊徒同然の状況だった頃より北定は陰ながら支援してくれていた。もし北定が赤崔心の降るように説得に来れば、赤崔心としては両手をついて従う他なかった。


 「分かっている。だからこそ北定殿がおらぬうちに事を進めているのだ。俺もあの方は苦手だ」


 尊毅は文官において唯一警戒しているのが北定であった。北定には応変の才と胆力がある。


 「ほう、旦那は費俊は相手にしないか」


 「費俊は自分の地位を守るために日和見するさ。それに直接的に軍事力を持たない者は後で如何様にもできる」


 尊毅はかつては費俊に一目置いていたが、昨今の騒動に対して沈黙を守っていることから、見る目を変えていた。所詮は我が身が可愛いだけの男だと思いなおしていた。


 「ふむ。それで栄倉の戦況は?」


 佐導甫は部屋の隅に控えている部下に目をやった。栄倉の状況は逐一送られてきていた。


 「大将軍は栄倉を囲んでいるようです」


 「兵糧攻めか。これは利用できますよ、尊毅殿」


 佐導甫の目が怪しく光った。彼の口から語られる謀略に、尊毅は嬉しそうに口を歪めた。


 「よし、その手で行こう。赤殿、早速で申し訳ないが、降伏していただこう」


 一緒に謀略を聞いていた赤崔心も手を打って賛同を意を表した。




 尊毅の謀略は順調に進行していた。誤算があったとすれば、文官の中で最も警戒していた北定がいち早く帰国していたことであった。尊毅が懸念していたのは、北定が赤崔心の処分について口を挟むようなことがあれば、斎治はその言に従うであろし、何よりもこちらの謀略に勘づき、素早く手を打ってくるかもしれない。そうなれば尊毅としても、方針の変更を余儀なくされる。しかし、帰国した北定は別のことで斎治に嚙みついていた。


 「主上、聞くところによりますと、神器探索のために多額の資金を覚然に預けたようですが、一体どうなっておりましょう」


 帰国して早々、斎治が神器探索に執心し、覚然に資金を与えたことを腹心から聞かされた北定は、斎治の御前に出るといきなり切り出した。


 「北定よ、先に諸国歴訪の報告をするのが先ではないか?」


 斎治は露骨に嫌な顔をした。その件について切り出されたことも不愉快であるし、斎治の知らぬ北定の耳目が周辺にあるということも気味が悪かった。


 「そのことは後で報告申し上げます。それよりも丞相より国内の情勢が不安であるとの書状を貰いましたので、急いで帰ってまいりました。主上におかれましては、何故国内の情勢が不穏であるかお分かりのはず。それなのにより武人達の不満をあおるような真似は辞めていただきたい」


 北定という臣は直諌を恐れなかった。彼の言には力があり理があった。斎治は不快感を隠さず無言でいると、堪らずもう一人の当事者である覚然が声を荒げた。


 「北定!主上に対して無礼であろう!」


 「無礼?主上のご政道を正すべき臣下が直諌することの何が無礼か!主上の御名を出さねば意見を言えぬのであれば、六官の卿である必要はない!」


 覚然ごとき言説に負ける北定ではなかった。しかし、北定は気が付くべきであった。これまで斎治は北定の言を受け入れてきた。それは斎治が斎公として返り咲くために必要なことであったし、多少耳に痛いことであっても悲願のためにはと我慢してきた。


 ところが今の斎治は、北定のような直諌の臣を疎ましく思うようになっていた。すでに斎公となり、宿願を果たした斎治からすると、耳に痛い言葉よりも耳障りの良い言葉の方を欲するようになっていた。


 「北定、もうよい、下がれ。覚然に資金を渡したのは余の判断だ。それに異を唱えることは許さん」


 斎治は毅然として言い切った。北定は呆然と斎治のことを見つめるしかなかった。

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