泰平の階~75~
尊毅は佐導甫と共に近甲藩の藩都大甲を出立した。表向きは赤崔心討伐のためであったが、その裏で尊毅は項史直を使者として槍置に派遣していた。そして別の使者を栄倉に潜行させ、項泰に妻子を栄倉から脱出させるように命じていた。
『もう後には引けぬ』
不退転の覚悟であった。すでに出立前、妹である尊夏燐にも秘事を打ち上げていた。
「それでこそ私の兄貴だ!やってやろうじゃないか!」
尊夏燐は手を打って喜んだ。彼女からすると敵が誰であれ、戦ができればいいのだろう。
「この秘事はまだ佐導甫殿と史直しか知らん。お前で三人目だ。絶対に話すなよ」
「史直の方が先か……」
尊夏燐は覿面に嫌な顔をした。尊毅の片腕を自認している彼女からすると、項史直に先に秘事を明かしたことが不満なのだろう。
「そんな顔をするな、折角の美人が台無しだぞ」
「しかし、兄貴。史直はあくまでも家宰だ。そういう秘事は肉親である私に先に言ってくれ」
「次からはそうするよ」
尊毅は気軽に言った。大事を前に尊夏燐のくだらぬ嫉妬に付き合ってはいられなかった。
尊毅と佐導甫はゆるゆると軍を北上させた。斥候を放ち、慶師近郊の情勢を正確に把握しておく必要があった。
慶師近郊の状況を整理しておくと、赤崔心が跳梁し、一時期は慶師に攻めかからんとしていたが、探題がこれを押し返していた。最近では探題の方が優位を保ち、赤崔心の拠点を圧迫しているという。これには理由があり、探題の長官である安平の娘婿である烏林藩の烏道が協力しているからであった。
「赤崔心を味方に引き入れるとして、烏道をどうするかです」
佐導甫が馬を寄せてきて囁いた。秘事はまだ一部の者しかおらず、多くの将兵は安平を助け、赤崔心を討伐するものだと思っている。
「烏道は斎公に同情を寄せていて、費資が扇動した決起計画にも最初は賛同していました。こちら側に引き込めれば心強いですが……」
果たして岳父である安平を裏切ることができるか、と尊毅は疑念を抱いていた。尊毅も岳父である条守全を裏切ることにかなりの抵抗を感じていた。正直、今も感じている。
『身内を裏切るというのは相当の覚悟が必要だ。烏道は一度、日和見して決起計画を潰した男だ。どこまで信用できるか』
大事を成すのに協同できる相手であるまい。しかし、戦力としては喉から手が出るほど欲しかった。
「尊毅殿。烏道如き人物は、大勢が決した時に勝っている方に着こうとする男です。我らが圧倒的な武威で脅せばこちら側を向くでしょう」
佐導甫は大胆な提案をした。確かに斎治の綸旨をもって烏林藩を囲めば、烏道は震えあがって味方になるであろう。
「悪くはない方法です。しかし、そうなれば我らが条公を裏切ったことを天下に示すことになりますぞ」
「どこかでそうせねばならないのです。すでに尊毅殿は覚悟を決められたのでありましょう。天下の耳目を集めるためにも早々にその意思を明らかにした方がよろしいのではないですか?」
佐導甫に指摘され、尊毅はそのとおりだと思った。もし、尊毅が旗色を明確にしなければ、先に決起した者達の後塵を拝することになる。条高を倒した後に起こるであろう斎治政権における主導権争いを考えれば、先んじて斎治に味方すると宣言していた方がいいのは間違いなかった。
「佐導甫殿の仰る通りだ」
「今はまだ、反旗を明白にしているのは夷西藩の少洪覇だけです。武装豪商の和氏などは、すでに斎公に近侍しているようですが、家格が違います。この国の武人をまとめ上げるのは、尊毅殿しかおられますまい」
佐導甫としても条高に反旗を翻した以上、尊毅が斎治政権下で実力者になってもらわなければ困るのである。
「俺が武家を統括するのか……」
尊毅は決して自分が国主になろうとは考えていなかった。斎治を飾り物の主君として、自分が諸侯の頂点に立って武人達を従わせる。その方が事実上、この国の支配者となり得るのである。
「先んじて事を成したものだけが歴史に名を残すのです」
「よく分かった、佐導甫殿。軍を烏林藩に向けるぞ。我らが敵は斎公にあらず!条公ぞ!我らが国を本来の姿に戻すのだ!」
尊毅が条高への反旗を明確にしたのは、まさにこの時であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます