泰平の階~99~

 その頃北定は、泉国の国都である泉春にいた。


 北定は界国で界公に会い、界公を通して斎国の復権を義王に言上し、認めてもらった。それから諸国を回ることになっていた北定は、最初に訪れる国に泉国を選んだ。これには理由があった。


 「条国は静国、翼国と敵対関係にあった。いくら国主が変わり、国号が斎に戻っても、我らに対してあまり良い感情を持っていないだろう。それならは両国に対して友好的である泉公に会い、仲介を斡旋してもらおう」


 北定らしい慎重な判断であった。界国を出た北定は東に向かい、衛環という旧伯国の国都を目指した。


 「衛環には敏達殿という泉公お気に入りの臣がいるらしい。そのお方を通じて、泉公に謁見を願い出よう」


 そう考えていた北定が衛環に到着すると、城壁の門前で馬車を止められた。北定が界公の紹介状を見せようとしていると、馬車の外で一人の男が恭しく拝していた。


 「この馬車は、斎国の顧問官、北定様の馬車とお見受けしましたが……」


 北定はどきりとして冷や汗を流した。衛環に先触れを出していないので、自分が来るとは誰も知らぬはずである。困惑しながらも、心落ち着かせた北定は、窓から外にいる男を見て害意はないらしいと感じた。


 「いかにもそうであるが、貴殿は」


 「私はここを預かっております敏達と申します。我が主より北定様を丁重におもてなしするように仰せつかっております」


 「せ、泉公が……」


 泉公がどうして自分が泉国を訪ねてくる、しかも真っ先に衛環を目指していると知っていたのだろうか。北定はますます困惑した。


 『付けられていたのか……』


 そうとしか考えられなかった。泉公が斎国の国情に精通しており、その動向を気にしているということになる。しかも、泉公は広く界国に間者を送り込んでおり、北定の動きなども把握していたのだ。


 『噂通り、油断ならぬ御仁らしい』


 泉公樹弘は、泉家の遺児でありながら市井で世を過ごし、決起してから短期間で反逆者相房を討ち果たした。それだけではなく、相房の圧政で荒廃した泉国を数年で立て直し、目覚ましい復興を遂げている。まさに今の翼公や静公に勝るとも劣らない名君と言われていた。


 「ささ、今晩はゆるりとお過ごしください」


 敏達は北定を私邸に案内してくれた。そこでは敏達の妻がきめ細かく働き、行き届いた接待を受けることができた。流石の北定も今までの苦難を忘れ、大いに楽しませもらった。


 「泉春までは私が同行いたします。用事がありますので」


 敏祝という敏達の妻はそう言った。翌朝になると、北定が乗ってきた馬車の他に五乗の馬車が待機していた。警護のためだという。


 『警護とは……』


 北定は本気にしなかった。泉国に入って衛環に至るまで国内の様子を見てきたが、盗賊が出没するような様子は微塵も見えなかった。街道を行き交う人々は寸鉄も帯びておらず、商人達は兵士を雇って積み荷を警護していなかった。この国の治安がよい何よりもの証左であった。


 『一応、警戒されているのか……』


 とも思ったが、道中の行動を制限されることもなかった。寧ろ行く先々で歓待され、各地で泉国の要人が接待してくれた。


 『泉公は私を国賓としてもてなしてくれている』


 もはやそうに違いないと確信していた。北定は泉国で成すことべきことへの前途に明るい兆しを感じていた。


 泉春に到着すると、確信がさらに強まることになった。泉春では丞相である甲朱関が出迎えに来たのである。


 「遠路はるばる、お疲れ様でございます。今宵は長旅の旅塵を落としてごゆっくりなさってください」


 北定は丞相である甲朱関の若さに驚かされた。年齢的には費俊と変わりないかもしれないが、彼にはない落ち着きが甲朱関にはあった。若い瑞々しさと同時に、長者の風体が宿っているような穏やかさが甲朱関というひとつの体に同居しているようであった。


 ここでも北定は甲朱関直々にもてなしを受け、何一つ不快なことを感じることなく一夜を過ごした。


 翌日、甲朱関に案内され、泉春宮で泉公樹弘に謁見した。


 「私が樹弘です。北定殿、遠路はるばるご苦労様です」


 国主の席に座る樹弘という君主は、陪臣に過ぎない北定にも非常に丁寧で、直答を許してくれた。


 『国主も随分と若い……』


 顔立ちだけで言えば、幼いと言っても差し支えないように思われた。しかし、北定が訪れた一昨年前には印国の騒乱を収めるのに尽力し成功している。すでに国主としての実績と風格を兼ね備えていた。


 『こういうお方が生まれながらの君主というものなのだろうか……』


 北定は長年に渡り斎治という君主に仕えてきた。勿論、斎治に対しての忠誠心が揺らぐことはなかったが、それでも泉公を前にしてしまえば斎治の存在は霞んでしまうのではないか。そのように北定は思ってしまった。


 「畏れ入ります」


 「貴国のことは色々と聞いています。何かと大変でしょう。ひとまずは私の方から翼公と静公には書状を出しておきます。お二人とも条公に恨みこそあれ、斎国には恨みはないでしょう」


 北定はまたまだ冷や汗が流れるのを感じた。北定は泉公に来意を告げていなかった。それなのに泉公は、北定の思惑を正確に理解していた。


 『このお方は洞察力も兼ね備えている……』 


 泉公本人が考え付いたというわけでないとしても、丞相である甲朱関か何者かが進言したのだろう。これほど優秀な主従が揃っているとなると、泉国が目覚ましく復興するのは当たり前で会った。


 『我が主上と家臣達もこうありたいものだ』


 しばらく泉国に滞在し、色々と聞かせてもらいたかった。自分は顧問官という立場であるが、斎治や費俊に助言はできるだろう。


 「泉公、お願いがあります。しばらくこの地に滞在し、目覚ましく復興を遂げた貴国のことを学ばせていただきたいのです。我が国も内乱によって疲弊しております。是非とも手本とさせていただきたのです」


 「構いません。我が国に学ぶべきことがあるのなら、存分に見聞して貴国に持ち帰ってください」


 泉公は即答した。その寛容さに北定は危うく感涙した。

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