泰平の階~74~
斎治と斎興は槍置で再会している頃、尊毅は三千名の兵士を率いて北上していた。目的は探題の安平を助け、慶師付近で跋扈する赤崔心を討伐することにある。
その道中、尊毅は佐導甫の近甲藩の藩都大甲に立ち寄った。佐導甫に協力を申し出るためであり、ここで新莽軍の大敗を知ることとなった。
「夷西藩と千山の勢力は侮れぬ、というのが尊毅殿のお言葉だが、まさか新莽殿ほどの武人が大敗するとは……。いやはや、世の中というのは分かりませぬな」
佐導甫は、杯に満たされた酒を一気に飲む干した。これで何杯目だろうか。尊毅は杯を交わしながら十杯目までは数えていたが、途中で止めた。蟒蛇であるとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。
「侮れぬ敵に斎興が加わったとなれば、ますます侮れなくなります」
「左様ですな。これで斎公が合流すれば、大きな奔流となりましょう。よろしいのですかな、尊毅殿。このようなところで油を売っていて。早く赤崔心を討伐しないと、これもまた大変なことになりますぞ」
佐導甫という男はどうにも掴みどころがなかった。年齢は尊毅よりも十年ほど上であるものの、こちらの方が家柄は上なので非常に丁重であった。それでいて踏み込んだ話をしてもはぐらかし本心を見せない。逆にこちらから何事かを引き出そうという意図があるように思われた。
『ひょっとしても佐導甫も条高に叛くことを考えているのか……』
まさか、と尊毅は内心で首を振った。佐導甫は条高と趣味を同じくし、親しい間柄にある。そう簡単に裏切るとは思えなかった。
『しかし……』
一方で佐導甫は斎治に同情を寄せている。斎治を哭島へと護送する際には懇切丁寧であったと言う。
『もし、斎公からの綸旨が届けば、この男はどう行動するだろうか?』
実はこの数日前、尊毅の下に斎治からの綸旨が届けられていた。条高討伐のために与力せよ、という短く単純なもので、おそらくは多くの諸侯にも配られていることだろう。当然、佐導甫にも届けられていてもおかしくはなかった。
『仲間は多い方がよい』
裏切りをするなら同士が多い方がいい。そうなった方が主君を裏切るという汚名を一身に背負うことがなくなる。そのためにも尊毅としては佐導甫を仲間に加えたかった。
「私は油を売っているつもりはありませんよ。そういう佐導甫殿こそ、どうなのですか?私は条公よりご下命があり、赤崔心討伐に来ました。そして貴方に与力を申し出ました。ご協力頂けると思っておりますが、まだ明確な御返答をいただいておりません」
いかがですかな、と尊毅が問い詰めると、佐導甫は眉をしかめた。やはり佐導甫には迷いがあるのだと尊毅は察した。
「ひょっとして佐導甫殿にも届いておられますのでは?」
腹の探り合いはやめた。尊毅は懐から斎治からの綸旨を出した。佐導甫の目がかっと見開いた。
「やはり……か」
佐導甫は観念したかのように背後から書状を取り出した。斎治の印璽が見えたので、間違いなく綸旨であった。
「正直申し上げれば迷っておる。斎公には同情しているが、条公を裏切るわけにもいかない。どうにか両者が和解できる道がないかとずっと考えておりました」
どうすべきでありましょうや、と佐導甫が問いかけてきた。
『性根の優しい男だ』
と思う反面、あるいは度胸がないのだと尊毅は思った。
「佐導甫殿。残念ながら両者が和解する道はもはやないと言ってもいいでしょう。初代条公が斎公から国主の地位を奪い、国号をも奪って以来、両者の間で和解など成立するはずがないのです」
「しかし……」
「確かに我らは条公にお仕えする武人です。しかし、私はここ最近、我が領民のことを考えておりました。果たして今のままの政治で領民が幸せかどうかということです」
尊毅はもはや本心を隠すのをやめた。
「尊毅殿……」
「貴方も近甲藩の藩主でありましょう。藩民にとってどういう政治が最良なのかお考えになる時期になったのです。貴方の条公への思慕は個人的な感情。藩主としてどうあるべきか、ご決断されるべきでしょう」
「ほう。では、尊毅殿はすでに何事かを決断されたのですか?」
佐導甫の眼が光った。喋り過ぎたかと思ったが、ここで引いては大事を成せない。尊毅は黙って頷いた。
「尊家も元を正せば条家か」
佐導甫の言葉には多少の毒が含んでいた。条家はかつて斎家に対して謀反を起こした。そして今度は尊家が条家を裏切る。血は争えぬと言いたいのだろう。尊毅はむっとした。
「私はこの国を本来の姿、斎公による政治を行うために決起するのです」
そのことについては今のところは本心であった。斎治の綸旨に従って条家を討ったなれば、裏切りという汚名を被らずに済む。そして、斎治の下で最大の有力者となればいいのだ。
「いや、これは失礼した。よろしいでしょう。この佐導甫。決めた以上は、地の果てまで尊毅殿と同心致します。ご遠慮なくご下命ください」
佐導甫は尊毅に深々と頭を垂れた。この年の離れた二人が、竹馬の友として乱世に乗り出していくのは、まさにこの時からであった。
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